俺は南方の話し合いのことを神薙に話した。彼女は口を挟むことなく、それをただ黙って聞いてくれた。大体のことを話し終えると、気持ちが幾ばくかは軽くなった気がする。

 稲荷の言った通りだった。やっぱり抱え込むのは止めて、誰かに共有してもらう方が自分や他人の為にもなる。話すだけでも十分価値はあった。スーとした気分のまま、神薙の返事を待つ。

 数秒後、彼女から言葉が返ってきた。

神薙 佐代子

結果から申するに南方先生は、何か知ってるんじゃないでしょうか?

草ケ部 蒼汰

あいつが?

神薙 佐代子

ええ、草ケ部さんは南方先生の言葉に違和感を感じませんでしたか?

 言われてみれば感じていた。だが、それがどこかは不明だったし、何よりあいつは被害者の身内でありそんな事を知ってるはずないと思う。

草ケ部 蒼汰

確かに感じたけど、ただの言葉の綾じゃ……

神薙 佐代子

まぁ、そう考えれますよね

 ですが、と付け加え、彼女は興味深そうに言う。

神薙 佐代子

草ケ部さんがおっしゃったノートの汚れに対する返答、これは明らかにおかしいです

 俺は眉をしかめ、彼女の言葉に耳を傾ける。

神薙 佐代子

草ケ部さんの質問に、南方先生はなかったと返しました。普通は知らない、探してみるなどの受け答えが普通です

 自分の中の違和感の正体がようやく分かった。だが、そう聞いてみるとまるで南方が怪しいような言い方だ。そんなこと、簡単には信用できない。

草ケ部 蒼汰

聞いといて悪いんだけど、それって―――

神薙 佐代子

はい、言いたいことは分かってます。ですので、こういう推測があるのだと思って聞き流してくれても構いません

 彼女は落ち着いた声色で俺にこう言った。まるで、上機嫌に子供に語り掛ける母親の様に……。

神薙 佐代子

犯人なんてこのクラスに存在しないと思います

草ケ部 蒼汰

えっ……

 間の抜けた声が出てしまった。話の方向からして南方が犯人であるような口ぶりだったのに結論が一気に別へと向いたからである。

神薙 佐代子

南方先生にノートの汚れを聞いたときの反応からして、仮説ですが汚れは血ではないでしょうか?

 彼女が言いたいことが皆目見当もつかなかった。深い底のような考えに、一般的な思考の俺には到底分かるはずもない。

草ケ部 蒼汰

結果的に何が言いたい? それに汚れが血であったとして何で事件じゃないことになるんだ?

 疑問を提示すると彼女はすんなりとそれに答えた。

神薙 佐代子

簡単に言うなれば、このノートは今回の誘拐の犯人がいないことを証明する証拠であり、逆に違う事件の犯人の証明となります

草ケ部 蒼汰

ッ!?

 もしこれが本当だったら、犯人がいつまでたっても見つからないのは当然か……。半分納得した俺だったが、完全には理解できない。それに、疑問も残る。それはなぜ、浪木 香苗が見つからないかだ。

 警察も念入りな捜査がされたはずだが、彼女の影一つ見つからなかった。それに彼女がいなくなる理由も分からない。一体なぜ? どうして?

 その時、電話の向こうでおっと、と声が聞こえた。

神薙 佐代子

もうこんな時間でしたか。もう時間も遅いことですし、明日話しましょう

草ケ部 蒼汰

いや……でも、話し合ってるところを他の人に見られたら注目されるっていうか何というか……

 これでは何のために連絡先を交換したのか分からなくなる上に、まだ完全にクラスメイトが犯人という可能性がある限りではあまり目立った行動はしたくない。

 そんな俺の心配をよそに彼女はいつも通りの口調で返す。

神薙 佐代子

大丈夫ですよ。今日の一件で私もクラスメイトの嫌われ者。疑いを掛けられた草ケ部さんと話していても第三者から見ても傷の舐め合いにしか見えません

草ケ部 蒼汰

もしかしてあの時発言してきたのは俺と堂々と話す環境を得る為か……

 内に広がる微妙な気持ちを感じながら、俺は笑うしかなかった。

神薙 佐代子

もし何か分かったら、また私に報告してくれると嬉しいです

草ケ部 蒼汰

ああ……考えておくよ

神薙 佐代子

はい、ありがとうございます。それではここで失礼します

草ケ部 蒼汰

うん、また明日

 耳から携帯を離し、通話を切る。携帯の画面に映し出された時計はもう午後十時。もう夜が更けていた。

 携帯をズボンのポケットに突っ込み、俺はふぅと一息吐いた。正直、まだ犯人が誰なのかも分からない。持っている証拠の少なさから様々な推測が立つが、犯人はあやふやだった。しかし、そんな中で飛び出してきた意見は今までとは打って変わってのものだ。

 クラスメイトに犯人がいない、その推理は是非とも本当であって欲しい。それだったらクラスの皆を疑うことなんてなくなるし、また皆で平凡な日常が遅れるだろう。

 そうだ、それにこの推理が正しければ浪木は誘拐されず家出をしたということになる。もしそうであれば、彼女は生きてる。また会える。

草ケ部 蒼汰

よし、彼女が生きてるかもしれない推理で行くか。でもその前に、南方に生徒全員の潔白を証明する証拠が必要だ

 こうなれば引き続き、國澤に情報を提供してもらうしかない。唯一、消えた浪木の近くにいた人物だ。何か知っているかもしれない。

 心にそう呟きながら、俺は稲荷がいるリビングに向かおうと足を一歩出した。その時、

 インターホンが家に鳴り響いた。

草ケ部 蒼汰

はーい、今行きます!

草ケ部 蒼汰

この時間に来客って……結構迷惑だな……

 この時間帯に人が来ることを不審に思いながら、俺は玄関へと向かっていく。

 廊下をまっすぐ向かえばそのまま玄関に辿り着く。しかし、その途中の廊下は暗闇に覆われ、あまりよく見えない。

 電気を点けようとも思ったが、生憎、電機は玄関付近に設置されているため、わざわざ向こうまで行かなくてはいけない。なんともめんどくさい……。

 俺は何も考えることなく、玄関に到着し、壁に設置されているスイッチをオンにした。

 パッと明るくなる玄関。廊下も一斉に天井から明かりが降り注ぐ。

 俺は靴を履き、扉ののぞき穴を覗いてみたが真っ暗で何も見えない。

草ケ部 蒼汰

おかしいな……人が来たら明かりがつくのに真っ暗だ

 俺はそう思いながら、扉の鍵に手を掛けた。

稲荷

主、よせ!

草ケ部 蒼汰

ッ!?

 思わず振り返ると、廊下の真ん中に稲荷が強張った表情で立っていた。一体何事だ?と思い、彼女を見ていると、稲荷は真剣な面持ちでこちらに歩いてきた。

稲荷

良いか主、この扉を開けるな。絶対にだ

 鍵に触れている俺の手を稲荷は掴み、部屋の中へと引き寄せようとする。これだけのことをするということは、たぶん訪問者は『穢れ』だと思う。

 しかし、今覗いたが玄関前に人が立っている様子はなかった。ただ真っ暗な風景が広がっているだけの世界だ。

 必死に俺を止めようとする稲荷には悪いが、好奇心の方が勝ってしまった。腕を引っ張られてはいるが、せいぜい子供の力といったところだろう。

 体ごと持っていくほどの力は無く、俺は片腕を引っ張られた状態で片目を覗き穴に向ける。

稲荷

見るな主ッ!! 見るでない!! 

 稲荷の警告に聞く耳を持たず、俺は目の前のことに集中する。だが、彼女が止める程の光景は映ってなく、依然として真っ暗な闇が広がる世界で何も見えない。やっぱり外には誰もいない、そう思った時だった。

草ケ部 蒼汰

えっ……

 覗き穴の向こうの闇が一瞬肌色の何かに遮られた。何を言っているのか分からないかもしれないが、現に目の前で起こったことだ。

 一体それが何であるか、考えるのにそう時間は掛からなかった。

草ケ部 蒼汰

―――ッ!?

 俺が叫び声を上げそうになった時、彼女が反対の手で俺の口を覆った。

稲荷

馬鹿者、覗かれているのはお前の方だぞッ!!

 全身に鳥肌が走り、この場の異様さに恐怖した。全身から血の気が引き、冷たくなっていくのを感じる。そんな俺に、恐怖はさらに追い打ちを掛けた。

 またインターホンが鳴った。

 これで確信した。誰かが向こうにいる。この扉を開けられてしまったら俺の命の保証はない。どうして俺の家の場所を知っているかなんて今は関係ない。どうやって立てこもるかを考えなくてはいけない。

 俺が一歩後ろへと足を出すと、ピンポーンと鳴った。そして、

 間隔を置いて鳴らされていたチャイムはやがて間もなく嵐の様に鳴り響いた。まるで玄関の向こうの存在の異常さを現すかのように永遠と。

 やがては扉に打ち付けるようにノックの音が鳴り響いた。相手の行いが徐々に俺の恐怖心を煽った。

稲荷

このまま二階に上がって部屋に戻れ! 鍵を掛けてな!

草ケ部 蒼汰

……………!!

 俺は勢いよく頷き、踵を返してそのまま二階の階段を駆け上がった。

 部屋に入ると、俺はすぐさま扉を閉め鍵を掛けた。

草ケ部 蒼汰

はぁ……はぁ……

 息を荒らげながら、俺は扉に凭れるように座り込んだ。体を縮こまらせて、一階で聞こえる狂気に耳を塞ぎながら震える。

 しかし、いくら耳を塞いだからといってそれが聞こえなくなる事は無い。僅かながら聞こえるのだ。扉を叩く音やチャイムの音が……。

 しかも、その音の音源は少しずつ移動している。最初こそは玄関前だったのに、庭に面した窓、その隣の壁、トイレの小窓、風呂場の窓や壁、段々家の周りを一周するように音は移動しているのが分かった。

稲荷

今夜は長いな……

 そう呟く稲荷に答えてやれる気力は無く、俺はただこの悪夢をすぐに終わらせてほしくて仕方なかった。

 目を閉じ、ひたすら祈る。闇しか見えず、音だけが聞こえて余計に恐怖に慄(おのの)く。それに余計なことも考えてしまい、自分でもコントロールできないほど精神が不安定だ。

 その時、ちょっとした重さが左肩に乗っかってきた。顔を上げ、そこへと視線を向けると、そこには彼女が俺の肩へと頭を預けた状態で座っていた。

稲荷

こうする方が安心するであろう? 今夜はこれで眠っても構わんぞ

 ただし、一回貸しだからな? と恩着せがましく言われたが、それでも彼女の優しさがありがたかった。少し安心したせいか、徐々に眠気に襲われる。

 彼女の心地よい体温と不思議な香りに包まれながら、俺は意識を手放す。が、その直前、俺はあることに気が付いた。

 もし仮に浪木誘拐の犯人がいないとしたら、今俺の家に来ている奴は誰だ? 最初、浪木の誘拐犯がこそこそ嗅ぎまわっている俺を狙って殺しに来たと思っていたがそうではなかった。それに、稲荷もこう言っていた。

 穢れはその人物の持つ闇、人を殺し、二つの基準を満たすことでそう呼ばれる。

 結局、誘拐の犯人がいようがいまいが、関係ないかもしれない。たぶん、下にいる奴は何か別のことで俺を狙ってると思う。

 ……それが何かは分からない。

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