第13話 断て白銀の我が刃
第13話 断て白銀の我が刃
肩に開いたシャッターの奥から押し出されたのは、楕円球状の空のカプセル。
……
イスカラピーナ?
かつて聞いたことのないはずの、脳内に自然と浮かんできたその奇妙な単語を、クララは口にした。
出立の前、操作マニュアルを確認するかをピクシーに問われ、何となくわかるからと断ってしまったあの時と同じ、口走ってからはっと気づく奇異な感覚。
私、なんで知ってるんだろう、これ
右手に取った薄い造りのカプセルを、クララは困惑しながら眺める。
するとそれは、小さな機構音を立ててかぱりと口を開けた。
軸でつながった上の半球が下の半球に収まる、スライド構造で開閉する仕組みのようだ。
カプセルに中身は無く、そのフチは殻の造りよりなお薄い、鋭い刃になっている。
既知感とも違う。
何故なら、口にしたその言葉に間違いがないことと、
……よし
思い浮かんだそれの使い方の正しさに、何故か確信があるからだ。
クララは右手にそのカプセルを持ったまま、今度は左手で銃を拾う。
そして、アヴィーエの火を入れてたんと地を蹴る。
開いたスラスターが埃にくすむ大気を焼いて推力に変える。
く、クララさん!
つま先がアスファルトを擦る低空飛行で、クララはコマンドギアの脇を抜けていき、ミアの目の前でするりとアーデルの腹の下に潜り込む。
動く部分まで硬いわけないんだから……
『徹甲榴弾に切り替え
(シエ ペルティンジエ)』
――『切替成功(スチェス)』
仰向けに飛びながらクララは目を見開き、アーデルを観察する。
脚を動かす順序とその機構。
甲殻の内側にあって然るべき関節の構造を想像しながら、今度は左手で狙いをつける。
そして、忙しなく動く脚の一本の、胴とのつけ根のごく一部、わずかに薄く肉の動きが透けて見える白い甲殻に向けて、
ここっ!
残り一発の徹甲榴弾を放つ。
小さな爆発の寸前、確かに狙った場所に着弾したのを見た。
右手で撃つより明らかに高い射撃精度に、一瞬だけ複雑な気持ちになったクララも、
しゃああッ!
上がった爆煙が散る前に、同じ場所にグリーブの右脚を叩き込む。
股関節の柔軟運動と併せて修練を積んだ“耳狩り蹴り(カルチッターレ)”。
基礎の技とは言えその冴えには、クララにも十分に自信があった。
めきりと殻の割れた音が、耳甲越しに確かに聞こえた。執拗なほど同じ場所を狙い、今度は右手をまっすぐ突き込む。
開いたカプセルを持った右手は、クララの思い描いたその通り、甲殻の内側に浅くめり込んだ。
そこで、きしゃん、とカプセルが鳴った。
開いていたカプセルが、アーデルの肉を抉り取り、その蓋を閉じたのだ。
関節の痛覚に気付いたのだろうか、アーデルは吼えて歩みを止める。
クララの腰のジェット噴射機が、同時にぼうと強い火を吐く。
腹の下を出てアーデルの目の前に躍り出て、クララは再びフルオートの銃弾を放つ。
今度は明確に、こちらに意識を引き付ける為のけん制射撃だ。
そこかしこのスラスターが小刻みに噴射し、速度を殺さずあらゆる角度へベクトルを操る。
マチルダさん、早く!
今のうちに!
クララは振るわれる鋏をひらりひらり避けながら、少しずつ下がりアーデルを引き付ける。
逃げるロボニャーとの距離を開かせつつ、ビル街へ誘い込む。
ビルの合間を飛び回りながらすべての弾種を撃ち尽くし、クララは銃を空へ投げ捨て、自分もアーデルと距離を取る。
百余メルテの十分な間合いを取った後、揚力をふわりと整え、クララは背の低いビルにすとんと着地した。
……大丈夫。使い方は、わかってる
クララは、グローブの手の上のカプセルを見つめる。
その中に透けて見えるのは、紫色の体液に濡れ、まだどくどくと脈打っているアーデルの肉片。
その様に、クララは一度は目を背けた。自分たちを喰らう捕食者の、肉体の一部。
自分の内臓までごろごろしてくるような吐き気が、クララを襲う。
だが、覚悟を決めるように一度、クララは大きく息を吸い込み、カプセルを睨みつける。
なんでこんなことするのかは、わからないけど……
今どうしなきゃいけないかは、わかってるんだ!
そのカプセルの名をイスカラピーナと、自分が呼んだ時と同じように。
脳に、心に浮かんだそのままに、叫んだ。
――装嚼(プラエダ)!
開いたままだった左肩のシャッターに、カプセルをぐいと押し込む。
クララの左肩はカプセルを飲み込むと、どこか満足げにシャッターをぱちんと閉じる。
水平にまっすぐ伸ばした白銀の左腕は、ごくわずかな静寂を挟み。
そして。
左腕は不意に、その主クララの背丈に倍、否、四倍する太さと長さに伸びて膨れ上がった。
うぁあああァっ!!
激痛に叫び、ふらつき膝をつきそうになるも、クララは崩れない。
すんでの所で堪えて、立つ。
古いウレタン防水の屋上にだらりと伸びた白銀の左腕は、焼かれる鉄の如くその表皮を泡立たせ、ずぐずぐと蠢めく。
クララが唇を噛み耐える間に、左腕は形を変えていく。
五指は一度ひとつに接着した後裂けて二つになり、それぞれの先端が鋭い切っ先を形成する。
肘と二の腕を無骨な殻が覆い、至る所に生えた硬い棘が、屋上の床をぎぎぎと削る。
六、七メルテの尺に伸びたそのシルエットは、まさにアーデルの大鋏そのもの。
奪ったアーデルの肉と命の情報が、クララの左腕にその力と姿を与えたかのように。
はぁ……はぁっ……
ぐっ、うぇ……っ!
ままならない呼吸と眩暈に逆流した胃液のひと塊を、クララは足元に吐き捨てる。
右手で口元を拭い、何度か深く息を吐いて、心臓と肺を落ち着かせようとする。
試しに振り上げた左腕に重さがないことに、クララは気付く。
正しくは、重さなど始めから意識の外にあるかのように、自身の左腕と同じように意図通りに動く。
思い通り、振るえる。
鋏になった指先で引っ掛けてしまった送電線が、ぱっくりと切れて地面に落ち、一瞬ばちんと火花を鳴らす。
袈裟懸け角度で無造作に振ると、クララの立つビルの端が、斜めにすぱんと千切れて落ちる。
……
これなら!
見上げたクララと、振り返ったアーデルの単眼の視線が、灰色の空中でかちんと競り合う。
アーデルは弓月の様に裂けた口を開き、
ジェット水流にも似た泡の柱を、クララめがけて放射した。
フェーレスの肉を溶かす恐るべき怪液。
クララはアヴィーエを小さく噴かし、機敏なステップでそれをかわす。
真横、斜め後ろ。
真上に跳ねてのスラスター噴射。
続けてサイドロール。
左腕はこんなにも長大であるにも関わらず、身のこなしを妨げることなく動いてくれる。
そしてクララは、首に巻いた長い厚手のスカーフを、右手でぶあっとほどいて広げる。
目の前で∞のサインを描くように振り回しながら、クララはアーデルへ一直線に突進する。
フェーレスの髪を模した化学繊維造毛で編まれたスカーフには、怪液の主成分と反応するエルテ粉末がまぶされている。
空中に散らした粉末と接触した怪液は、持ち主の身体にたどり着く前に瞬時に燃焼する。
含まれた粉末の量は決して多くはないが、身を守りながら接近のワンチャンスを得るには十分な護りとなるのだ。
肌に触れる寸前で怪液が燃える、赤い火の花を無尽に咲かせながら、クララは飛翔する。
アーデルの頭上を飛び抜けて、急制動で反転しながら、正中線を相手に晒し正面を向く。
左腕を頭上高くに持ち上げ、右手はだらりと軽く下げる。全身の発条の力を、左腕のただ一刀に活かす。
プグナーレのこの構えから、繰り出せる手技はそう多くはない。
一撃のもとアーデルの頭を打ち割る、ただそれのみを見据えた型に、初手の選択肢が多い必要はないのだ。
はぃあああァッ――!
吼ゆるは豪爪無比(ごうそうむひ)の一閃。
アーデルの左の鋏を、クララの左手が根元から断ち斬ったのだ。
しぇいッ!
ついでとばかりに節足を二本、返す刀でばっさりと伐る。
たまらず崩れたアーデルの背に、クララは一足の元に飛び乗って、左手首に右手を添える。
すぅ、と一呼吸溜めた後、瓢箪(ひょうたん)型にくびれた頭と胴を、
ちぃぇえッ――!
横一文字に斬り捌く!
アスファルトにごろりと落ちたアーデルの頭を、
ミアさん、ジェシカさん!
了解(フェッチェ)!
待ってたわよっ!
追いついた二機のコマンドギアが、すかさず左右に挟んで囲む。
標的ロック。
全砲門オープン。
セーフティレンジアラート、完全ノールック。
発射(イーニェア)!
発射(イーニェア)!
コメートの対の機銃とメテオーアのグレネードランチャーが、ディレイ皆無で業火を放つ。
アーデルの単眼に半秒ごとに叩き込まれる弾丸と炸薬が、肉と骨と中枢機構を、甲殻の下で微塵に砕く。
間断無く散る銃声が、断末魔すら許さずかき消していく、長い長い十秒の後。
中枢を失ったアーデルの胴が、どずん、と道路に頽れる。
やった……やったの、私たち……
はは……クラブ型を、ロボニャー抜きでやっちまったよ。この子は……
動かなくなったアーデルの胴の上に立ったまま、クララは刃を汚した紫色の血のりを振り払った。
とはいえ、実は私もよくわかっていないんだな、これが
え、今、それですか
あの時の言葉の続きで、すまなそうに笑うパオの顔を、クララは思い出した。
お前が生きるのに、大きな重荷を背負わせるかもしれない
可能性って言ったって、どんな芽が出るのかだって、今は誰にもわからない。だから
お前の好きに使え。戦うためでも、いっそ戦わず生きるためでもいいさ
どうだ。受け取ってくれるか、クララ
麻酔が効き始め、閉じていく意識の中でも、
……
はい
自分が確かにそう答えたことを、クララはしっかり覚えていた。
大気中に散った怪液とエルテ粉末が、まだ小さな火の粉と煤煙を上げている。
安堵もつかの間。
灰色の空に戦いの音は未だ止まず、喜んでいる暇などまだ無いと、三人は思い出す。
マーメイ、そしてメルとココアは、ビル街を跳ねまわる火傷のアーデルと死闘を続けている。
ムルムルの二人が守る西側からも、電磁の爆ぜる轟音が、群れなすアーデルたちの猛る声が鳴り止まない。
まだです。
次、行かないと!