夕暮れの公園に錆びた鎖の音が寂しく響いている。
夕暮れの公園に錆びた鎖の音が寂しく響いている。
本来ならば子供の居場所であるはずの公園も、今は遊具が撤去されゲームに役割を奪われ、タバコの臭いが渦巻くだけの空き地になっている。
戻りにくいなぁ
ゆかりは誰もいない小さなブランコを揺らしながら、夕陽を眺めている。
でも要くんが悪いんだもん。怒ってばっかりで
誰か迎えにきてくれればいいんだけど
公園の入り口に人影が見える。
要くん? 裕一?
自分の迎えだと信じて疑わないゆかりが走り出す。
その姿を見て影はにやりと微笑んだ。
誰?
ゆかりの問いに無言を貫いたまま逆光に隠れた影がゆかりに飛びかかる。
え?
夕闇に少女を抱えた影が消えていく。
もったいぶらないで教えてくださいよ、店長
うーん、以前別の話題を淡々と話したらつまらないと富良野さんに言われてね。少し間というかタメを作ってみたんだけど、イマイチだったかな?
イマイチも何もそんなの求めてないですから
それでゾンビになったって。それも人間によってですか?
彼女はとある研究機関に買い取られて、ある実験の被験者として使われたんだ
そんな、日本にそんな研究機関があるとは思えないんですけど
目に見えているものだけが真実とは限らないよ。ほら、こういう風にね
そう言って百手は背中から触手を一本伸ばす。
要にはもう見慣れたものだが、きっと大学の友人には一人としてこの魔族の存在を知る者はいないだろう。
そうでしたね
そこで研究されていたのは不老不死。人間の誰もが夢見るという理想郷の研究だ
不老不死。それで死んでも生き返るゾンビの研究を?
いやいや。もっと純粋なものさ。錬金術とか賢者の石という言葉は聞いたことがあるだろう? あれを化学で突き詰めるという発想から端を発したものだった。もちろん最初だけは、だけどね
子供を被験者にするような機関に落ちぶれた、と
真理に近づくと人間というものは自分がずいぶんと優秀になったものと勘違いするらしい。天下に二つとないという強さをもってしてもあんなに世界はつまらないものだというのにね
百手は座ったまま触手を伸ばして水屋の中にあるクッキー缶を取り出す。
今度は人間の手で一つをつまんで口に入れた。
そんなものよりこうして仕事をサボって食べるお菓子の方が何倍も幸せだというのにね
それは同意します
勧められるままに要も一つ、アイスボックスクッキーを選び取る。生地がまとまらないほどに練りこまれたバターと砂糖が今の要にはちょうどいい。
じゃあその研究機関が見つけた『真理』っていうのは?
じゃあ、その辺りから話をしようか
大きな試験管のような水槽が並ぶ薄暗い部屋で、白衣を着た男が醜悪に微笑んでいる。
フラスコと試験管には得体の知れない色をした液体。
点滅するランプがいくつもついた機械は素人目には何をしているのかすらわからない。
ひひ、金はかかったが、ずいぶんといい被験体が手に入った
うまくいきましたね、博士
しかし、よいのでしょうか? これは人間の不可侵の領域に踏み込んでいるような
何をいまさらためらうことがある? むしろ喜ぶべきではないか? 我々はこれから神へと昇華される。その瞬間に立ち会えるのだから
小さく泡立つ試験管の液体を掲げて醜い笑いを浮かべた男は水槽へと続くパイプにゆっくりとその液体を流し込んだ。
結果は明日のお楽しみだ
成功すれば、いや間違いなく成功です!
人の細胞の寿命、すなわち細胞分裂の終わりをなくす現代の賢者の石が細胞に寄生するウイルスとはな。過去の賢人はいったい何を見ていたのだろうか
細いパイプを下り、水槽の中にウイルスが広がっていく。
それぞれの水槽の中には子供が一人ずつ。全員で七人。
さて、いったい何人が生き残るのかな?
水槽を見つめながら、白衣の男は両手に世界を抱えたように大きく笑った。
翌日、幼いゆかりは体の熱さに目を覚ました。
ここ、どこ? 昨日はお家でご飯を食べて、それからぐっすり眠って
いつもは夜遅くになっても帰ってこないゆかりの母が珍しく家にいて、一緒に夕ご飯を食べて、一緒の布団に入ったのだ。
それからどうなったの?
口を開けて声を出そうとして、自分が水の中にいることに気がつく。不思議と息は苦しくないが、手足が妙に熱くなってきて、熱湯に入っているのではないかとゆかりは必死にもがいた。
動かない
しっかりと繋がっている手足はゆかりの意思に従わずピクリとも動かない。次第に感覚も薄れて水の中に溶けていくようだった。
お目覚めか。まさか目を開けたのが一人だけとは。一人でもいたことを喜ぶべきなのかもしれないが
助けて! 手が、足が変なの!
水の中に精いっぱいの声を張り上げる。
手足が、変?
熱いの。溶けてしまいそうなの!
まさか。この子も失敗だというのか?
何? わかんないよ
子供たちを水槽から出してくれ。どうやら失敗らしい
ゆかりの声を聞こうともせず、男は後ろに立っていた白衣の部下に指示を出した。
コホッ
なんだか気持ち悪い。空気が重たい感じ
水が流れて空気の中に帰ってきたゆかりはそのまま白衣の男にストレッチャーに乗せられる。
抵抗する気力もなければ手足も満足に動かず、されるがままに強い光を放つ手術台のような場所に連れてこられた。
何?
うーむ。どうやらウイルスが暴走して急激に細胞分裂をさせて壊死が始まっているようだ
壊死? それじゃまるでまったく逆の結果に
そう言っているのが聞こえて、ゆかりはじぶんの手足をはじめて見た。重い首をズラして覗いてみると昨日まで確かにあった両手両足が黒くくすんで小さくなっている。もはや指先どころか手も足も感覚がない。太ももや二の腕の辺りまでも熱くなってきているように思えた。
あたしの体。なくなっていってる……
ゆかりはビデオの早回しのように黒い塊になっていく自分の体を冷めた頭で見つめていた。もはや驚きを表す感情に限界がきたようで、物事が整理できない。
壊死の始まった組織の切断を、いやもう遅いか
あああああ
黒い塊はゆかりの体を飲み込むように顔に近付いてくる。
肘を越え、肩に。膝を越え、腰に。肌を染め、内臓に。
いよいよ体内にも燃え移ろうかというとき、黒の侵攻がピタリと止まった。
止まった?
止まったぞ
ウイルスが死滅したのか?
顕微鏡を持ってこい。直接観察しよう
手術台に乗せられたままのゆかりを覆うようにレンズが無数についた機械が被せられる。
暗闇に覆われた世界でゆかりはただ男達の声を聞いていた。
ふむ、全てとはいかないが、体組織の半分ほどは細胞内にウイルスを取り込むことに成功したようだ
しかし、意識を保っているのはこの子だけです
脳や内蔵機能が一部でも壊死してしまえば一晩とて生きるのは難しいだろうからな。運がよかったということだ
しかしこの子も手足がないのでは
構わんさ。方法はある
それはいったい? 博士、まさか
他の子供たちの無事だった部分を持ってこい
そんな、それではまるで
フランケンシュタインの怪物のようだ、と。私はこの研究のためならフランケンにでもなってやる
ゆかりの体を覆っていた顕微鏡が外され、感覚のない肩に注射器が差し込まれる。
え?
突然浴びた光に目が眩んだが、すぐに慣れて周囲の景色が見えてくる。
マネキンのように無造作に置かれた人の手、足、胴。
いやああああ!
ゆかりの叫び声は喉の奥に落ちていって、外には漏れ出なかった。