渡利昌也

い、いらっしゃいませ。
二名様ですか

 僕は慣れないセリフにしどろもどろしながら、お客様を店内の空いてる席へ誘導した。



 なぜ僕がこんなことをしているかというと、単純にバイトだからである。



 夏休みを迎え、美術部では僕も含めて三年生のほとんどが部活を引退した。



 ちなみに飯塚さんは三年生になってすぐに部活を引退しており、少し遠い地域にある美大受験のための予備校へ通うようになったらしい。




 僕は卒業後、IT関連の専門学校に通うつもりでいた。


 僕の成績はあまりいいとは言えないので、無理に大学へ行くより専門学校の方が後に就職もしやすいと考えたのだ。



 僕の志望校である専門学校は入学試験を行ってはいるものの、大学と比べてかなり簡単なものだと聞いている。


 進むべき道が一本になった僕は、周囲の進路に向けた慌ただしさを尻目に余裕をかましていた。


 そんなときアキオ君の誘いを受け、近所のファミレスでウェイターのバイトをすることになったのだ。






 バイト初日。


 アキオ君に連れられて従業員専用の裏口から中へ入った。



 お風呂のタイルを敷いたような床に、打ちっぱなしの壁。


 脇には雑に置かれたグラスのラックや洗い物を運ぶためのワゴン。


 表側のお洒落なイメージとは異なり、まるで銭湯やお手洗いみたいな廊下だ。

アキオ

おはようございます

 アキオ君が洗い物をしている従業員に挨拶をした。

渡利昌也

アキオ君。
今、もうお昼だよ

アキオ

は?

 アキオ君が半笑いで僕の方を見た。

アキオ

いやいやいや、朝とか夜関係ないし。
バイトの挨拶は『おはよう』でいいの。
天然だよなぁ、わたりん

 もしかしてこれは常識なのか。


 僕は世間知らずなのか。


 恥ずかしい。



 アキオ君の紹介ということもあってあっけなく採用が決まり、面接後すぐに働くこととなった。



 生まれて初めて店側の人間として立ってみると、どこにでもあるようなファミレスでも雰囲気や景色が違って見える。



 そして働いてお金をもらうという意識が、僕の緊張を計測不能なまでに高めた。



 新規のお客様が入ってくるたびに心臓が跳ね上がる。


 一足先にバイトを始めたアキオ君の接客はかっこよく、大人びて見えた。


 普段はちゃらけているが、僕なんかよりずっと人生の先を行っている気がした。








 そんなこんなで早くアキオ君に追いつきたいと思いながらバイトに勤しみ、二ヶ月ほどたったある日のこと。


 その日は日曜日で、僕は昼からシフトが入っていた。


 お昼が過ぎて客足も落ち着いてきた午後三時頃。



 来客を知らせる鐘の音が聞こた。


 お出迎えのために入口へ行くと、そこには加藤君が立っていた。


 そして驚いたことに、その一歩後ろを倖田さんが立っていた。

加藤むつみ

やっほ。
来ちゃった

 加藤君にはバイトのことを教えていたので、客として来るのはわかる。


 だが、倖田さんも一緒というのは一体どういう状況だろう。


 倖田さんは僕をチラッと見たあと、視線を逸らすように店内を見渡した。



 僕の脳内の混沌はさておき、僕は二人を空いてる席へ案内した。



 もしかして、加藤君は倖田さんと付き合うことができたのか。



 それなら友達として喜ぶべきだと思ったが、倖田さんの飯塚さんへの想いはどうなっているのか。



 その行方が気になる。



 僕は働きながら、それとなく二人の様子を観察した。



 加藤君はいつも通りの笑顔で何かを話している。


 だが、倖田さんは無表情で窓の外を眺めたり、眼前のアイスコーヒーを見ながらストローをクルクル回したりと、あまり楽しそうではない。



 加藤君はそれでも構わないといった様子で笑顔を絶やさずにいた。



 小一時間ほどして、二人は店を出た。

加藤むつみ

また遊びに来るね

 最後にそう言って出て行った加藤君は本当に幸せそうだった。



 それが逆に悲しくなってくるのはなぜだろう。








 さらにそれから約一週間後の土曜日のことだ。



 同じようなことは立て続けに起こるものなのか、


 この日は山根さんがファミレスに現れた。



 山根さんは驚くことに、男女のグループに混ざってやってきた。



 どう見ても、男女混合で遊んだ帰りに「ちょっと飯行く?」といった雰囲気だ。


 そのメンツの中に、漫画研究部の女子が二人混ざっていた。



 僕の知らない間に山根さんが男友達と遊びに行くようになっていたことが、とてもショックだった。

あ、渡利君だ

 漫画研究部の女子が僕に気づいて声をかけた。



 その声に山根さんがビクッと反応した。



 そのとき初めて僕の存在に気付いたようだ。


 山根さんは恐る恐る顔をあげた。


 そして山根さんは僕の顔を見たあと、目をそらしながら会釈した。



 この男女混合グループは席に着いたあと、学生らしく店内でバカ笑いしていた。



 あの中に山根さんが混ざっている。


 信じられない。


 何かの間違いであって欲しいと思った。

pagetop