光明寺駅から乗り継ぎを繰り返すこと一時間。




 ド田舎というほどでもないが、無人で静かな駅のホームに僕らは足をつけた。



 僕らというのは、美術部と漫画研究部の部員二十四名とそれぞれの部の顧問二人。


 総勢二十六名の男女である。




 加藤君が提案した合宿はあれよあれよと話が進み、今こうして春休みを利用した二泊三日の合同合宿が実現したというわけだ。

さあさ。
施設からの送迎バスがもう来てるはずだから、ちゃちゃっと移動するわよ



 朝から元気よくみんなに声掛けしたのは、漫画研究部のおばちゃん顧問だ。



 おばちゃん顧問は漫画に詳しいわけではなく、指導者としては難があるらしい。


 だが活気に満ち溢れており、ここぞという時には色々と世話してくれるそうだ。




 今僕らが向かっている宿泊施設も、彼女が手配したらしい。


 漫画研究部の部員たちと楽しそうに会話しているおばちゃん顧問と見比べるように、我が美術部のおっちゃん顧問に目を向けた。


 彼は、控えめな大きさの茶色いスーツケースを細い腕でガラガラ引きずっており、あくびをしながらみんなの後を黙ってついてくる。


 まったくもってやる気が感じられない。


 こうなってくると、微妙に薄い髪の毛にもケチをつけたくなる。


 いっそのこと豪快に禿げたほうが清々しいのに。



 同じお飾り的な顧問でも随分と差があるなぁと思い、僕はため息をついた。







 改札を抜けて駅前の広場へ出た。


 真正面には下町感がにじみ出る、のどかな町道が一直線に伸びていた。


 その町道の脇にはおばちゃん顧問の宣言通り、一台のマイクロバスが止まっていた。





 おばちゃん顧問の先導に従いバスへと乗り込み、バスに揺られること三十分。



 窓の外は、山や畑が広がる田舎の景色へと移り変わっていった。


 斜めから差し込む朝日があまりにも気持ちよくて、僕は完全に熟睡していた。




 バスが農道へと差し掛かってから更に一時間ほど経っただろうか。




 バスがゆっくり停車した。


 どうやら宿泊施設へとたどり着いたらしい。


 日も出ていない早朝に集合したはずだが、時刻は既に十時半だ。




 バスから降りると、施設を取り囲む森の静けさが深呼吸を促した。


 さらにあたかかく浴びせられる日の光。


 なんとも気持ちがいい。

いいねぇ

空気が美味しい

温泉もあるんだって


 みんなが大自然の恩恵をありがたがっている。

飯塚俊司

最高の環境だなぁ


 飯塚さんがバスから飛び降りて、でかい着地音を響かせた。


 飯塚さんのフルボイスが辺りの景観を震わせた。

倖田真子

うるさいな


 倖田さんが、すかさずみんなの意見を代弁する。




 バスのトランクから荷物を降ろし、各自部屋へと向かった。


 男子部員は美術部と漫画研究部を合わせても六人しかいない。


 よって、おっちゃん顧問含めて七人が一つの部屋に押し込められて、雑魚寝することとなった。



 部屋の窓からは昔話の絵本に出てくるような、ド田舎の村が一望できた。



 僕はその風景を見た瞬間、踊っていた心がさらに跳ね回るのを感じた。

大場氏

おお、稲田氏。
絶景かな絶景かな

稲田氏

ふむ。
興味深い。
このような場所に猟奇殺人あり。
大場氏。
なにかあるぞこの村


 わけのわからないことを言いだしたのは漫画研究部の二人だ。



 以前、僕のことを山根さんの彼氏だと決めつけ、山根さんを『琴葉たん』などと呼んでいる不愉快な連中である。



 この二人がしゃべりだすと上がっていたテンションが急降下してしまう。


 願わくば一切喋らないでいただきたい。

飯塚俊司

よし、いくぞう


 飯塚さんが部屋でくつろぐ僕らに向かって言った。

飯塚俊司

オラこんなむらぁいやだー。
いやいや、良い村だべぇ

 突然歌いだすわ訛りだすわ、飯塚さんのテンションは相当なものらしい。

渡利昌也

なにあの歌

加藤むつみ

昔の歌だよ。
吉幾三、知らない?


 どうでもいい僕の質問に加藤君が答えた。



 部屋に着くなり横になって眠り始めたおっちゃん顧問は放っておき、僕らは集合場所である会議室へ向かった。



 この宿泊施設は学生の合宿支援を謳っており、料金も格安だ。



 会議室の他に、研修室、多目的ホール、調理実習室、外にはグラウンドや小さめな体育館、建物から少し離れたところにはテニスコートまである。

 とはいえ、沢山の施設が揃っているのにもったいないのだが、今日の活動は会議室だ。



 この合宿の目的は互いの技術を学び合うことにある。



 初日は美術部のデッサンを漫画研究部に学んでもらおうということになり、活動の場として会議室がふさわしいということになったのだ。




 会議室に皆でイーゼルを並べた後、一旦食堂で昼食を堪能した。


 そしてまた会議室へ戻ると本格的に合宿が始まった。



 漫画でも一番役に立ちそうな題材ということで、モデルを立てた人物画を描くことになっていた。


 人物デッサンといえばヌードか。


 ゴクリ。



 などと微かな期待感を膨らませていると、飯塚さんが上着を脱ぎだして上半身裸になった。

きゃっ

ちょ、なにやってんですか部長

飯塚俊司

人物画だろ?
見て見て見て、この筋肉


 美術部の女子たちから浴びせられる反感など物ともせず、飯塚さんは自慢の肉体を惜しみなく披露した。


 漫画研究部の女子は完全に引いてしまっている。


 飯塚さん、漫画研究部の技術を盗むとか言っていたが、ここに来て登りゆくテンションを抑えきれないようだ。


 どことなく今日の飯塚さんはアキオ君っぽい。



 僕はピクピク動く飯塚さんの大胸筋を見ながら、まさか下も脱ぐのかと不安になって周りの反応を伺った。


 こういう時すぐに注意しそうな倖田さんは、飯塚さんの身体をボーッと見ていた。


 加藤君によると倖田さんは飯塚さんのことが好きらしいが、まさか見とれているのか。


 百年の恋も覚める瞬間だと思うのだが。



 そして大半の人が拒否反応を示している中、もう一人、飯塚さんの肉体美を舐めまわすように見ている人物が目の端に移った。



 山根さんだ。



 彼女の光るメガネが、まるで飯塚さんの頭のてっぺんからつま先までを隅々まで分析する高度な機械に見えてくる。


 山根さん、やる気は十分のようだ。

倖田真子

バ、バカ!
モデルは先生って言ったでしょ。
早く服着なさいよ

 倖田さんが我に返り、顔を赤くしてようやくお叱りの言葉を投げかけた。



 人物画といえばヌード……。


 まさか先生の……。


 ゴクリ。



 と心配した僕だったが、服を着たままだったので安心した。



 ちなみに先生というのは漫画研究部の顧問であり、美術部顧問はこの会議室にすらいない。



 モデルをかって出た先生への配慮として、椅子に座りながら好きな小説を読んでもらうことになった。


 本を呼んでいる人物をデッサンするというわけだ。





 一時間毎に休憩を設け、紅茶を飲みながら皆の絵を見て回る。


 この時間が日向ぼっこにも似た、なんとも贅沢な時間に感じた。



 僕はこの休憩時間、意識的に山根さんを見た。



 実は朝の集合からここに来るまでの間、僕はなるべく山根さんへ目を向けないようにしていたのだ。



 それは単純な恥ずかしさと、恋に恋している自分を否定したかったからだ。



 山根さんは飯塚さんと話していた。



 会話というより、飯塚さんが山根さんの絵を真剣な顔で観察しながら

飯塚俊司

この部分、やはりうまいなぁ

とか

飯塚俊司

細かいとこ見てるなぁ

などと言っており、それに対して山根さんが

山根琴葉

はあ、そうですか

と返している感じだ。



 二人が目の届かない高い山の上で話をしているように感じて、僕は寂しい気持ちになった。





 夜の六時を過ぎ、本日のデッサンが終了した。


 お風呂に入り、待ちに待った夕食を終えたあとは、みんなのデッサン画を並べて講評会を行った。



 こうして並べてみると、漫画研究部の部員たちも美術部に負けず劣らずの画力を持っているのがわかる。



 だが、あの変な喋り方をする漫画研究部の男子二人組のやつは、見るからに変な絵柄だ。



 デッサンというものを無視してるんじゃないか。



 こいつらにだけはひょっとして勝ったのでは……。


 と僕は思った。

飯塚俊司

漫研のみんなもなかなか侮れんが、山根さんのは郡を抜いてるな。
ひょっとして倖田さんより上手いんじゃないの?



 飯塚さんが腕を組んで山根さんの画力を賞賛した。



 僕は飯塚さんの言葉で倖田さんの気を悪くさせてしまったのではと思い、恐る恐る倖田さんの顔色を伺った。



 倖田さんは顔を真正面に向けたまま、一瞬だけ飯塚さんを横目で見たが、すぐにデッサン画の方へ目を向け直した。



 倖田さんの横顔が少しだけ寂しそうに見えるのは、僕の気のせいだろうか。

加藤むつみ

確かに山根さんは上手いですが、基本に忠実すぎるというか。
倖田さんの方が独特のタッチを持っていて、コンクールでの受賞は確率高そうですね

 加藤君が絶妙なフォローを入れた。

倖田真子

そういう印象値の観点で見るなら、大場と稲田のデッサンはなかなかトリッキーで面白いな


 加藤君の気遣いなどどうでもいいと言わんばかりに倖田さんが意見を述べた。



 倖田さんが目をつけたとなると、あの二人の絵も僕の目には測れない芸術点があるのか。

 こいつらが褒められると何がなしに悔しい。



 僕のデッサン画については「まあ、がんばれ」以上の評価はされず、講評会は幕を閉じた。




 講評会の後、施設の庭で季節はずれの手持ち花火を楽しんだ。


 僕は倖田さんのどこか寂しそうな横顔を思い出した。


 彼女は、キャッキャと黄色い声を上げてはしゃいでいる女子たちに混ざって、落ち着いた微笑みを浮かべている。



 飯塚さんは倖田さんのことをどう思っているのだろう。



 手持ち花火を両手に持って走り回っている飯塚さんを見ていると、この人の恋愛ざたなど想像がつかない。



 倖田さんはホワイトデーの時にもらったキャンディーが加藤君の計らいとも知らず、飯塚さんに好意を持たれていると思っているはずだ。


渡利昌也

ねえ、加藤君。
やっぱりホワイトデーのときの、まずかったんじゃないかな


 僕は加藤君の肩を叩いて言った。

加藤むつみ

なんのこと?

渡利昌也

ほら、倖田さんにだけキャンディー渡した件。
倖田さんを見てたらなんだか可哀想になってきて

加藤むつみ

大丈夫だよ。
そんなことより渡利君こそ、山根さんの方はどうなの?
ほら、今なんて丁度話しかけやすいんじゃないかな


 加藤君は笑顔を崩さず、持っていた手持ち花火の先を山根さんのいる方へ向けた。



 山根さんは女子の輪から少しずれたところで、手に持った線香花火を睨んでいる。

渡利昌也

いや、別に。
もういいや

 山根さんの話題を出されて照れくさくなった僕は、倖田さんの件も含めて話を終結させ

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