第12話 起て白銀の我が勇気

パオ

クララ、聞け。お前に新しい腕をつけてやる

クララが左腕を失ったあの日。

緊急病棟へ運ばれたクララに、パオ・フウはそう言っていた。

途切れそうで途切れない、か細い糸の如く残った意識の中で聞いていたのを、クララは覚えていた。

パオ

アーデルから子どもをかばって、腕を失くしたんだってな

パオ

よくやったぞ、本当に

顔を寄せ、言い聞かせるように褒めたたえるパオフウに、クララはほんのわずか顎を揺らし、うなずいた。

この子を救わなければ、命をつないだ意味がない。

戦いのさ中、小さなあの子をかばいながら、ただそれだけを思って立ち上がった。

あと一秒早ければ、あと一秒間に合っていたら。

自分がマーメイに救われ生き延びたのはきっと、あの思いを、もう誰にもさせないためだ。

後悔も恨みも、憎悪も悲しみも。ぶつけどころのない負の感情ばかりが詰まった、本当に嫌な思い。

だから、誰かのたった一秒を、この手を伸ばして救えるのなら。

クララはその為に、戦いの道を選んだのだ。

パオ

お前はそうして戦える子だ

パオ

誰かのために、とはちょっと違うようにも見えるが

パオ

それでもお前は、誰かを守ることのために命を懸けられる、戦士だ

パオは少し眉を寄せて、何かを憂うような笑みを浮かべる。

そして。

パオ

だからこの左腕を、お前に預ける

クララの視界にうっすら映ったのは、パオが手にした白銀色の塊。

照明の逆光でよく見ることはできなかったが、それは確かに腕の形をした物体だった。

パオ

お前と、お前の戦う理由のための、きっと大きな力になる

パオ

フェーレスの運命を変える、小さな小さな可能性だ

パオ

どうだ。受け取ってくれるか、クララ

今その小さな小さな可能性とやらは、クララの意思から遠く離れたところで、ミモル型アーデルの頭部を何度も殴りつけ、砕いている。

既に力を失った肉体を、ずるりと地に落とすことも許さぬかのように。

クララの左腕は、アーデルの曲がった顎を、凹んだ額を、絶え間なく殴り続けていた。

クララ

……や、嫌っ

クララ

やだああァあっ!

巨大なクラブ型アーデルの目から隠れながら市街地を走ったクララは、否、クララの左腕は、すでにこうして三体のミモル型アーデルを屠っていた。

クララの意識の外で、どうやってか近づいたアーデルを感知しているらしい。

左腕はクララの肩から先の関節を勝手に操るように動いて、拳の一撃を放つのだ。


精神を研ぎ澄まし放つプグナーレの技とは似ても似つかぬ、ただ握った手を打ち付けるだけの粗野な拳を。

クララ

なんなの……なんなの、これ!

クララ

パオ隊長……私に、何をしたの……っ!

クララは恐怖していた。

マーメイほどではないにしろ、パオもプグナーレをたしなんでいた。

時折軽い運動程度のスパーリングをしているのを、何度か見たことがあった。

だからというわけではないが、パオが自分につけてくれた左腕は、プグナーレの技をパワーアップさせたり、アーデルの攻撃から身を守ったりして使う、ちょっと凝った義手程度のものだろう。


そんな悠長な想像しか、クララは抱いていなかった。

それが、何故。

考える間もなく、ビル陰から新たな影が躍り出る。

クララはびくりと動いて、右手の銃を影に向ける。

ジェシカ

新入りちゃん、大丈夫!?

角から現れたのは、コメートにまたがったジェシカだ。

墜落したクララを案じて駆けつけたジェシカだったが、当のクララは彼女を見て、

クララ

ひっ……!

何故か怯えるような顔を見せて、一歩後ずさる。

動きを止め、アーデルの体液でぬらぬらと照りつく左腕を、ジェシカの目から隠すようにしながら。

ジェシカ

え、わっ……これ、あなたが?

ジェシカは足元に転がったアーデルの死体に気付き、

ジェシカ

や、やるじゃないの。新入りちゃん……

原形をとどめないほど変形したその頭部を見て、形ばかりの笑顔を作る。

クララ

わ、私じゃ……

この手が勝手にやったの、とはクララは言えなかった。

ミア

クラブ型、再び本部に向けて移動……ちがう!

ミア

マチルダさん、狙われています! もっと加速できないんですか!

マチルダ

ん、んなこと言われても!

ココア

おいクララ、何やってんだ! 大丈夫なのか!

毛耳を覆う耳甲(コーベル)の中に、仲間たちの通信が鳴り響く。

ジェシカ

ああ、もう! アーデルってなんでこうもしつこいヤツばっか……

ジェシカ

ちょっと、新入りちゃん!

クララは推進装置アヴィーエに再び火を入れる。

アーデルの血の臭いを散らして飛び去ったクララを、ジェシカはただ唖然と見上げる。

上昇したクララは、ビル街の遠く向こうにマチルダのロボニャーを見つける。


ルクスベースに向ってそろそろと進むロボニャーの背後に、がしゃがしゃと脚を運ぶ巨大アーデルが迫る。

見つけるなり、クララはアヴィーエのスラスターをすべて開ける。

最大加速。

開いてしまったアーデルとの距離、数百メルテを詰めていく。

ミア

だめです、私じゃ、止められない!

ミア

マチルダさん、飛んで! 追いつかれます!

アーデルの足元にはミアのコマンドギアが追いすがり、搭載されたあらゆる弾丸を叩き込んでいる。

流れ弾がロボニャーに当たらないよう射角を気にしながらの攻撃に、アーデルは歩みを止める様子も見せない。

クララ

うわあああっ!

クララは叫びながら突進する。

フルオートに切り替えた銃のトリガーを、右手で引きっぱなしにして。

硬い甲殻に空しく弾かれるクララの弾丸。

そこへ自身もコマンドギアで射撃を重ねながらも、

ミア

く、クララさん、無茶です! ただ突っ込んでいっても……!

クララ

でも、このままじゃ……

クララ

あっ!ミアさんっ!

平静でないクララの様子に、ミアは一秒、気を取られた。

その瞬間と、アーデルが不意に鋏を振り上げたタイミングが合致した不幸のせいで、

ミア

あっ

ミアの反応が間に合わなかった。

クララ

――だめっ!

ジェシカ

み、ミアあああああッ!

妹の名を呼ぶジェシカの悲鳴が、オープンチャンネル通信に響く。




無慈悲にまっすぐ振り下ろされた、重く巨大なアーデルの鋏は、

ミア

……あ……ふあ……!

1メルテ未満だが狙いを違え、アスファルトに深々と突き刺さっていた。

ミア

く、

ミア

クララさん?

そのすぐ横で、クララがうつぶせに倒れ伏していた。




煤と埃だらけの地面に、滑り込んだような跡が残っている。

クララに助けられたのだとミアが気づくまでに、そして、どうして助かったのかを理解するまでに、少しの時間を必要とした。

ミアよりわずかに早く動いたクララが、振り下ろされる鋏を飛び込んだままの勢いで殴りつけ、軌道を逸らしたのだ。

身の丈を優に超える巨大な鋏を、その左の拳ひとつで。

ミア

クララさん……クララさん! 大丈夫ですか?

恐る恐る訊ねるミアの声に、クララはしばらく応えなかった。


ほんの数秒のことではあった。

だが、まさか、とミアが思ってしまったころ、

クララ

……大丈夫です、はやく、離れてください……

クララのかすれた声が返ってきた。

ミア

え、あ……了解

信じがたい状況に、ミアはつい礼を言うことも忘れてしまった。

舗装道路の破片を散らしながら、アーデルは鋏を引っこ抜き、再び進軍を始める。

クララの身を案じながらも、ミアは言われるままコマンドギアを走らせ、アーデルを追う。

一人残されたクララは、何故か起き上がろうとせず、

クララ

……なんだ。

クララ

ちゃんと、私じゃん

地に臥せったまま、クララは自分の左の拳を、じっと見つめていた。


白銀の肌に、まだわずかにこびりついている、ミモル型アーデルの体液と肉片。

クラブ型アーデルの鋏の破片らしき、細かな甲殻の粉。


パオ隊長は自分の身体に、意思と関わりなく動きアーデルを喰らう、化け物のような何かをくっつけたのではないか。
クララはそう思った。

勝手に動いて自分の身を守り、アーデルを容赦なく砕く、小さな小さな可能性とやら。


だが今、ミアを守らなければと思ったその通りに、左腕は動いてくれた。

自分の意志のとおりに“も”、この左腕は戦ってくれる。

クララ

もう、なんなの、これ

自分の肩から先の奇怪な存在。

その理解し難さに、クララが泣きだしそうになった、その時。

お姉さん!

 耳甲いっぱいに、少女の声が届いた。

クララ

……

クララ

ひょっとして、あの時の

溢れそうになった涙が、ぴたりと止まった。

ショッピングセンターでアーデルの牙から救った、クララと同じ名前を持つ、あの時の少女の声だった。


マチルダはロボニャーで撤退を始める前に、その少女だけをコクピットまで登らせていたのだ。

みんな助かったんだよ!

クララ

……ほんと?

無邪気な少女の声に、

うん、お姉さんのおかげなんだよ!

お母さんも二人とも助かったんだよ!

止まったはずの涙が、今度は少し違う熱さで、クララの目からこぼれてきた。

クララ

そう、よかった

うん!

ありがとう、お姉さん!

自分はあの子の一秒を、きっと守れたのだ。

クララ

そっか……よかった

あと一秒のあの思いを、この子にさせずに済んだのだ。

お姉さん、左手、やっぱりなくしちゃったの?

少女の心配そうな声に、クララはぐいと涙をぬぐった。

小さなクララが自分のことを覚えていてくれたのが、クララは嬉しかった。


なればこそ。

クララ

大丈夫、

クララ

なくしてないよ!

クララははっきりそう言い切って、左の拳をぐっと握った。

マチルダ

ってわけだよ、クララちゃん。君は今日のスタープレイヤーだ!

マチルダ

だ、だからもうちょっとだけがんばって、あのデカいのを……

マチルダ

わわっ!

アーデルが飛ばした泡を、マチルダはロボニャーを右に左に動かして逃げ回る。

だがその手のひらには住民たちをかばったままだ。

いつまでも避け続けることはできない。

クララの目にも、それは明らかだ。

クララ

そう、大丈夫、なくしてない

クララ

これは、私の左腕

クララは立ち上がり、鋏に突進した際に取り落とした銃を右手で拾う。

モードは通常のフルメタルジャケット弾、フルオート。




そして傍らのビルの壁に、広げた左手をだんと付き、

クララ

だから……

その手の甲に、銃口をぴたりと添える。

そして、左腕がアーデルを勝手に屠ったあの光景を思い出しながら、一度大きく息を吸い。

クララ

言うこと聞けえええっ!!!

叫びながら、トリガーを引いた。

銀と金の火花が、クララの目の前で、頭の中で激しく飛び散る。

秒間10発の激痛が、クララの脊髄を連なって走る。

クララ

がああああっ!

たまらず銃を放り出し、クララはもんどりうって背中から地に倒れる。


激痛。

左半身の神経のすべてが、熱を持って自分の脳を焼くような。

左腕を失ったあの時のことが、焦熱の中で甦る。

痛苦に身を悶えながらも、クララは少しずつ呼吸を整える。


そして、まだ衝撃がじんじんと残る左手に、恐る恐る目をやる。


だがゼロ距離で銃弾を受けたはずの左手の甲には、丸く浅い凹みがいくつか、残っているのみだった。

クララ

大丈夫、すごく、痛い

クララ

だからこの腕は、どんなに気味の悪いものでも

クララ

今はもう私のものなんだ!

左手の小さな震えを、ぐっと握り潰して止めたクララは、再び立ち上がる。

クララ

……行かなきゃ!

三度アヴィーエの火を入れようとした、その直前。

クララはふと、自分の左肩に目をやった。

そこには白銀の肌の奥から、手のひらに収まるほどの、うすぼんやりした正円形の光が浮き上がっていた。


なんだろう。

クララはその光る部分に、右の指先でついと触れてみる。

すると、光と同じ正円形の小さなシャッターが、肌の上に現れた。

そして、それはクララの目の前でかしゃりとスライドし、ぽっかりと口を開けたのだ。

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