霊深度

1の、

私は幽霊

CridAgeT

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どういうこと? じゃあ、そもそもなんで幽霊なんかに話しかけてきたのよ

話すと多少長くなる

 姿ヶ背(しながせ)駅。縁もゆかりもなかったけれど、僕はたまたまこの駅を知っていた。

 そこに初めて立ち寄ったのは一週間前の旅行中だった。



姿ヶ背駅は未明線と彼誰線を繋ぐ乗り換え駅だ。行きは別の路線を通ったのだけど、予定が狂って、そのルートでは良い時間で帰れそうもなくなった。



それで僕は、帰りだけこの駅に立ち寄ったのだ。

 駅に降りたとき、なんだか嫌な感じを覚えた。

 ?

慣れない固い感触のコートと、重い荷物、旅の最中にひねった足首も痛かった。でも、それじゃない。

僕はたまたま、数週間前にその駅で人身事故があったことを知っていた。

 思いつめたような表情の少女に目が留まったのは、そのせいだったかもしれない。

……

危うい、

そう思った。なにか危ないことをしようとしている顔だった。

 よく見てみると、いろいろとおかしかったのだ。

その子は、制服を着ていた。確信はなかったけれど、たぶんそうだ。
中学生くらいなのに、平日の昼間にこの子は駅にいた。何一つ持っていなくて、ただホームの隅っこに突っ立っていた。

なんだか嫌な予感がしたのだ。

早く乗ってこの駅を離れてしまおう

 僕の乗る電車が近づいてくる、そのとき、

少女が飛び出した。

 なんて無駄のない動きだろうか、と思った。それまでそんな行為を見たことはなかったけれど、すぐに分かった。

っ……!!

僕 は 足 が 遅 い 。

瞬 発 力 が な い 。

あ、

映画のように うまくは いかなかった。  僕は 指先が 触れ るほどの距離にさえ 近づけなかった。  よく ある演出みたいに 時間が 止まって見えることだ っ て なかった。

僕の目の前で 少女は 電車に入り込んで いった。

えっ……?

瞬きをしたら、風圧で強くなびいていた髪の毛の先が、はためきながら電車の壁をすり抜けていくのが最後に見えた。



衝撃音もなく、急ブレーキもなく、誰一人悲鳴を上げることもせずに、電車のドアが開いた。

 僕は旅行先から帰ってから、荷物を放り出して、しばらく寝込んでいたらしい。

……で、犯人は……鋭利なハサミのような……と目撃さ…………


しばらく旅行を諦めてやっと手に入れた中古のテレビは、ときどき砂嵐になるものの、画面自体はそこそこきれいだった。

……では、次のニュースです

ふと目が覚めたのは、急にニュースキャスターの声が明瞭になったからだろうか。

とある中学校が改築されることになり、卒業生のデザイナーが設計を手掛けることになった、とかいう内容だった。
芸術系の専攻でも何でもない僕は、ただぼんやりとそれを聞いていた。

先輩が私たちの学校を設計してくださるのは、えっと、とても嬉しいです

急に子供の声が聞こえてきた。その学校の美術部の部長に話を聞いているらしい。



なんとなく顔をあげて、僕は、固まってしまった。

どんな学校になるのか、楽しみです

緑川、皐月。

おそらく人生初のインタビューを受けて恥ずかしそうに言う少女は、あの子にまちがいなかった。

えっと……しながせ、駅、と……


 駅名で検索したら、あっさりと人身事故についての記事は出てきた。

男性だし歳も苗字も関係ない、事件性もない、そもそも亡くなってもいないのか。勝手に殺してしまった……



ん? さっきの中学、この駅のわりと近くなのか……

そのとき。

僕はなにか間違えてリンクを押したらしかった。止める間もなく、画面が切り替わる。

『ドッペルゲンガーの増殖』

 黒々とした字で、見出しが大きく書かれていた。続いてゴシック体のようなべったりした文体で延々と記事のようなものが続いている。

『ドッペルゲンガーは、生霊のようなものだ。自分自身の強い意志が具現化したもの、とされることがある。ドッペルゲンガーは自分が無意識にしたいと思っている行動をとるといわれる』

……

『昔からある怪談話ではあるが、ここ最近、それが多く目撃されているという。先に例を挙げたうつ病患者Aさんのドッペルゲンガーのように、自殺を何度も繰り返すものすらある』

……

『ドッペルゲンガーと本人が直接会ってしまうと、ドッペルゲンガーが本人の中に戻り、本人は死んでしまうと言われている』

……

『このことは、あまり話題に上がることがない。また、本人の望む行動をとるならば、もっと目撃証言があってもおかしくない。その原因としては、霊感の強いものにしか見えない存在であることが考えられる。ドッペルゲンガーは生霊、魂の分身であるならば、万人に見えるというのもおかしなことだろう』

……

『霊感

なるものについて補足すれば、これは、死や悪霊に関わることで強まるという説がある。ドッペルゲンガーの増殖は、見える者の増殖とも捉えられるかもしれない』

……

 確証なんてない。

僕はパソコンを閉じた。

なんだか、めまいがする。耳鳴りも。僕はベッドの上にもう一度倒れこんだ。

なんでこのタイミングでこんなものを見つけてしまうんだ?

気味が、悪い。ただの偶然だとわかっては、いるのだが。

……いや。あんな非現実的なもの見て、常識とか偶然とか言ってる場合じゃないか……

そしてもう一つ、不思議だったのだ。

一週間前の授業内容なんてさっぱり覚えていないような落ちこぼれ学生の僕が、なぜか、あのときちょっと見ただけのはずの少女の顔や表情や仕草、制服、左目の近くのほくろの位置まで、完璧に覚えていたのだ。

僕ら大学生の「休める日」というのは、学部によってはけっこうある。

僕は、ひとつ簡単な講義を欠課することにして電車に乗り込んだ。

僕は車窓をぼんやり眺めているのが好きだ。さまざまに目の前を景色が展開していくのも、遠景がゆっくりと動いてゆくのも好きだ。ビルが立ち並んでいてもいいから、ちょっとでも緑があるのが良い。


姿ヶ背駅は地方の小さめの駅だから、近くでは、丘や山をバックに、田畑や荒れ地、小さな住宅地が流れてゆくのだ。春などは、こういう景色の中でこそ桜が映える。と、僕は思う。

 正直、どうするかは考えていなかった。まさかあの生徒に会いに学校に行くわけにもいかない。


ただ、このままでは済まされないような気がした。このまま何もしなかったら、いつかこのことがきっかけで恐ろしいことになるような気がした。

お話の中の、「余計なことを調べずにはいられない主人公」みたいだな


 明らかにおかしいのに、やめられない。

―――まもなく姿ヶ背駅―――

彼誰線にお乗り換えのお客様は、2番ホームでお待ちください―――

思考をさえぎったのは、ローカル線ののどかなアナウンスだった。電車が強い揺れとともに止まる。

ホームの隅っこの席に、あの子がいた。





目が合って、それでもその子は、全く動じることがなかった。
たまたま人と目が合うたびに、期待するのはもうやめた、とでも言わんばかりに。



一メートル手前まで近づいて、初めてこの子は僕の方をまともに見た。

 

君が、『緑川皐月』?

……違う


 少し時間が空いたけれど、彼女はきっぱりとした声で続けた。

私は幽霊

 空気が乾燥しているからか、目が乾く。

幽霊には天候は関係ないけど、幽霊だけ感じるそんな感じのものがあって、今日は散歩したくなる日なんだよね


 幽霊はそう言ってふらふらとホームを歩いた。歩くといっても、膝を過ぎてからだんだん透けてゆく脚に、足はついていない。

きみは、本当に幽霊……?

この駅に棲みついてる地縛霊。生霊じゃないわ


 幽霊は大きな目でじろりと僕を見た。

私は、もう十年近く前に死んでるの。たまたま、私によく似た人間がいるだけ

! 緑川皐月さんのこと、知ってるの?


 僕が問いかけると、彼女は、嫌そうな顔をした。

だってあんなに顔が似て……
あんたあの子の知り合い?

いや、テレビでたまたま見て知っただけだけだから、特には知らない

どういうこと? じゃあ、そもそもなんで幽霊なんかに話しかけてきたのよ

話すと多少長くなる


 そして、僕は起こったことを話したのだ。

……ふーん? あんたがここに来たのって二日前だし、あの子のこと知ったのも最近なんでしょ? なんか都合よすぎない?

  ……

言葉に詰まった。

嘘をついているわけじゃないからやましいことはないけれど、僕自身も、薄気味が悪いとずっと感じていた。

今までこの奇妙な偶然に流されどおしで、抗うことはしてこなかった。なぜか、来る必要のないはずのここに来るのに抵抗がなかったのだ。

まあいいわ


 幽霊はあっさりと言及をやめた。

あの子は一度この駅に来たことがあるの

霊感はないみたいで、まったくあたしのこと見えてなかったけど。
あとは、同級生がここ通って通学するから、たまに写真見たり話を聞く程度。

だから、私も特に関係はない。


でも……

……もしあんたが私のことをあの子に話したりあの子をここに連れてこようっていう気なら、呪ってでも止めるから

 彼女の長い髪が、ざわっ、と揺れた。重力 なんてものは働いてないのだろうけど、それに逆らうように、髪が逆立つ。



気づけば、彼女は先ほどよりもすこし宙に浮いていて、ぐっと顔を突き出して僕の顔に寄せているのだった。

それで、あんたの目的は、なんなのよ?

背中に刃物をかるく当てられたような衝撃が走った。


彼女はゆっくりとした物言いで、顔は平静そのものだった。けれど、散った長髪と全身の圧迫感は、僕を威嚇するのには十分だった。

 

言うべきか、僕は少しためらった。

……君を助けに来た

……え?

 髪が、持ち上げて手を放した時のように、自然に落ちた。
全身が下降して、視線が僕のすこし下くらいまで下がった。


なにより、動揺がその顔には現れていた。

なんで電車に飛び込んだ?

……なんでって言われても


 彼女はしどろもどろになって、目をそらした。

何でもないよ……死なないのか試してみたかったというか、ほら、幽霊見えるあんたみたいなのを脅かしてみたかったというか、……電車の中くぐってみたかったっていうか……その……

なんで電車に飛び込んだ?

 彼女は、僕のほうをきっとにらんだ。


かと思うと、僕の顔をすり抜けるように左手が通り過ぎていった。

バカッ!!


 僕は生まれて初めて、幽霊にビンタされたらしい。

ほ、ほ、ほんっとデリカシーないよね。わけわかんない。けーわい。しんじらんない

ごめん……


 僕は謝っていた。のだが、なぜこんなに怒られているのかさっぱりわからない。

だっ、だって、嫌なんだもん。ほんとに瓜二つなのよ? もう死んでる私はともかく、あの子がユーレイ視えるようにでもなって、私を見でもしたら、もしかしたら……

そもそもなによ。なんなのよ。あれ

ドッペルゲンガーのこと?


 聞くと、彼女は頷いた。

あの記事、見たんだね

電車待ってる人とかの、スマホの画面くらいなら見れるから……

ドッペルゲンガーなんて信じてるわけじゃなかったけど、瓜二つなんだもの。嫌でも気になるわよ。
年齢や生死の差があったらドッペルゲンガーがないとかそんな保証ないし、もしかしたら私は、


……あの子じゃないって思いこんでるだけの、ドッペルゲンガーかもしれない……


 何かが彼女の目から零れ落ちて、僕の手をすり抜けたかと思うと、消えた。

噂話があったの……幽霊は、自分の死に方をそのときと全く同じように再体験すると、成仏できるって……

 

彼女が落ち着くまで時間がかかった。

人通りの少ない駅のすみっこで、僕はただそれを見守っていた。
幽霊の「泣く」なんて変な話だけど、僕には生きてる人と何も変わりがないように見えた。


そして、そっと聞いた。

……君の名前は?

みどりかわさつき

え?

『緑河沙月』なの、私。読みまでおんなじなのよ。ややこしいでしょ? 

……戒名で呼ぶとか、そんな悪趣味なこと言わないよね?

彼女――沙月は、ひとしきり泣いて、元気を取り戻したようだった。そして今度は、僕のことをいっぱい聞いてきた。

あんたの名前は? 霜土(そうど)すばる? ふーん。
何専攻してる? あ、ぽいね。いかにもって感じする。
え、てことは、あの大学? そんな遠いとこに住んでんの? 
あ、一人っ子でしょ。当たった? こういうのはなんとなくわかるもんなの。

ねえ、一人暮らし? 寮じゃないんだよね?そっか。
両親は? 
親戚とかはどうなの、近くに住んでる?

 ――そっか。なら、良い

 沙月は急に真面目な顔になって、僕を見据えた。

私、かなり『弱い』霊なんだよね

つまり、気配がほとんどないの。

私を視ることができる人なんてほとんどいない。そんな物凄く霊感の強い人なんて、今まで五人もいなかった。



……それまで霊感が全くなかったなんて、信じられない。あんたの、やけに都合の良い話も。

あのサイト、鵜呑みにはしたくないけど、霊感が、死や悪霊に関わることで強まるのは本当だと思う。


あんた、なんか最近あった? 事故にでも巻き込まれて死にかけたとか

……あった


 僕が姿ヶ背駅に初めて僕が降り立つことになった、きっかけとなった旅。あの旅は、死との初めての邂逅だった。

……事件に、巻き込まれたんだよ

事件?

たぶん通り魔。僕のすぐ近くで、急に、人が刺されたんだ

 色彩感覚が狂ったのかと思った。


 みぞおちを背中から突くような感触があったかと思うと、その人が僕の背に倒れてきた。
ひどく重くて、そのときに足首をひねったのだと思う。

人の肌がたちまちのうちに信じられないほど真っ青になっていった。

反対に、鮮やかな橙が視界を埋めていった。




顔に、温かいものがかかったらしかった。

周囲の音は何一つ聞こえなかった。
ただ、拍動だけがうるさかった。計るまでもなく、全身がだくだくと波打っているのがわかった。




そうだ、あのときから、妙に五感がおかしくなりだしたのだ。

……もうすっかり霊感が強い人の体質になっちゃってるね

体質?

知ってるでしょ? いざというとき記憶力上がったりさ、危ない目に遭ったときに身体能力高くなるあれ。あと、お化けに憑かれやすくなる

いや、初耳だけど

あのさ、守ってあげようか?

え?

私は今まで地縛霊みたいなものだからこの駅から出られなかったけどさ、あんたに憑くことにすればあんたにはくっついていけるよ。
そうすれば、また電車に飛び込んだりしないし、あんたも納得でしょ? 

代わりに本読ませてよ。あと、テレビ。スマホ覗き見だけじゃつまんないんだよね

そんなことで良いのか?

それが良いの!
……すばる君

僕と沙月の目の前で、火花が散ったような気がした。

霊深度+ 2へ続く……

ねえ、ところで、その通り魔捕まったの?

いや、逃亡中らしい

……ふーん

うーん、良く寝た……昼寝しちゃった

 緑川皐月は、久しぶりに平穏な日々を過ごしていた。

 ここ最近、

姿ヶ背駅で一人でいるとこ見たけど、どうしたの? 家、学校の近くだから通学路じゃないよね?

そう言われることが何度かあったのだ。


平日の朝や昼間、終電近くにまでいると言われた。
姿ヶ背駅なんてそうそう訪れないのに。

 それが、一週間ほど前、

さっちゃん、なんかイケメンと歩いてなかった?


なんて聞かれたのを最後に、姿ヶ背駅でそっくりさんは現れなくなったらしい。

よくわかんないけど、現れなくなったんなら、いいや


 皐月は机に突っ伏した。

 緑川皐月、十四歳。霊感、今のところ全くなし。

霊感覚醒まで、あと霊深度4。

霊深度プラス1の  「私は幽霊」

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