暗い夜だった。
彼女の世界色を失った日に見上げた満月。
まん丸のお月様と雲たちは、モノトーンに鮮やかさを失って、虚ろに浮かんでいた。

振り返れば、点々と続く綺麗な紅。
それを垂らしてるのは、自分。
自分は、悪くない。何もしていない。
じきに、警察が来てくれる。証明をしてくれる。
潔白を、無実を。
わたしは真っ白だ。真っ黒じゃない。

思い返せばこの人生、尽く運に恵まれていなかった。
常に隣には不運が付き纏っているような。
生きているだけで、何かしら良くないことが起きる。

羽美の名前は羽が美しいと書く。
これは、当時の叔母が羽美の事を考えて直してくれたものだという。
両親が彼女につけようとしていた本当の文字は『膿』。
人名に、況してや女の子に名付ける名前ではない。
だが、両親は羽美の事を毛嫌いしていた。
我が子でありながら、その存在は忌避すべきものだと。

元々、子供がなかなか出来なかった夫婦だったらしい羽美の両親。
漸く子宝に恵まれて、授かったことに大喜びしていたのも束の間。
生まれてきた子供は……先天性の虹彩異色症だったのだ。
俗に言うオッドアイ、あるいはヘテロクロミア。
左右の目で色が違う事を示す。

しかも右目の黄土色の瞳には、目としての機能が備わっていなかった。
……彼女は、生まれつき右目が見えなかったのだ。

両親はそれを知ったとき、呆気なく狂ってしまった。
彼女の存在を認めようとしなかった。
母は、周りと違う我が子を受け入れることができなかった。
招来、来るであろう差別や周囲と差を恐れて、羽美を殺そうとしたこともあったらしい。
父は、蛇蝎の如く羽美を嫌った。
こんな出来損ないは我が子ではないと彼女に罪はないのに認めようとしなかった。
本人からすれば、何も悪いことはしていない。
望まれて生まれた希望のはずが、気が付けば家族を壊す破滅そのものと成り下がってしまっていた。

周囲の親戚は、発狂している両親に幼い羽美を預けるのは危険と判断して、夫婦から子供を奪った。
普通ならば抵抗するはずが、彼らは喜んでその厄介物を押し付けて、二人は新しい子供を作ろうと、目の前の現実から逃避した。
夫婦の中では、羽美は居なかったことにされてしまった。

両親の懸念通り、成長した羽美は様々な障害にぶつかり、その度自分は運がないのだと諦観するようになった。
この左目に映る世界は、どうせ自分のような存在を認めないのだと、そこにあるモノを受け入れて、俯いて歩いていた。

運命を変えたのは、羽美が両親から離れて10年が経過した頃の羽美の誕生日だった。
その日、遅い時間帯に用事があると言うので、呼び出された羽美は辟易しながら両親の家を訪ねた。
そこで彼女の左目が目の当たりにしたのは……。

首を吊っている両親だった。

彼らは、まるで見せつけるかのように小学生の羽美に、自らの死体を発見させたのだ。
これは奴らの最期の八つ当たりなのだと、羽美は空に浮かぶ両足を見つめながら感じた。
こうして自分の存在を死ぬまで認める気はなかったと。
所詮、羽美は失敗作なのだと死んでまで言いたかったのだろうか。
成功した二人の子供に比べて。
羽美には二人の妹がいる。
その二人は羽美の姉妹にあたるのだが、生まれてこのかた一度も見たことがない。
何せ、親戚に育てられた失敗作と、両親の下で愛情を注がれて育った姉妹だ。
出逢えば、確実に険悪になる。

わざわざ誕生日に呼び出して、挙句にこの始末。
ここまで何もしてないのに恨めるとは、大したものだ。
羽美は鼻で笑った。
同時に悟る。
自分だけが、姉妹の中で、酷い目にあっている。
自分だけが、苦しむように両親に呪いをかけられている。

それって、どうなんだ?

わたしだけ?

この瞳のせいで、人生そのものを拒絶されている?

巫山戯るな……。
何で、わたしだけ……。

わたしだけがこんなことばかりを強要されるんだ!!

憎い。
世界が憎い。
周りの人間が。
周りの風景が。
周りの構成する物体が。

ぶち壊したい。
ぶち殺したい。

幼いながらに漠然と羽美の中に生まれた『膿』。
それを人は憎悪、怨恨、様々な腐の感情の名で呼ぶ。
羽美は元々この世に生を受けた時点で『膿』であり、『羽美』と呼ばれたことは一度もなかった。
絞り出されることもなかった、積もりに積もったその感情がこの時、一度だけ顔を覗かせた。

羽美は思った。
壊したい。殺したい。
自分を生み出した世界を気が済むまでいくらでも。
それが叶うまでは、取り敢えず生きてやる。
運のないのは何時ものことだ。
これがいつか最高の幸運になるまでは、生きてやる。

万が一と持ってきた果物ナイフで、無意識のうちに傷を付けながら、彼女は持たされていた携帯電話で警察に通報した。
淡々と、ウチの馬鹿親が玄関で首吊って死んでいる。
早く片付けて欲しいと、冷静を通り越して冷淡に、10歳とは思えない冷たい言葉で伝えた。

そして、彼女はその場を去った。
あんな死骸を見ていると、気分が悪くなる。
ポタポタと腕から流血させながら、彼女は帰った。

そういえば、あんなことをすれば疑われると思ったが、どうせ自分は無実だ。
そのままを伝えればいい。警察は馬鹿じゃない。
点々と血を残していることに気づいたのもこの時だった。

それからは大騒ぎだ。
両親の葬式では身内では唯一顔を出さずに、一切何も手伝わず、遺産も相続せず、親戚に任せていた。
周囲はそれをあんなものをみせられたら当然だと彼女を擁護して、両親を批難した。

遺された妹の一人は、姉を恨んでいた。
やはり姉は、家族を崩壊させる疫病神。
生前からあの失敗作は必要ないと聞かされていた彼女は、姉なんていらないと思っていた。
それが長く続く、憎しみの日々への序曲になる予感もあった。
一度も顔を見たことはない。
だが、出逢えば絶対に分かる。
同じ両親から生まれた娘同士。
血の繋がった姉妹だから。

そして今。
その妹と姉は初めて出会った。

彼女たちもまた、同じ学園に通っていたらしい。
少なくても、羽美は知らなかった。
苗字が既に違うのは家が潰れて、彼女達が違う家庭に引き取られたからだった。
辛うじて、名前だけは知っていた。

羽美

……へェ
初めて見たけど、酷い顔をしているもんだね
あいつらそっくりだよ
……わたしと違ってよく似てる

羽美

優子と光、だっけ?
何でお前らまでここにいるの?

彼女達を見たときに直感した。
こいつらとは、同じ血が流れていると。
忌々しい血を分かち合った、本物の姉妹だ。

ヘテロクロミア……ッ!?

優子

光姉さん、どうしたの……?

優子

!!

奈々が他の人に見つけるように指示していた先で。
一度集合した中で、
運命は、最期のイタズラを羽美に仕掛けた。
それが、この邂逅。交わってしまった姉妹。

羽美

ついていないのはいつものことか……

羽美

ハジメマシテ、わたしのイモウトさん

羽美が先に仕掛けると、オッドアイが見つめる先で、二人の少女たちが険悪な雰囲気で睨みつけてくる。

誰があなたの妹なものですかッ!
この疫病神ッ!!
私の名前を軽々しく呼ばないで!

あなたがこの一連の騒動の黒幕なのでしょう!?
人様を巻き込んでこんな大事を仕出かして!
まだ恥さらしの上乗りをしたいようですね!

優子

……あぁ
もしかして、羽美姉さんってこの人?
光姉さん

光は初めて出会った姉に、敵意丸出しで、キツイ言葉を向ける。
優子はただ、ぼうっと羽美を見ている。
なんだなんだと周囲の生徒達が、三人に注目するが、姉妹は気付かない。

羽美

ふんっ……
里親に引き取られて苗字が違うから気付かなかったよ
同じ学校に通ってたなんてね

羽美

言っとくけど、わたしは何もしてない
するんだったら、お前ら先に殺してる

羽美

っていうか、すぐに死ね
忌々しい人間の子供のくせに

父さんたちの事を悪く言わないで!
『膿』の癖に!

睨み合う姉と妹。
周囲の静止の言葉を一切受け付けない。

羽美

そう、わたしは失敗作
所詮、お前ら家族からすれば『膿』
だけど残念だったね

羽美

今のわたしは『羽美』
ごくごく普通の人間だよ
この眼はわたしそのものだしね
誰になんて言われようが、気にしない

羽美

わたしのことを人間だと見てくれている人がいるからね
その忌み名で呼びたいなら呼べば?
わたしは、何とも思わないから

羽美はそれだけ言うと、踵を返す。
話は終わりだと言いたいように、その背中を妹に向ける。

優子

う、羽美姉さん!

そこに声をかける優子。
首だけ振り返る羽美に、彼女は敵意なく笑いかけた。

優子

あとで、羽美姉さんに話があります!
光姉さんはこんなんですけど、わたしはなんとも思ってませんから!

優子

だから……少しだけでもいいから、付き合ってください!

優子は、羽美に対して特にマイナスは抱いて居ないようだった。軽く手を挙げて、了解と返事をする。

優子ッ!!

優子

光姉さん……いい加減、目を覚まそうよ
お父さんたちのこと、何時までもさ……

怒鳴りつける光に、優子は説得を諦める。
こうなった姉はもう、止まらない。
ポカーンとする周囲を尻目に、姉妹たちはそれぞれまた道を分かつ。
また交わるかは、羽美の気分次第であった。

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