花火も終わり、時刻は二十時三十分。
ここからは二十二時の消灯まで自由時間となっていた。
用を足してから男子部屋へ戻ると、おっちゃん顧問と美術部員の東川君しかいなかった。
花火も終わり、時刻は二十時三十分。
ここからは二十二時の消灯まで自由時間となっていた。
用を足してから男子部屋へ戻ると、おっちゃん顧問と美術部員の東川君しかいなかった。
あれ、みんなは?
さあ、どっか行ったみたい。
俺もどっか行こうかな
そう言って東川君はあてのない旅へ出かけた。
おっちゃん顧問と二人でいても楽しくないので、僕も散歩することにした。
上を向きながら、施設の周りを囲む芝の上をのんびり歩いた。
冷たいがとても美味しい空気。満天の星空。
なかなかに気持ちがいい。
しばらく歩いていると、草むらに隠れて施設の中を覗いている二つの影が見えた。
どう見ても不審な人影に恐怖を感じながらも、その正体を確かめようと近づいてみた。
影の正体は例によって大場と稲田だ。
何やってるんです、こんなところで
うわ!
うわ!
僕が軽蔑の意を込めて二人に話しかけると、二人は揃って驚いた。
お、おおう。
琴葉たんの彼氏たんではありませぬか
驚かせるのはやめていただきたいものですな
僕は二人の言葉を無視して、彼らが覗いていた窓の先を見た。
そこは先ほどまで僕らがデッサンを行っていた会議室だった。
その中にいたのは飯塚さんと倖田さんだ。
二人は僕らに背を向ける形で座り、黙々とデッサンを行なっている。
彼氏たん、共に見るなら頭を低くせよ
大場が僕の頭を押さえて、無理やり草むらの影に押し込んだ。
なにするんですか。
ていうか彼氏たんっていう呼び方、やめてもらえます?
シッ
稲田が人差し指を口の前に当てた。
これって覗きじゃないの?
良くないよ
違う。
これは人間観察なのだ
そう。
漫画を描くための、いわば取材というやつだ
そんな言い訳で自分を正当化しようとは浅はかな奴ら。
こいつらと一緒に隠れていては僕まで覗き魔になってしまう。
僕は立ち上がって会議室の中の二人に声をかけようとした。
何覗いてるの?
こんなところで
うわ!
うわ!
うわ!
大場と稲田に釣られて、僕まで揃って驚きの声を上げてしまった。
これでは完全に覗き仲間だ。
振り返ると、そこいたのは加藤君だった。
加藤君は僕らをとがめるでもなく、むしろ身をかがめて一緒に覗きを楽しもうという体勢だ。
あれを見よ加藤氏。
何故自由な時間にまで二人きりでデッサンを続けるのか
ドラマが生まれる予感。
乞うご期待
大場と稲田のふざけた説明を聞くと、加藤君はいつもの笑みを浮かべた。
なるほど、飯塚さんと倖田さんか。
いやあ、あれは既にドラマが始まってるよ
え?
どういうこと加藤君
加藤君は笑顔を貼り付けたまま僕の方を見た。
飯塚さんは単純に自主練としてデッサンをしているだけだ。
でも倖田さんは飯塚さんと一緒にいたいんだよ。
そういえば渡利君、三学期の始業式の日に倖田さんに怒られたんだってね
うん。
商店街のポスターを描きたいって言ったら、僕には任せられないって。
怒られて当然だったと思う。
でもそれがなにか関係あるのかい?
本当はね。
あのときも倖田さんは二人きりでいたかったのさ。
その時間を渡利君に邪魔されて機嫌を損ねたんだよ。
しかも、二回目。
だから渡利君を少し目の敵にしてたかも
え、二回?
僕には覚えがないよ
渡利君が入部した日だよ。
あの日、飯塚さんしか部活に来なかったでしょ。
でも本当は倖田さんも部活に行くつもりだったのさ。
試験後も始業式の日も、部活に行くのは飯塚さんくらいだからね。
飯塚さんと二人になれる数少ないチャンスってわけだ
ここまで聞いてピンときた。
倖田さんと初めて出会った時、冷たい視線で僕を見ていたのはそういう理由があったからなのだ。
僕が入部した日、倖田さんは飯塚さんと二人きりになれる機会を潰され、帰ってしまったのだろう。
冷静じゃなかったんだよ、倖田さん。いつもの彼女なら何かにチャレンジしようとする人を傷つけるようなこと……言わないはずだ
加藤君の笑顔が徐々に消えていった。
口元はわずかに微笑みを残しているが、目はどこか物悲しげだ。
お、中で動きが
稲田の声で再び中を覗く。
先程まで夢中にデッサンを続けていた飯塚さんが立ち上がり、そしてそのまま会議室を出た。
なにが起きた?
恐らく……ションベンかと
大場と稲田の見たまんまの解説を聞き流し、僕は倖田さんの方を観た。
倖田さんは飯塚さんがいなくなったあと、しばらくして肩を落とし、手をだらりと下げた。
そしてうつむいたまま動かなくなった。
その後ろ姿を見てると切なくなってくる。
飯塚さんの頭の中は絵のことでいっぱいだ。
倖田さんもきっとそのことに気づいてる
え?
それじゃあ……
渡利君
慌てて問いただそうとした僕の言葉を加藤君が遮った。
加藤君は最初から知っていたのだ。
飯塚さんが倖田さんに気がないことを。
知っててホワイトデーのキャンディーを仕込んだのか。
加藤君の顔からは笑顔が完全に消えていた。
僕は……倖田さんが告白して、さっさと振られてしまえばいいって思っている
加藤君……って、もしかして……そうなの?
よくよく考えてみれば、加藤君はなぜ僕が入部した日の倖田さんの行動まで知っているのだろう。
加藤君は倖田さんを見ていたんだ。
恐らくいつも見ていた。
渡利君。
僕は君が羨ましいよ
加藤君が意味深なことを言った。
僕はこの場を離れることにした。
十メートルほど離れて振り返ってみると、加藤君は大場、稲田と共にまだ中の様子を覗き見ている。
加藤君。
倖田さんの後ろ姿をそんなところから黙って見てるなんて、悲しすぎやしないか。
僕は加藤君達から目を逸らし、散歩を続けた。夜風にあたりながら頭に浮かんだのは山根さんのことだった。
加藤君は僕と山根さんの関係を誤解している。
山根さんのことを好きか嫌いかで分類するなら好きといえる。
だが恋愛対象として好きなのか、もう僕自身でもよくわからなかった。
山根さんの方は僕のことをどう思っているのだろう。
恐らく何とも思ってない。
僕と山根さんの間には、加藤君が羨ましがるようなことなど微塵もないのだ。
僕はゆっくり歩き続けた。
暗がりに再び二つの人影が見えた。
だが今度の人影はとても小さく、子供のようだった。
夜の闇でほとんど真っ黒だったが、どうやら僕の方を見ているように感じる。
その二つの小さな影が、急に僕から逃げるように走り出した。
こんなところにあの子たちがいるはずない。
そう思いながらも僕はあの子たちの行き着く先に無意識の期待をしてしまい、二つの影を追った。
影は外灯で明るくなっている方へと走っていく。
僕は一心不乱に後を追った。
二つの影が角を曲がり、僕も遅れて角を曲がった。
途端に見失った二つの影。
幽霊のように消えてしまった。
僕は走って乱れた息を整えながら辺りを見渡した。
どうやら施設の表側の駐車場まで来たようだ。
周りを外灯が照らし、薄い霧が妖気のように漂っている。
わ、渡利さん
突然名前を呼ばれて驚いた。
だが、この驚きは急に声をかけられたからではない。
期待通りのことが起こったからなのだ。
僕は声の主を確認した。
そこには、窓を開けて部屋の中から僕を見る山根さんがいた。
ど、どど……どうしたんですか?
山根さんこそ
山根さんがいる部屋はコミュニティルームであり、山根さん以外は誰もいないようだ。
わ、私はですね。
その、明日使うプロットの……ですね。
選考とか……あと、お外の雰囲気とかが良かったので、新作の考案などをですね
おたおた説明する山根さんの顔を見ていると、心が安らいでいく。
山根さん。
漫画、読みたいな
は、はあ。
私ので宜しければ……
山根さんは、漫画の原稿が入ってるであろう大きい封筒を控えめに掲げた。