第11話 立て白銀の我が腕
第11話 立て白銀の我が腕
あの時の一秒を取り返すんだ。
私が今、ここで。
この左腕で!
火傷のアーデルの屈強な肉体が、ロボニャーのキャノピーからふわりと離れた。
刹那生まれた無重力の隙を、クララの瞳は見逃さない。
やあッ!
空中で腰をひねり、脚力と遠心力を足先の一点に乗せる。マーメイ直伝の“耳狩り蹴り(カルチッターレ)”。
振り下ろしざま敵を刻む爪の力を発揮しやすい、多彩なプグナーレの蹴り技の中で最も基礎の部類に属する技。
アーデルの首筋に鋼のグリーブのつま先が食い込んだ直後、細い腰を覆うジェット噴射機が火を吹く。
引力に推進力を乗算し、炎の色の雲をわずかに引いて、クララはそのままアーデルをアスファルトへと叩きつける。
足に伝わる硬い衝撃。
ひび割れたアスファルトの破片と、紫色の飛沫が散る。
お、おああ......
死を目前にして自分に何が起きたのか、マチルダの脳はわずかの間、理解することができなかった。
今誰が、何をどうして、自分は助かったのだろうか。
だが、すぐに正気を取り戻し、同時に体の奥から湧き上がる震えを感じた。
マチルダは、アーデルを蹴り飛ばし自分を救ってくれた新入りの少女の名を、
クララちゃん......うぉっほぅ! クララちゃん、クララちゃんすげえ!
傷つき倒れていたはずの彼女の名を、興奮を隠すことなく繰り返し叫んだ。
おかえり、クララちゃん!
いいところに飛んで来たじゃねえか、新入りちゃん
着地し、わずかに退いて間合いを整えたクララをかばうように、メルとココアが前に立つ。
ショッピングセンターでの戦いを素早く思い出し、ココアは細胞粘菌表皮を焼く焼夷弾を撃ち放つ。
着弾直前、火傷のアーデルはばんと地を蹴り跳躍する。
ビル外壁に器用に張り付き、目のない顔でこちらを見下ろす。
マチルダさん、住民を連れて早く退避を!
う、うん。よろしく!
手の上のフェーレスたちを胸元にかばいながら、マチルダはロボニャーを後退させる。
アーデルたちに背を向けないようにしながら、地面すれすれの低空飛行でそろそろとルクスベースとの距離を詰め始める。
さてと、でっかいあいつは、ミアと私でなんとかするしかないわね......
そうね......やるだけ、やってみましょうか
格闘形態(チェルタ・フォルメ)のコメートの頭上で、ジェシカは接近するクラブ型を苦い顔で見上げる。
ミアも同じく、コクピットの中で強大な難敵を睨みながら、必死に思考を走らせる。
コマンドギアの火力では、堅固な甲殻を持つクラブ型を撃破するのは難しいだろう。
地形と機動力を活かして攪乱し、マチルダのロボニャーが戻る時間を稼ぐしかないか。
迫る絶望を前に、この場にいるルクスの戦士全員が、各々に策を巡らせる。
敵は大きく、強く、多く、さらにはひと癖もふた癖もある。
クララもこの場で自分がどう動くべきかを考えた。
現状、空戦が可能なのは自分だけ。
得体の知れないあの火傷のアーデルを相手にするか。
遊撃手として市街地の小型アーデルの駆逐を優先するか。
それとも。
今ここで自分ができることは、何だ。
コマンドギアたちと連携して、巨大なクラブ型を攪乱するか。
そんな彼女たちの思量思案すべてを吹き飛ばすように、
グレネード弾の爆発が、戦の口火を再び切った。
前脚付近で炸裂したグレネードに、火傷のアーデルが飛び退る。
そこへ。
シゃああっ!
吶喊裂帛(とっかんれっぱく)、黒の風。
独房棟を抜け出し、ホバースクーターで駆けつけた勢いそのまま。
街灯を蹴って跳ねたマーメイの蹴りが、治癒しかけていたアーデルの首筋を再び抉る。
その技は奇しくも、クララの見せた一撃と同じ”耳狩り蹴り”。
だが師であるマーメイが放つ蹴りの威力は、クララのそれを大きく超えて、再びアーデルをアスファルトの瓦礫へ叩きつけた。
電柱の真上にひらりと降り立ったマーメイは、
行ってこい、新入り!
叫ぶと同時に、手にしていた複装支援銃火器をクララに放り投げる。
マチルダさんが戻るまで、お前がデカいのを引き付けるんだ!
くるくると回りながら飛んで来た銃を、クララは片手ではっしと受け取る。
了解(フェッチェ)!
短くはっきり応答を残し、推進装置の炎を吹かす。
クララは再び空へと昇る。
背中と両脚で小刻みに角度を変えていた数機の姿勢制御スラスターが、中空で一斉に後方に向いた途端、かっと青い炎を吹き出す。
巨大な敵へと一直線に、クララは空を飛翔する。
頭上高くを越えてクラブ型へ向かっていったクララの方を、火傷のアーデルはくいと見上げる。
追いかけようともたげた頭を、
シっ!
飛び降りざまに深々と踏みつける、マーメイの踵。
フられた相手を追うのは野暮だよ、執拗(デバ)なヤツだね、みっともない
もう片方の踵でアーデルの頭を蹴り、再び離れて間合いを繕うマーメイ。
だが、蹴り技で刻み込んだ傷は、やはりじゅるじゅると蠢き自己再生を始める。
思う存分リハビリしろ、ってことね
マーメイはつぶやき、舌先でぺろりと唇を濡らした。
歩兵空戦用推進装置アヴィーエは、腰の双筒型の小型推進機と両脚の補助スラスターグリーブで対となる、機動歩兵に翼を与える試みのひとつだ。
脚を覆うグリーブ内部で、足先の動きで大まかな出力制御を行う。
並行して、腰と背中の筋肉の動きおよび重力状態を感知して、アヴィーエは自動的に細かな姿勢制御を行いながら飛行する。
特殊な訓練を積まない歩兵にも空戦を可能にしたこの翼は、CAT全体に配備されているわけではない。
現状、ルクスベースに試作段階のものがたった二機、存在するのみだった。
飛行可能なアーデルの中に、機動歩兵個人で対応可能な類のものが確認されていないこと。
それが開発が頓挫した最たる理由だった。
だが市街地高所へ急行しての迎撃や救助活動など活躍の場は多く、代替品の無いこの翼を、ルクス機動歩兵たちは丁重に活用した。
とりわけ整備長のベラ・ガタオと、新し物好きのマチルダが愛用していた。
走って出撃しようとするクララをベラが慌てて引き留め、これを託したのだ。
飛来する獲物に向かって、クラブ型アーデルはまず大鋏を振るった。
叩き落として体液を浴びせ、骨にして摘んで食うつもりだった。
だがその小さな獲物の加速に、鋏を一瞬振り遅れた。捉え損ねたそれを見失った。
そいつを再び見つけるには、アーデルの単眼の位置は少し高過ぎた。
大丈夫、動かせる。ついていける!
右の手甲に小さく表示された固形燃料ゲージ残量は、ほぼ満タンのグリーンライト。
ベラ・ガタオ整備長自らが、万全の整備を施したアヴィーエは、空戦経験の少ないクララでも、十分思い通りに動かすことができた。
アーデルの脚の間に素早く潜り込んで、クララは急制動をかけ着地する。
右手で銃を構え、街灯より高い位置にある関節部を狙う。
三点バーストのトリガーを二回。だが。
弾けたのは乾いた音と、跳弾の火花。
その硬さにもクララは動揺したが、狙った場所を正確に撃てていない自分の腕不足にも歯噛みする。
そこへ。
あぅっ!?
クララを、背後から重い衝撃が襲う。
器用に曲げた脚先で、アーデルが腹の下を薙ぎ払ったのだ。
煤だらけの公道に顔面をかすめながら、クララは辛うじて体制を戻し着地する。
視界の端で、外れた手甲ががらんと落ちるのを見る。
鈍い振動がまだ全身に残っている。
だが不思議と体のどこにも痛みはない。
間一髪、半身を捻って背中に回した左の手甲が、脚の直撃を防いでいたのだ。
......危なかっ......た?
ごく小さな違和感は、続く鋏の第二撃ですぐに消し飛ぶ。
クララは真横に跳ね、推進装置を吹かし、取り落とした銃を拾って再び上昇する。
グレネード弾に切り替えながら、背後に回り込む。
胴体の形状を見るに、クラブ型は脚を動かさず後ろを振り返ることは出来ない。
だが、四本の脚をがしゃがしゃと置き換えて、器用に立ち位置をずらしながら、
アーデルは両の鋏を振り回し、クララを振り払う。
ループ、ロール、スライスバック。
一撃でも受ければ、それこそ他愛なく潰されてしまうであろうその巨大質量を、クララは知る限りの空戦機動(マニューバ)を駆使して必死にかわし続け、照星の先に敵を見る。
だが。
ああッ!
大きく伸びた鋏を、クララはとうとう避け切れない。
電柱より太く硬い、横薙ぎの鋏の先端が、裸同然の脇腹に深く叩き込まれるイメージ。
全身の装備と骨を大きく揺らすインパクトに、一瞬だけ意識が掻き消える。
ぐい、とクララの正気を取り戻したのは、逆ベクトルの重力。
数十メルテを吹き飛ばされ墜落するその直前、クララの左手ががしりと電線を掴んだのだ。
眼下数メルテに煤けたアスファルトを見て、クララは気づく。
......まただ
今の、私、絶対、防げてなかったのに
大質量が直撃したはずの脇腹には痣ひとつ、痛みひとつ無い。
衝撃を受けてから今の今まで、自分がどう動いて体制を立て直したか、思い出せない。
何が起きたかを示す証左は、電線にぶら下がる左腕に残った、わずかな痺れ。
そして、アーデルの甲殻の微細な破片と思しき、小さな汚れ。
この銀の左腕は、自分の意識の届かぬ外で、動いているんじゃないだろうか。
振るわれたアーデルの脚を、鋏を、この左腕は勝手に受け止め、この身を守ったのではないか。
ぞくり、と寒気がクララを襲う。
手を放して地面に降り、ビル陰に身を隠す。
クララは自分の左の手をまじまじと見つめる。
目の前で握ったり、開いたりするその所作は、確かに自分が思った通りに動いている。
違和感は微塵もない。
だが出撃前にピクシーが口走ったように、違和感のないこと自体が不可解なのだ。
なんなの......なんなの、これ
そして、とうとうクララの目の前で。
左腕は自ずから、クララの意識の外で動いた。
紫色の体液が、クララの頬にぺとりと着く。
それを感じて、数秒の後。
クララは自分の左の拳が、背後に迫っていたミモル型アーデルの頭を、一撃の元に砕いたことを知った。
......ひっ!
プグナーレの技でも何でもない、ただ握って振るった裏拳。
だがその硬質な拳は、フェーレスよりひと回り大きい程度の頭蓋を粉砕するのに、十分な重さと冷たさを持っていた。
何なの、どうなってるの、これ......!
伸ばしたままの拳を、クララは遠ざけるようにしながら見つめる。
紫色の血肉に濡れた白銀の腕は、黙して答えはしなかった。