第10話 屍山 血の河 旋風
第10話 屍山 血の河 旋風
こいつらもクラブ型みたいに地下を動けるのね、器用だこと
鉄格子をたやすく切り裂いたミモル型アーデルを前に、憎らしげにマーメイは呟く。
とうとうこのルクスベース内部に侵入を果たしたアーデルは、クラブ型のそれと似た武骨な鋏の片手を持つ、見かけたことのない特殊なミモル型だった。
マーメイの両手と両脚はそれぞれ、電子認証つきの手錠と足錠で拘束されている。
ロックした本人、あるいは幹部以上の者が持つIDカードでのみ解錠が可能な、堅固な錠前だ。
その鋏で、これをばっさりやってもらえるとありがたいんだが。
冗談を声に出さず飲み込んで、マーメイは不自由な四肢で身構える。
まともな身動きの取れないマーメイを前に、アーデルは口をばっくり開いて突進する。
ことミモル型アーデルは、フェーレスを見つけるとまず頭を狙って喰いつく。
頭を潰してしまえばフェーレスは動かなくなり、じっくりと食事を楽しめると、この捕喰者は本能から知っているのだ。
そして、
しィッ!
マーメイも充分にそれを理解していて、不自由な両足で後ろに跳ぶ。
背中を柔らかくしならせ、両手を床にとんと付く。
強靭な体幹と大殿筋で振り上げたつま先が、鋭利な弧の軌道で空気を裂き、
顎から頭頂部へ、アーデルの頭部を真っ二つに断ち割る。
散った紫色の体液が、ぴたりと逆立ちしたマーメイの背にたたっと散る。
披露したサマーソルトをゆっくり巻き戻すようにして、再び床にとんと立ったマーメイの耳に、
マーメイ、無事ですか?
少々久しぶりのピクシーの声が届き、ほっとする。
相手が一匹で助かりはしたが、さすがにこの状態で複数のアーデルと戦うことは難しそうだ。
ごぶさた、リーダー
ええ。思ったよりも元気そうで何よりです
片手と肩で意識のないミスティを支えながら、ピクシーは銃を置き、空いた手で彼女の身体をまさぐる。
軍服のポケットにIDカードを見つけて引っ張り出す。
おかげさまで。
状況、きつそうね
冗談をさらりと流し、マーメイは両手をピクシーに向ける。
手錠のスリットに一度カードを走らせると、小さく電子音が鳴ってロックがはずれる。
ピクシーからカードを受け取り、同じく足錠のロックを解除しながら、
……あの新入りは?
マーメイはぽそりと訊ねる。
ピクシーはそんなマーメイの表情をちらりと伺ってから、
外に向かわせました。
たぶんこっちより街の方が、彼女の手がいるはずですから
大丈夫なんですか。
その、あんなので
わずかに擦り傷のできた手首と足首を回しながら、マーメイはつぶやく。
あんなの、という言い方が意味するところを、ピクシーは少しの間、図りかねていた。
だが、それは経験の浅いクララを揶揄した風に言いながら、その実彼女の容体を気遣う本心から出たものだと気付き、
心配ですか。
まあ、生きて外に出ないとあの子を見守ることもできませんよ
ピクシーは小さく微笑む。
そして、階上から聞こえてくる、明らかにフェーレスのものでないべたついた足音に、二人は素早く意識を向け、戦意を研ぎ澄ます。
ただでさえ敵は、多いんですから
違いないわね
ピクシーの言葉にマーメイは、気を失ったままのミスティを一度ちらりと見てからうなずく。
そして、ほぐした両手両足で静かに構えを取り、敵意の充満した上り階段を睨みつけた。
そ、そんな! 電叉が動いてるのに、効かな――づッ!
アーデルの振り下ろした硬い大鋏が、コクピットを内蔵したロボニャー頭部を圧し潰した。
パイロットの短い悲鳴を最後に通信は途切れ、制御を失った人型兵器はゆっくりと仰向けに倒れる。
新鮮な血の臭いを嗅ぎつけたのか、動かなくなったロボニャーにモル型アーデルたちが群がる。
頭頂部のキャノピーによじ登り、力任せに殴りつけ、歪んだ装甲をこじ開け、我先にと潜り込む。
に、西側のモル型アーデル、残数およそ四十、殲滅率二十パーセント弱!
ダメです、防壁まで押し切られます!
ユキ、前線に出て場をつなげ。
5分でいい、私が出る
仰せのままに
ここにあるロボニャーも、電叉射突槌(トニトラ・マレオ)を持たせて出せるだけ出させろ。
多少不慣れな者でもかまわん
カラカルは軍服のジャケットを脱ぎ捨てながら、オペレータたちに指示を出す。
近辺に大型アーデルの出現が少なく、代わりに小型中型の出現頻度が高いルクスの配備兵力は、他のCAT支部のそれと大きく異なっている。
対大型アーデル戦に用いる十数メルテ規模のロボニャーは少なく、代わりに十メルテ未満で小回りの利くコマンドギアが好まれるのだ。
ルクスが保有するたった二機のロボニャーは、どちらも十年近く前、対アーデル用二足歩行戦闘ロボの開発黎明期に好まれた、十式M型と呼ばれる型落ちの量産タイプだった。
それも、他支部で新型が採用された際に配備を解かれた、払い下げ寸前の中古品。
ムルムルや他支部で運用されている現行型の十四式とはコクピットのインターフェイスも異なる部分が多く、若い兵の中には扱える者もほとんどいなかった。
一機にはすでにムルムルのパイロットが乗り込み、急ぎ出撃態勢を整えている。
だが、もう一機は。
ロボニャー二号機、通常装備のまま南ゲートから発進……
えっ、マチルダさん!?
ルクスベースを飛び出したロボニャーと通信回線をつなぎ、表示された搭乗パイロットの認識コードにオペレーターが声を上げる。
捕獲用装備も持たず、進路は南ブロック居住エリアへ向いている。
その“おちゃめ”は少々迷惑だぞ、マチルダ
わずかに苦い顔で口走ったカラカルも、一人のムルムル兵を連れて指令室を後にする。
早足で通路を行く途中、軍服のシャツもぐいと脱いで傍らの兵に手渡す。
タイトスカートのサイドホックを外しながら、上半身裸でガレージにたどり着く。
待ち受けていたもう一人の兵から、クリーニングの済んだ愛用のパイロットスーツを受け取り、まっすぐに袖を通す。
全員固まって、離れず進め! ルクスベースまであと少しだ!
慌てず騒がず、ゆっくりでいいですからね。
後ろはしっかり守りますから!
その背に守る住民たちを叱咤しながら、メルとココアは複装支援銃火器のトリガーを引き続ける。
四方から襲い掛かるミモル型アーデルたちを迎え撃ちながら、ルクスベースへ続く大通りへ向かい、少しずつ、少しずつ進む。
すでに大半の住民を乗ってきた輸送トラックに詰め込み、先に走らせていた。
残された十数人の住民とメルたちが、運動公園で迎えを待つ間に、一体の奇妙なモル型を伴って多数のミモル型が現れた。
恐怖に襲われ散り散りになった住民のうち、何人かがアーデルの餌食となった。
これ以上の混乱を防ぐ為、見通しのいい大通りをひと固まりになって進み、少しでもルクスベースへ近づいた方がいい。
リーダーおよびサブリーダー不在の機動歩兵部隊、メルたち四人はそう判断し、住民を護衛しながらの移動を開始した。
こいつ、クラブ型の……!
コマンドギア“メテオーア”を駆るミアの前に現れたモル型も、その片手がクラブ型に酷似した大鋏状に変形していた。
自家用車のルーフをやすやすと切り裂くその剛力と鋭さに、二人のパイロットは息を飲む。
彼女たちはまだ知り得ないが、それは地下の独房棟に侵入したミモル型と同じ、多種の特徴を取り入れ変異した特殊個体だった。
住民たちの前方に回り込もうとするそのモル型を、機銃でけん制し阻むミアのメテオーア。
鋏の表皮の硬い甲殻を、その銃弾は浅く削るのがやっとだった。
だが住民への二次被害を考えると、重火器の類は使えない。
ミア、そっち大丈夫なの?
ジェシカのコマンドギア”コメート”は、半オートパイロット駆動のビーストモードでメルとココアを援護する。
光学センサー映像解析でのフェーレス識別機能で、味方や住民に重ならない射線を割り出し、四足歩行で自発的に移動して機銃を浴びせる。
メルたちとコメートが二十余りのミモル型を蹴散らしたころ、
じぇ、ジェシカお願い!
モル型アーデルと組み合ったメテオーアから、通信越しにミアの悲鳴が上がる。
振り下ろされた鋏の切っ先を両のアームユニットで挟み、キャノピー手前数ミリメルテで辛うじて押し止めている。
慌ててメルたちが銃撃を集中させるが、アーデルが怯む様子はない。
み、ミアっ!
コメート、『格闘形態(チェルタ・フォルメ)』
ジェシカの声に応じ、四つ足で動き回っていたコメートが後脚で立ち上がる。
二足歩行での格闘戦モード。
メテオーアの頭部に鋏をじりじりと押し込むアーデルに、クロ―アームを振り上げたコメートが飛び掛かろうとしたその時、
よいしょっ!
ビルを飛び越して現れたロボニャーが、
メテオーアに組み付いたアーデルを、真横から思い切り蹴飛ばした!
マチルダさん! く、来るの遅いですよ……っ!
わずかに震えた声で文句を言いながらも、ミアはメテオーアの体勢を立て直す。
間髪を入れず照準を合わせる。
へし折れた街灯ごとビル壁面に叩きつけられたアーデルに、有人無人のコマンドギア二機が、示し合わせたように左右から機銃を浴びせかける。
ごめーん。
でも広いところ出てきてくれてて助かったよー。みんな、ナーイス判断!
ロボニャーのマニピュレーターも、そこへ重ねるようにトリガーを引く。
ショートバレルを唸らせるサブマシンガンの弾丸の雨が、アーデルを容赦なく白と紫の肉塊へと変えていく。
標的がおよそ無力化したのを確かめ、マチルダのロボニャーは火器を背部マウントラッチへ収める。
そして。
住民の皆さーん、ロボニャー乗ってみたくないですかー?
外部スピーカーから響いたのは、マチルダの間延びした声。
言うなりそのロボニャーは、怯える住民たちの前に膝をつき、両手を揃えて差し出す。
この上に乗れ、と言わんばかりのポーズだ。
おっ、それは助かるぜ。マチルダさん!
守りながらの戦いは、確かにちょっとしんどいですものね
――さあ皆さん、乗ってください!
ココアとコマンドギアたちに守られながら、メルの指示に従ってロボニャーの手に乗り込む住民たち。
手のひらだけでは足りず、何人かは手首にしがみついて、それでも辛うじて全員が乗ることができた。
ロボニャーはこわれ物を扱うように手をそっと持ち上げ、ゆっくりと膝から立ち上がる。
あっれー、あの子
と、マチルダは住民の中に見覚えのある顔を見つける。
大人たちに混じり、ひとり小さく膝を抱えて震える少女。
コクピットのキャノピーを開け、身を乗り出して声をかけようとする。
だが。
地震、じゃなさそうね。ミア?
ひびと弾痕だらけの舗装道路が、縦方向に小さく揺れ出した。
ば、バイタルセンサー、ショートレンジで……
そ、そんな!
張り詰めたミアの声に、誰もが身を強張らせる。
そして。
クラブ型さらに一体、来ます!
誰もが抱いたその予感通り、ビルの向こう側で土砂が空へと吹き上がった。
細かなアスファルトと土の破片が降り注ぎ、フェーレスたちの全身を打つ。
ロボニャーの手が塞がったタイミングでこれか……! くっそ、こいつらァ!
地下防壁、全然仕事してないじゃん!
倒す端から次々と現れるミモル型たちに、ココアは苛立ちをぶつけるように複装支援銃火器の散弾を叩き込んでいく。
ジェシカはコメートの頭部にひらりとまたがり、操縦桿のスイッチ群を素早く指で弾き、マニュアル操縦モードに切り替える。
マチルダさん、先に行って! ここは私たちで何とか……!
ゆっくりと頭をもたげたクラブ型の、街に影を落とすほどの圧倒的な巨大さに、見上げる誰もが息を飲む。
今この状況で、フェーレスの肉を溶かす体液を全身から振り撒かれたら。
マチルダはわずかな時間だけ迷った。
だが、このロボニャーで戦うことのできない今は、住民の安全を確保してから、一刻も早くここに戻るしかない。
わ、わかったー!
じゃあごめん、みんな、あと――
退却を選ぶ他無いと判断したマチルダの頭上を、赤い影がゆらりと覆った。
……え?
半開きのキャノピーの上には、いつの間に飛び移ってきたのか、一体のモル型アーデルがいた。
頭部が火傷で醜く爛れた、いつか戦い、倒し切れず逃してしまった、あの時の。
くわ、とそいつが口を開けるのが、マチルダには妙にスローモーションに見えた。
ぱかりと開いた口腔の中に、紫色の涎と、奇妙に白い臼歯が、やけにはっきりと見えた気がした。
あっ、これ、ダメかな
そんなことを思ったマチルダは、自分の手も、脚も、まるで夢の中にいる時のように、思ったように動かせないことに気付く。
灰色の空を背に、ゆっくりと接近し、大きくなる、自分を喰らわんとするアーデルの口。
やだなあ。ちょっと、おちゃめしすぎたかなあ
様々な後悔と一緒に、何とも静かな苦笑いが浮かんでくるのを感じながら。
マチルダが目を閉じようとした、その時。
お姉さん――ッ!
天を射抜いたのは少女の声と、凛然たる一閃の旋風。
アーデルの下顎を重く砕いた、その旋風の正体は、
――させない!
大地垂直二十メルテをただ一瞬に吹き抜けた、クララ・キューダの白銀の拳だった。