次の日、あけみを車椅子に乗せ、希望に会いに行った。



なお、NICUに入ることが出来るのは、両親と祖父母のみだ。



NICU前にあるインターホンを押す。


看護師

どなたですか?

隼人

希望の……父と母です……

あけみ

……

看護師

どうぞお入りください

施錠が外され、中に入る。



すると、個室が設けられており、洗面台が設置されている。



外部の雑菌をNICU内に入れないために、手洗いを2回したあと、アルコール消毒をし、さらにマスクと帽子を着用して、ようやく中に入ることが出来る。



ムッとした空気。



NICU内は湿度と温度が高めに設定されているからだ。



中に入ると、希望はNICUの真ん中の保育器にいるとのことだった。



あとで分かったことだが、両端ほどリスクの低い赤ちゃんが寝かされている。



つまり、真ん中に配置されているということはリスクが高く、スタッフがすぐに対応できるための配置ということだ。



そして、俺とあけみが案内された透明なケース――保育器の中には……希望がいた。



……とても、小さい。



手の平より、少し大きいくらいで、まるで産まれ立てのひな鳥のような赤黒い肌の色。



目にはガーゼをかぶされ、鼻や腕、足にチューブを繋がれていて、見るからに痛々しい。



もちろん、両親と言えども、触れることは許されない。



看護師さんは手に消毒液をつけ、保育器の側面にある小さな窓から手を差し込むと、そっと希望の目のガーゼを外して言った。


看護師

希望ちゃん、パパとママが来てくれたよ~

その声が聞こえたのか、希望は眉根を寄せて顔をしかめた。

あけみ

……

あけみ

……生きてる

あけみ

生きてるよぅ……

あけみはそう言うと、ポロポロと涙を流した。

隼人

ああ……

隼人

あれ……?

俺も涙は流さないと誓ったはずなのに、気が付けばあとからあとから溢れ出ていた。



しばらくの間、俺とあけみはただただ涙を流し続けた。














それからほどなくして、希望は黄疸治療のため、光線療法を施され、無事に黄疸はひいた。



そして脳出血もなく、感染症にかかることもなく、心臓の動脈管も閉じた。



無事に3日間の山を乗り越えることが出来るのだった――。











あけみ

うう……出ないよぅ……

一方、あけみは初乳が大事だということで、出ない母乳を出そうと必死だった。



赤ちゃんにとって、初乳というのは免疫力をつけるために非常に重要なものらしい。

あけみ

わ! なんか透明な汁が出たんですけど!?

看護師

うん、それを綿棒に含ませてあげて

あけみ

飲んでくれますかね?

看護師

大丈夫、希望ちゃんに会いに行きましょう!

あけみの初乳を含ませた綿棒を希望の口に含ませる。



モゴモゴと希望が口を動かした。

あけみ

希望、おいしい? おいしい?

目はガーゼで覆われているため、希望の表情は分からない。



しかし、ピョコピョコと動く両足が喜びを表現しているようだった……。











ほどなくしてあけみは退院した。



ちなみに希望との面会時間は10時から20時の間だけ。



高校は事情が事情のために休学を許され、俺とあけみは生活の全てを希望に捧げていた。

隼人

急げって! 早く行くぞ!

あけみ

ちょ、ちょっと待って~!

少しずつ出始めた母乳をフリージング……つまり、無菌パックに母乳を入れて冷凍し、病院に持って行く毎日。



0.5ccが1ccに、そして2ccに、3cc、4ccと希望は母乳摂取量を増やしていく……。



希望に会いに行くことが楽しみでしょうがない毎日。


















医師

現在、希望ちゃんはとても順調です

隼人

ありがとうございます!

あけみ

良かった~☆

医師

まだまだ予断は許しませんが、一緒に頑張っていきましょう!

隼人

はい!

あけみ

よろしくお願いします!



















あけみ

希望、頑張ってるね!

隼人

ああ、この調子なら大丈夫さ!

隼人

あけみもしっかり飯食って、美味しい母乳を作らなきゃな!

あけみ

うん! 頑張るよ!














そう、いつだって現実は残酷だ。









神様は期待させるだけ期待させて……失望させるんだ。










希望が産まれてから、ちょうど3週間目。










突然、希望の尿が出なくなった。










老廃物を体外に出せずに、少しずつ少しずつ浮腫(むく)んでいく希望。



















隼人

先生! 何とかならないんですか!?

医師

出来うることは全てさせて頂いています

医師

現代医学では……これが、精一杯なんです……!

あけみ

そんな……










浮腫(むく)みによる体重の増加に比例して、人工呼吸器の酸素濃度も増えていく。










100%になってしまったら、それ以上濃度が上げられないだけに、手の施しようがなくなる……。










先行きの不透明さに、お互いのイライラは募っていく……。










隼人

どうして母乳、出さねーんだよ?

あけみ

隼人はいいよね、言うばっかで……

隼人

はあ? 出したくても出せねーんだから、仕方ねーだろ!

あけみ

もう嫌!!!!!

隼人

ちょ、落ち着けって!

あけみ

もう……ダメなんだよ……

隼人

おいおい、希望が頑張ってるのに、諦めるんじゃねーよ……

あけみ

頑張ってお乳出して飲ませても、希望を浮腫(むく)ませるだけじゃん!

あけみ

もう……希望を苦しませたくないよぅ……うう……

隼人

あけみ……










母親として、あけみが唯一出来ることが母乳をあげること。










……なのに、その母乳が希望を浮腫(むく)ませていくという事実。










あけみの悲痛な訴えを聞いて、ようやく俺はあけみの気持ちを理解したのだった。



















その後も、希望の尿は出ないままだった。








やがて……面会時間には制限がなくなった。







さらに……自由に触れても良いという許可が出た。





















……つまり、回復の見込みがなくなったということだった。

















そして、モニターの酸素濃度が100%を示す日が……来てしまった。

















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