シーンとして辺りが静まり返った。彼女のその発言はそれ程までに他者へと影響を与える言葉なのだ。特に南方はこのクラスの皆からの人望もある。南方を侮辱しようものなら、真っ先に立ちはだかるのがクラスメイトの大部分と言っても過言ではない。

 この静けさも、嵐の前の静けさのようなものだ。時が来ればあっという間に滅茶苦茶にされるだろう。そのことを知っていても尚、彼女は言った。たとえ体がまともでいられないかもしれないのに。

女子生徒

なに……あんた南方を疑ってるの?

神薙 佐代子

いいえ、いなかった人物を疑っていらっしゃったので南方先生も候補に挙げさせて頂いただけです。私個人もあの人に何の疑いも持っていません

 まず最初に噛みついてきたのがよく南方と話す女子集団だった。彼女たちは南方に好意というかファン的な意識を持つ集団で、普段の生活を見てる限りではあまり良い性格ではない。

女子生徒

いたじゃんあそこに……てか何? そのヘラヘラした笑い。正直キモいよ

神薙 佐代子

あの場にいましたが、一度学校から出ています。それと、私がヘラヘラしているのはあなた方のような人達と効率的に話を進める為です

 神薙はすぐ横まで来ている女子集団を物ともせずに、落ち着いた笑顔で返す。両者の間で如何にもな雰囲気が放たれ始める。

草ケ部 蒼汰

マズイ……下手したら取っ組み合いの喧嘩になりかねない!

 険悪な雰囲気の中俺は彼女たちの間に割って入ろうとする。その時、

南方 功

お前ら何やってんの?

 声のする方へと視線を向けると、出入り口の開いた扉から気だるそうに視線を送っていた。

女子生徒

コイツが南方のことを例の犯人扱いするんだよ!

神薙 佐代子

だから候補を挙げるとしたらの話です

南方 功

…………

 教室をある程度見渡し、ことの状況をある程度察したのか、ハァと溜息を吐いた。

南方 功

とりあえず友原、神薙、井塚、節目、鈴木、今から職員室に来い

 生徒の名前を呼ぶ南方。それに対し、不安があるかのように先ほどの女子集団の一人の鈴木が声を上げた。

女子生徒

えー、悪いのはこんな話をし始めた友原か南方に要らない疑いを掛けた神薙でしょ?

神薙 佐代子

…………

 何度言っても無駄と言わんばかりに、彼女は無言で鈴木の言葉に口を挟まなかった。

南方 功

良いから黙って職員室に行け。話はその時に聞いてやる

 そう言うと、女子集団は折れ、ブツブツと独り言を呟きながら教室から出て行く。

友原 和則

…………

 友原も一旦俺を見るも、諦めた様子で教室から出て行く。

神薙 佐代子

…………

 チラッと神薙が俺の方を見ると、そのまま教室を出て行ってしまった。残ったのは再び訪れた静寂。ただ立ち尽くす俺にその光景をぼんやりと見るクラスメイト。

南方 功

おら、飯の時間が無くなるぞ。早く食っとけ

 南方は俺達に言うと、職員室に向かっていった。少しの間、沈黙が続いたがすぐにいつも通りの日常の風景が戻る。

 友原達が戻ってきたのは昼休憩が終わる五分前だった。その間、こってりと絞られたらしく、グチグチと南方への不満を漏らしていた。もちろん、俺への文句もたくさん飛んできた。

 また今度埋め合わせをすると言って許してもらったが、その際友原がこんなことを口にした。

友原 和則

あと、この計画のこと南方に話したから

 これを聞いた時は絶望した。南方に計画の内容がバレると、内容が内容なだけに派手に動きすぎだと何だのと色々と言われそうだからだ。しかも、南方のあの表情を唯一見ているから余計に怖い。

 俺はビクビクと怯えながら、今日一日の授業を終えた。

 ホームルームが終わり、教室では生徒が帰ろうと続々と出て行くのだが、俺はその中に混じることはできなかった。なぜなら、

南方 功

さて草ケ部、話し合おうか

 帰る直前、南方に呼び止められたからだ。

草ケ部 蒼汰

あのぉ……手短に終わらせられませんか?

南方 功

お前次第だな

草ケ部 蒼汰

ですよねー

 南方は俺の座ってる席の前の席に着き、背もたれの方に両腕を乗せ、向かい合うような状態になっている。教室の生徒が俺だけになるのを見計らって、南方は本題に入った。

南方 功

まずこれは一体どうなっているか説明しろ

 ここは全部本当のことを言った方が良い。でないと向こうもちゃんと納得してくれないだろう。

草ケ部 蒼汰

捜査の前進のためです

 そう言って、俺はことの経緯を南方に話した。

 全部話し終えると、南方は軽い溜め息を吐いて、窓に映る景色を眺めながら口を開いた。

南方 功

世の中には良い人間と悪い人間がいる。お前は自分をどっちだと思う?

草ケ部 蒼汰

なにかの……クイズですか?

南方 功

いいや、単純な質問だ

 俺は少し考えながら、今までの行動を振り返ってみる。本質をたどると、浪木を助けたいから。それ以外は何もない。あ、でも今回の件では過程はどうあれ、國澤のことを助けようとした。たぶん、良い人なのかな?

草ケ部 蒼汰

良い人間……だと思います

 すると、ふっと南方が笑った。

南方 功

ならお前はよくやった。クラスメイトを助けたいと思ったから、行動できた

草ケ部 蒼汰

先生……

南方 功

ま、ダチに任せっきりは感心しないがな

 あはは……と苦い笑みを浮かべる俺に南方はより一層笑みを深めた。

南方 功

もう用は済んだ。帰っていいぞ

 南方はそう言って席を立った。せっかく帰る許しを得たのだが、ここであることを思い出す。

草ケ部 蒼汰

先生、聞きたいことがあるんですが

 南方は眉をピクリと反応させた。

南方 功

どうした?

草ケ部 蒼汰

浪木のノートを借りたいんですけど……できれば全部

すると、南方は眉を顰め、鋭い視線を俺に向けた。まるで何かを気にしているかのように……。

南方 功

何でだ?

草ケ部 蒼汰

鉄が錆びたような汚れがノートにくっ付いてたらしくて……何か手がかりになるかなっと思いまして……

 南方は無表情で俺を見つめると、きっぱりとこう発言した。

南方 功

なかったよ

 この時の南方の口調は少し強かった。何をもってそう言えるのかが分からなかったが、身近に浪木と暮らしていた彼がそう言うのなら間違いはないだろう。

草ケ部 蒼汰

そ、そうですか……ありがとうございます

 席を立ち、荷物を持つ。その際なぜか南方とは視線を合わせず、俺はただ軽く頭を下げて教室の出入り口へ向かう。

南方 功

草ケ部

 彼がそう発すると、途端に俺の体は扉直前で足を止めた。まるで自分の体が誰かに操作されているかのように。

草ケ部 蒼汰

なんですか?

南方 功

明日、学校来いよ

 はい、前を向いたまま俺はそう答えるしかなかった。頭の中は真っ白になり、額は油汗が滲む。なんでこんなにも緊張した空気が張りつめているのかは分からない。ただ一言いえるのが、今の南方はヤバいということだけ。

南方 功

どうした、帰らないのか?

草ケ部 蒼汰

いえ、帰ります。失礼しました……

 彼に一言いうと、教室から出て行った。

 夕焼けが空に広がっている外を眺め、不安に抱かれながらベッドに転がる。今後のことも考え、調査の見直しも考えるべきなのだが今の俺にそんな余裕はない。

草ケ部 蒼汰

あの時の南方は明らかに様子がおかしかった。まるで何かを警戒しているかのように

 彼が様子を変えたのは俺がノートのことを言ってからだ。瞳からは今までの彼とは思えないほどの闇が見えた気がした。ノートに何かあるのが分かるが、それがどういうものなのかが分からない。

 クソッと頭を掻く。もう疲れも溜まってきていて、まともな思考もできなくなってきている。

稲荷

…………

草ケ部 蒼汰

どうした稲荷?

 何か言いたげにこちらへと視線を送る稲荷。気になった俺は彼女に声を掛けた。

稲荷

いや、なぜそこまで悩むかが分からなくてな……

 きょとんとした表情で彼女は言った。

草ケ部 蒼汰

計画した作戦の方は結果的にうやむやになり、挙句の果てには担任の先生が怪しいという実態に陥ったら誰だって悩むさ

ほう、と呟くように言うと彼女は黙り、宙を漂ったまま俺をジーと眺めている。なにがそんなに面白いのかは置いといて、どうしたら良いのか考えなくちゃいけない。

稲荷

…………

草ケ部 蒼汰

……どうした?

 なかなか視線が消えそうにもないので、俺は稲荷に問い詰めてみた。

稲荷

悩んでいるならば誰かに話せば良いのではなかろうか? 悩みを共有すれば幾分かは安らぐぞ

草ケ部 蒼汰

話すって……誰に?

稲荷

決まっておろう。神薙とかいう娘だ

 ああ、そう言えば彼女と携帯番号を交換してたんだったな。俺は、ズボンのポケットから携帯を取り出し、電話帳を開く。画面を下へとスクロールすると、すぐに彼女の名前が出てきた。

草ケ部 蒼汰

…………

稲荷

どうした?

草ケ部 蒼汰

何というか、今彼女に電話しなくて良いかなーって思うんだ

稲荷

なぜだ?

草ケ部 蒼汰

今日の騒ぎもあったし、掛けにくい

 稲荷は瞳を閉じ、そうかと答えた。

稲荷

別に無理して掛けろとは言わんが、重荷を背負ったままというのも余計に辛いだろう。もし辛くなったら、そやつか友原にでも相談するが良い。気が楽になる

草ケ部 蒼汰

ああ、ありがとう

 彼女の優しさに感謝し、俺はベッドから立ち上がる。このままダラーとしてても埒が明かない。ここは何か行動あるのみでしょ!

 だがその前に、やることがある。

稲荷

どうした主?

草ケ部 蒼汰

腹が減っては戦はできぬって言うから、何か電話で注文しようと思う

 すると、稲荷は首を傾げた。

稲荷

貴様の両親は夕飯を作らないのか?

 その質問に俺は、首を縦に振った。

草ケ部 蒼汰

今日から父さんと母さんは旅行に行ってて、帰ってくるのが明後日の夜なんだよ

稲荷

なんと、では飯はどうなるのだ?

草ケ部 蒼汰

だから今から電話で注文して、家まで届けてもらうんだよ

ほう、と頷く稲荷だったが何かを思い出したのか、眉間に皺を寄せてこう言った。

稲荷

まてまて、金はどうなる?

草ケ部 蒼汰

机にお金が置いてあるから心配いらないよ

 そこでようやく納得したのか、稲荷は宙を飛び回り喜びの姿勢を表す。その光景を見ながら、携帯に番号を打ち込む。

 すっかり外が暗闇に包まれた頃、俺は風呂から上がり、寝間着に着替えていた。リビングではソファに寝転びながら、優雅にテレビ番組を鑑賞する稲荷。

 そこを遠目から見ると、すぐ横にある机の上の携帯に目を向け、何気なく手に取った。画面を開くと、着信が一件入っていた。相手は神薙からだ。

草ケ部 蒼汰

まさか向こうからかけてくるとは……

 些細にそう思いながら、彼女の方へと電話をかけてみる。呼び出し音が数回なった後、ぷつんと相手が電話に応じる音がした。

草ケ部 蒼汰

もしもし、草ケ部だけど何かあった?

神薙 佐代子

ああ、いえ……ちょっとお聞きしたいことがあって電話しました

 ご迷惑でしたか? と付け足し聞かれたが俺はいいや、と答えながら彼女に要件はなにかと伝える。

神薙 佐代子

今日のこと……怒ってます?

 今日のこと、つまり俺の犯人説のことだろう。確かに彼女の行動には驚いたが、結果的になってしまったものはしょうがない。これと言って彼女を責めるつもりもないし、嫌悪もしない。俺はただそう思っている。

草ケ部 蒼汰

別に気にしなくて良いよ。確かに予想外の行動で驚いたけど、それに悪意はないんでしょ?

神薙 佐代子

はい……

草ケ部 蒼汰

なら怒ったりしないよ

神薙 佐代子

そうですか……良かったです

 電話の向こうで心の底から安心したようにホッとため息が聞こえてくる。

神薙 佐代子

ありがとうございます。これだけが心配でつい電話しちゃいました

草ケ部 蒼汰

あはは

稲荷

別に無理して掛けろとは言わんが、重荷を背負ったままというのも余計に辛いだろう。もし辛くなったら、そやつか友原にでも相談するが良い。気が楽になる 

 その時、稲荷の言葉が頭に蘇る。まるでこの時を予知していたかのように。一瞬だけ躊躇したが、俺は思い切って彼女に打ち明けてみる。

草ケ部 蒼汰

ところで神薙さん。俺も君に話したいことがあるんだ

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