本作品はフィクションであり、作中に登場するキャラクターや団体名、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

百合

今日はあと一人ってところかしらね

百合はいつものように窓から外を眺めながら呟く
その言葉には仕事を終えるという達成感も、解放されるといった安堵もない。

ひたすらに無機質な言葉だ。

心などどこかに置いてきたように

百合、お客様よ

襖の向こうから女性の声がする。
その声は百合に飾り物の心を植えつける

百合

わかりました。

襖が開くと男性が一人で立っていた

正太郎

きみが百合さんかい?
僕は正太郎、よろしくね

百合

百合です。
これからあなたのお相手を努めさせていただきます。
よろしくお願いします。

正太郎

違うなぁ

百合

え?

あまりに突然の返しに百合の思考が停止した
部屋に入るなり襲ってきたり、緊張でガチガチだったりする人は今までに見てきたが、こんな会話のスタートは初めてだった

ただの自己紹介に対して違うなど、会話が成り立っていないにもほどがある

百合

あの……違うとは、どういう……

正太郎

違うものは違うんだよ
上の空なんだよ
別の人のこと考えてた?

百合

そんなことは無いです!

突然の言葉に思わず百合は声を上げた
その声に、正太郎はもちろん、百合本人もこんな声が出るかと驚いた。

百合

す、すみません!
大声だしてしまって……

正太郎

なんだ、ちゃんとしゃべれるんじゃないか

百合

???

百合はさらにキョトンとした表情を浮かべる
意味が分からない、というより意図が分からないといったところか。

ここは吉原である。
それなのに彼はただ自分と会話をするために来たように見える。
百合にとっては理解の及ばない人物だった。

正太郎

なんだ?この人
って表情してるね

百合

別にそんなつもりは……

正太郎

気にしなくていいよ
こういう場に来るとたいていそうだ。特に君くらいの子ならなおさらね

百合

は、はぁ……

百合が生返事する中、正太郎は荷物を降ろし百合の前に座った。

正太郎

君はどうしてここで働いてるのかな?

百合

どうしてと言われても
身売り……といえば伝わりますか?

正太郎

そうか……
おうちもよほど大変だったんだろうね
これほど可愛い娘さんを手放さないといけなかったんだからね……

正太郎の訊ねてくる内容は百合のことについてばかりだった。
その間正太郎は百合に手を出すどころか触れようともしなかった。
百合としてはただただ、不安が募るばかりであった。

正太郎

おっと
もうこんな時間か、楽しい時間はすぎるのが早いね

正太郎はカバンを持って立ち上がる。
確かに吉原のルールとして初めての来店の場合会話だけということになっている
しかし、ここまであっさりと引き際をわきまえたような客もまた珍しい

まして、身売りした少女が多く集められているこのような店ならなおさらである

百合

あの……ホントにもう帰られるのですか?

正太郎

あぁ
また来るよ

そう言って正太郎は荷物を持って出ていった。

残された百合は何が起こったのか分からないといった様子で出ていった扉を見つめる

百合

なんのつもりだったのかしら……?

百合は少しのモヤモヤを抱えながら眠りにつく

そういえば何かを考えながら床に就くなんていつ以来だろう
百合の中には間違いなく心があった

一人の少女として百合は深い眠りについた。

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