目が覚めると、ゆかりは小さな部屋の無機質なベッドに寝かされていた。

ゆかり

さっきの夢だったのかな?

 思い出しても身震いがする。自分の体が黒く壊れていくなんて、あまりにも趣味が悪すぎる夢だ。

ゆかり

ここ、どこだろ?

 眠い目を擦り、周囲を見渡す。

 一組の机とベッド以外は何もない。扉は頑丈な鉄製で鍵がかかっていてびくともしない。窓にも鉄格子がついていて擦りガラスははめ殺しになっている。そして壁は柔らかいウレタンのような素材で覆われていた。

ゆかり

やっぱりさっきの夢じゃなかったんだ

 自室とは似ても似つかない囚人部屋のような殺風景な景色を一回し見て、ゆかりはベッドに腰をかけた。

ゆかり

手も足もある、けど

 左右で大きさも違う。肌の色も違う。

 ゆかりは確信した。あのマネキンのような手足を適当に縫いつけられたのだ、と。

ゆかり

逃げなきゃ。絶対ここ、普通じゃない

 ここに連れてこられた理由はわからないが、連れてきたのはあの母親だということはすぐに見当がついた。

 珍しく家早く帰ってきて、それにたくさん食べ物を買ってきて。

 その時に疑っておくべきだったのだ。改心したのかもしれないといういくらかの期待など持ってはいけなかった。

 しかし、そんな簡単に諦めきれるものではない。実の親が自分を愛していないと認めることなど簡単に出来るものではない。

ゆかり

でもあたしバカだからどうやって逃げればいいかわかんないや

ゆかり

コホッ

 ゆかりは小さく咳を漏らす。

ゆかり

なによ、これ……

 口を押さえた手についていたのは紫色の煙。

ゆかり

毒ガス? そんな。今あたしの口から出てきたの?

 手にまとわりついている紫の煙はある程度まとまる性質でもあるのか手の上でもやもやと消えることなく漂っている。

ゆかり

これ、何かに使えるのかな?

ゆかり

これで誰かを呼び寄せて、その時に

 自分が勝てる確証などゆかりにはなかった。逆に取り押さえられてしまうかもしれない。

 それでも他に思いつかない。やる、そう決めたゆかりは鉄のドアを思い切り何度も叩いた。

ゆかり

ねぇ! 誰かいる!? 変な煙みたいなのが口から出てきたんだけど!

 固いドアが大きな音でがなるが、ゆかりの手にはほとんど痛みがない。

ゆかり

誰かいるんでしょ! 早く来て!

なんだ、いったい。何があった?

 鉄格子の向こうで白衣の男が訝しげにゆかりのいる部屋を覗き込む。

ゆかり

これ見て! 私の、口からこんなのが

 鉄格子の間から差し出すように紫の煙を飛ばす。

なんだそれ、うぅ

ゆかり

ちょっと何? いきなり倒れちゃった。ちょっと早く起きて! ここから出してよ!

 ゆかりの言葉に白衣の男がすっと立ち上がる。

はい、姫

ゆかり

姫?

 ゆかりの疑問に答えることなく、男はすんなりとドアの鍵を開けた。

お体の具合は?

ゆかり

だから何か変な煙が口から出てくるんだけど

残念ですが私にはわかりかねます

ゆかり

なんなのよ。急にしおらしくなって気持ち悪いし

申し訳ありません

 ゆかりは諦めて出口を探して適当に廊下を進み始める。

 その後ろを白衣が無言でついてきた。

ゆかり

ちょっと。ついてこないでよ

しかし、危険が

ゆかり

大丈夫だってば!

 白衣を引き離すように走り出したゆかりを同じように白衣が走って追いかける。

ゆかり

誰か助けて!

 その声に答えるように黒い触手が伸びてきた。

百手

連れ去られた子かな? 無事かい?

ゆかり

あの、はい。コホッ

 答えたゆかりの口から、また紫色の煙が吐き出される。

百手

無事じゃなさそうだね。残念だけど

ゆかり

そんな

百手

あぁ、心配しなくていい。私は専門家というわけじゃないから。もしかするとそれの解決方法を知っている人がいるかもしれない

ゆかり

そうですか、って背中が!

百手

あぁ、失礼。でも取って食うわけじゃないから気にしないでもらえると嬉しいね

鬼頭

おう、百手。結局無事だったのはその子と、お前が伸ばしたそいつだけみたいだな。あとの連中は蜘蛛の子散らすように逃げちまった

百手

追いかけるなら私は別料金だよ

鬼頭

がめついねぇ。コンビニやめてこっちにくればもっといい待遇にしてやるってのに

百手

傭兵稼業も本望じゃないんだけどね

ゆかり

あの、あたしは

鬼頭

譲ちゃんは俺についてきな。ちょいと体を調べてみないことにはなんとも言えねぇな。心配しなくても俺たちゃ懐の深さは日本じゃ一番よ

百手

まったく調子がいいんだから。それじゃ私は帰らせてもらうよ。店もあるしね

鬼頭

どうせ誰も来やしねぇ幽霊コンビニじゃねぇか

百手

怒るよ

鬼頭

怖い怖い。じゃあな

 ゆかりと白衣の男を連れて鬼頭と百手は壊した瓦礫を踏んで研究所を出た。

そんなことが

百手

あったのさ。君の知らない世界でね

その白衣の男ってもしかして

百手

あぁ、小木曽くんだよ。一応鬼頭さんのところで治療方法は探しているみたいだけど、まだ見つかっていないんだ

じゃあ、俺も感染してたら危なかったってことですか

百手

いやぁ、高橋くんが謎の抗体を持っていてよかったよ。鬼頭さんに話したらぜひ血液サンプルが欲しいって騒いでいたよ

か、考えておきます

百手

そういうわけで行き場のなくなった彼女の面倒をみるためにうちでバイトをしてもらっているというわけさ。小木曽くんも一緒にね

それで富良野さんのゾンビ化は?

百手

ある意味成功したといえる。彼女は実際のところ不老不死だよ。不死身ではないから損傷が激しければもちろん命は落とすだろうけどね

その代償が、あの紫のウイルス煙ですか

百手

本人曰く少しは溜めておけるらしいけどね。溜め込んで体に悪くても困るし、幸い異種族の私たちには感染例がない。鬼頭さんのところで研究用も兼ねて吐き出しているみたいだけど、空気中では割とすぐに死滅しちゃうみたいだね

なんだか自分が本当に人間か不安になってきました

百手

それともう一つ

まだあるんですか?

百手

彼女の着替え、覗いたんだろう?

覗いたって、不可抗力です!

百手

彼女の全身の包帯はもちろん怪我でもなければファッションでもない。適当に切り貼りされた色の違う肌と抜糸の跡を隠しているのさ

そんな

 思わず想像して要は口元を押さえた。

百手

彼女はそれまでの経緯もあるだろうけど、孤独を妙に嫌うところがある。仕事がないのにシフトの時間には休むことなくここにくるだろう? 働きもしないのに

そうですね。来なかったのは見たことないです

百手

それにやたらとみんなに煙を撒きたがるのは、そうすればずっと一緒にいてくれる人間が増えると無意識的に思ってるんじゃないかな

 百手の言葉の重さに要はただ黙って頷いた。

 後ろから大きな音を立てて誰かが走りこんでくる。

小木曽

店長! 高橋さん!

 焦ったように息を荒げていたのは小木曽だった。

十話 ゾンビ娘のいない日常(後編)

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