合宿二日目。



 施設の会議室に、ミーティングテーブルをロの字に並べてみんな向かい合って座った。


 今度は漫画研究部の技術を美術部が学ぶことになっていた。


 そこで、山根さんのプロットを全員で読み、登場人物のキャラデザインを自由に想像して描いてみることになった。


 漫画研究部の中でも、画力、ストーリー共に一番うまいのはやはり山根さんなのだそうだ。


 この日初めて知ったのだが、山根さんは某少年漫画の雑誌で受賞経験があり、担当が付いてるという。


 上手い、面白いとは思っていたが、ここまで先を進んでいると思っていなかった。


 こうなってくると山根さんに対して少し萎縮してしまう。


 とりあえず後でサインをもらっておくとしよう。




 全員がプロットを読み終わり、目の前の真っ白い紙に鉛筆を滑らせ始める。


 時に目を閉じたり、腕を組んだり、うんうん唸りながらイラストを描いた。


 顔を上げて周りを見ていると、美術部のみんなは大体僕と同様、悪戦苦闘している様子だ。


 それに対して漫画研究部の部員はサラサラと楽しげに描いている。


 驚くことに、山根さんと飯塚さんだけが立ち上がってポーズをとったり、自分の手をあれこれ動かしながらその手を眺めたりしている。



 やはりこの二人、僕らとは何かが違う気がした。

はい、終了。
描いた下書きの品評に移りましょう

 イラストを描き始めてから一時間が経過した頃合に、漫画研究部の部長が作業の終了を告げた。

それじゃあ、みんな見せて

 漫画研究部部長の掛け声で、クイズ番組のフリップのように全員が一斉に自作のイラストを展開した。



 僕は、正面に向けられたみんなの絵を端から順に眺めた。


 みんな絵を描くことに青春を捧げているだけあってかなり上手い。


 とはいえ、漫画研究部の部員たちの方がやはりイラストという点では一枚上手か。


 美術部員が描いたイラストはどこかコミカルじゃないというか、漫画っぽい迫力にかけるというか。


 僕程度の絵かきには説明が難しいけど、漫画研究部のイラストの方が構図が栄えてる気がした。


 お!


 倖田さんは流石というべきか、絵に迫力があって漫画研究部にも引けを取らないように感じる。


 となると、我が部で他に対抗できそうな人物と言えば……。

渡利昌也

ぶはっ

 僕は飯塚さんの描いたイラストを見て吹き出した。


 一人目立ってしまい、全員が一斉に僕を見た。

倖田真子

どうした、渡利

 倖田さんが僕を睨んだ。


 まあ、彼女の場合いつも目がキツいので、ただこちらを見ただけでも睨んだようになってしまうのだが。

渡利昌也

い、いえ。
なんでも……

 僕はみんなに注目されている状況から逃げるように、肩をすくめて言った。

加藤むつみ

渡利君。
飯塚さんの絵でしょ

 隣に座っている加藤君が、笑いをこらえながら飯塚さんのイラストを指差した。

え?
飯塚さん?

どれどれ

 みんなが飯塚さんのイラストを覗き込む。

あっはははは!

あは!
やだー!
すごいけどー

いや、上手いよこれは!
ひゃっひゃっひゃ

ひは!
うん!
上手い。
それは間違いない。
いやしかし、ははは

 皆が一斉に爆笑した。

飯塚俊司

なんだよ。
何がそんなにおかしいんだよ

 飯塚さんが全員を見渡しながら不貞腐れている。


 飯塚さんのイラストは確かに上手いのだが、少年漫画とは程遠い劇画タッチだった。


 かっこよくポーズを決めてはいるが、描かれた人物の必死な表情はもはや歌舞妓である。

倖田真子

山根さん。
お一人だけ真剣にご覧になってるようですけど。
飯塚さんのイラスト、あなたから見てどうですか

 みんなが声を上げて笑っている中、一人まじまじと飯塚さんのイラストを見ている山根さんに倖田さんが意見を求めた。


 倖田さんの口調は少しだけ苛立っているように感じた。

山根琴葉

え……と。
その、すごくかっこいいイラストだと……お、思います

 山根さんはそれだけ言うと、うつむいて黙り込んだ。

倖田真子

それだけですか?
山根さんのレベルならもっと技術的な指摘が聞けると思ったのですが

 倖田さんは先ほどとは違い、落ち着きを取り戻しているように見える。


 だが言葉のチョイスが、どこか嫌味を含んでいるように感じた。

飯塚俊司

いや、まあまあ。
俺、漫画とかよくわかんないからさ。
他の人もこの絵のどの辺が爆笑ポイントなのか教えてくれよ

 飯塚さんが冷えかけた場の空気を読んでか、頭を掻きながらみんなの意見を促した。



 山根さんは下を向いたまましばらく口を半開きにしたが、結局は口を閉じた。



 彼女なりに何かを言おうとしたが、声が出せなかったのではないかと思う。

渡利昌也

あ……えっと。
その、確かに飯塚さんのイラスト、カッコイイというかすごい迫力だと思います

 僕は山根さんの助け舟のつもりで真っ先に声を上げた。



 それは無意識に近かった。


 僕がしゃべりだしたので、また視線を集めてしまった。


 注目されることは僕も苦手なのだが。

渡利昌也

ほ、ほら。
漫画や戦隊ヒーローものの決めのポーズって、元をたどれば歌舞伎の名乗りという文化からきてるって聞いたことあるし

 みんなが僕を見たまま固まった。


 二秒ほどの間を開けて再び全員が大笑いした。

あっひゃっひゃ!
歌舞妓!
それだ!

歌舞伎だー!
しっくりきたー!
あっはっは

すげえ迫力

加藤むつみ

ひっ、ひはははは!
確かにぃ

飯塚俊司

なんだよぉ。
そんなに笑うことないだろ

 意図したことではないが、とりあえず場が和んで良かった。


 みんなに紛れて笑っていると、山根さんが僕の方を見ていることに気がついた。


 山根さんは少しだけ口元に笑みを浮かべていた。


 山根さんは僕と目が合った瞬間、逸らすようにうつむいた。


 だがうつむいた後も微妙に口の緩みを残しており、僕はそれが嬉しかった。



 朝から始めたイラストは昼食を挟み、午後五時三十分まで行われた。


 漫画ならではの誇張表現やデフォルメは、漫画研究部からの理論的な説明が加わることで、美術部員たちの興味を大いにそそったようだ。


 合同合宿はとても意味のあるものになったと、飯塚さんは大喜びだった。


 飯塚さんは山根さんが持っていたマーカーにも興味を示し、借用したマーカーであの歌舞妓イラストをカラーに仕上げた。





 僕はみんなと夕飯の支度をしながら、マーカーを派手に使用している飯塚さんの姿が頭から離れなかった。


 あれは僕が山根さんにプレゼントしたものだ。


 それを躊躇なく貸す山根さんに対し、胸の内にモヤモヤするものを感じる。



 同時にこんな些細なことを気にしてしまう自分の、なんと女々しいことか。



 うなだれて大きなため息をつきながら、お玉でぐるぐるとカレーをかき回した。



 夕飯を食べ、片付けた人から各々部屋へと戻っていく。

 僕は男子で一番最後となり、のろのろと片付けを終えて部屋へと戻った。


 男子部屋は昨日とは打って変わり、メンバー全員が揃っていた。


 自販機で買った飲み物と持ち込んだお菓子を広げ、みんなが部屋のテーブルを囲んでなにやら紙に絵を描いている。

飯塚俊司

どうだ。
これが萌えだ

 飯塚さんはなぜか萌え絵に挑戦しているようだ。


 飯塚さんの差し出した紙には、セリフを付けるなら「あはーん」が似合うモンロー顔の女性が描かれていた。

大場氏

文字で『萌え』と書いてごまかすなかれ。
どうして顔がそうリアル寄りになるのかね飯塚氏

稲田氏

ほれ、こういうのを萌えというのだ愚か者

 稲田は片手で一枚の紙をキザったらしく飛ばし、その紙がひらりと飯塚さんの前に着地した。


 その紙に描かれた絵は、言うなれば顔は子供で体は大人。


 確かに可愛い。


 端っこには二頭身の女の子も描かれている。


 間違いなく萌え絵だ。

飯塚俊司

ぐぬぬ。
これが萌えか。
意外と難しいなチクショウ

 飯塚さんは悔しそうに稲田の飛ばした紙を両手で握った。



 そして再び、白紙に鉛筆を走らせ、新たなリアル萌えっ娘を生み出そうとしていた。



 飽く無き萌えへの探究心。


 飯塚さんの身に一体なにが……。

加藤むつみ

僕も描いてみたんだけど、どうです?

大場氏

ほう、これはなかなか萌える

稲田氏

わかってるじゃないか加藤氏

 加藤君の絵もまた、萌え萌えだ。

飯塚俊司

な、なんだと。
加藤君の方が俺より上手いというのか……渡利君、山根さんを呼んできてもらえないだろうか

 飯塚さんが突然僕にお願いしてきた。

渡利昌也

え?
なんで?

飯塚俊司

この二人の感性じゃほんとの絵心が読み取れないんだよ。
山根さんに萌えというやつをちゃんと聞いてみたいんだ

 萌え絵でみんなと張り合う自信もないし、ただここにいても仕方がない。


 そう思って僕は何も言わずにお使いを引き受けることにした。

加藤むつみ

僕も行くよ

 加藤君が軽快に立ち上がり、付き添いを買って出てくれた。

渡利昌也

ねえ加藤君。
飯塚さんはなんで萌え絵なんて描いてんの

 女子部屋へと続く廊下を歩きながら、僕は加藤君に尋ねた。

加藤むつみ

飯塚さんがね。
大場君と稲田君の萌え絵を軟弱だってけなしたんだ。
そしたらね

 そこまで話したところで加藤君はコホンと咳払いをした。

加藤むつみ

萌えは今や日本文化の一つとして世界に認められた立派な芸術ですぞ飯塚氏。
それを知らずして美を語ろうとは片腹痛し……ってあの二人に言われちゃってさ

 加藤君の大場・稲田モノマネの出来栄えはさておき、飯塚さんが躍起になる理由はわかった。



 飯塚さんは単純だからわかりやすい。



 女子部屋の前までたどり着いたとき、僕はハッとした。



 宿泊先で女子部屋のドアをノックするというのは、これすなわちナンパ野郎の所業。
 僕にもついにこんな日が。

加藤むつみ

風呂上りで裸にタオル巻いた倖田さんが出てきたりして

 ノックを躊躇する僕の様子に気付いたのか、加藤君がいつもの爽やかさを捨て去り、ニ
ヤリと笑って僕の顔を覗き込んだ。



 確かにイメージがすぐ出てきた。

 そして僕らは追い掛け回されるというベタな展開が……。

 ゴクリ。



 そんな妄想を頭の中で拡散していると、不意にドアが開いた。

倖田真子

何してるのよ

 出てきたのは噂の倖田さんだ。


 幸いというか残念というか、まあ当然というかパジャマ姿だ。

渡利昌也

あ、あの。
飯塚さんが、山根さんに用があるって

倖田真子

山根さんは部屋にはいないわ。
なんで?

 僕は男子部屋でのいきさつを説明した。

えー!
飯塚さんの萌え絵?
見たい見たい

ねえ、私たちも行っていい?

 部屋の中でくつろいでいた女子たちが騒ぎ出した。

加藤むつみ

でも肝心の山根さんがいないね。
どうしようか渡利君

渡利昌也

じゃあ、山根さんは僕が探してみるよ。
加藤君は女子のみんなを連れて先に男子の部屋へ戻ってて

 僕は大勢の女子と一緒に歩くことに恐怖を感じ、加藤君にその役を押し付けた。


 もっとも僕なんかと違い、加藤君ならこの程度のことなどものともしないだろう。



 僕は加藤君御一行と別れ、すぐにコミュニティルームを目指した。


 昨夜の自由時間に山根さんのオリジナル漫画を読ませてもらった場所だ。


 なぜか僕は今日もそこにいると確信していた。



 そして、やはり山根さんはコミュニティルームにいた。

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