授業中、僕は終始上の空だった。




 ホワイトデーのお返しを渡した時に見せた、山根さんの戸惑う顔。



 逃げるように走り去ってしまった自分の行動。



 昨日のことが頭の中で繰り返し再生された。









 休み時間、僕は何度も無意識に山根さんの方を見てしまった。



 山根さんはいつものように一人で何かを書いている。




 部活の時間がやってきた。


 僕は山根さんから逃げるように、慌てて教室を出た。


 美術室へと向かう僕の足が自然に早くなっていった。


 早歩きを維持したまま、美術室の前までたどり着いた時だった。

山根琴葉

あ、あの……


 聞き覚えのある、低くて少し早口な声が後ろから聞こえた。



 僕はその声にビクッとして動きを止めた。


 恐る恐る振り返ると、そこには山根さんが立っていた。


 山根さんは肩で息をしていた。


 結構な速さで歩いていた僕に追いついたということは、つまり山根さんは走って僕を追いかけたことになる。


 山根さんのイメージにそぐわない行動だ。


 僕は、胸に手を当てて息を整えようとしている山根さんの様子を見て不安になった。


 ホワイトデーのお返しとしては高額となったコミックマーカーセット。


 それを今にも突き返されるような気がした。



 迷惑だと言われる。


 いや、山根さんに限ってそんなことは口にしないだろう。


 だがきっと、心の中ではそう思っているに違いない。



 そんな不安が僕の中でどんどん大きくなっていった。

山根琴葉

わ、渡利……さん



 山根さんは僕の名を呼びながら、自らの手提げかばんに手を突っ込んだ。



 やはり僕の不安は的中なのか。



 ラッピングが外されただけの、未使用のマーカーセットが今にも手提げかばんから引っこ抜かれるのだと思った。


 ところが、山根さんが取り出したのは一枚の紙だった。


 薄っぺらい安そうなやつではなく、恐らく上質紙と呼ばれる綺麗なやつだ。

山根琴葉

あ、あの。
これ……いただいたマーカーで塗った……イ、イラストです



 そう言われて渡された紙には、とても綺麗なカラーのイラストが描かれていた。



 高校生くらいの男の子が手を前に突き出してかっこよくポーズを決めており、ヒロインと思われる女の子は活発ながらも気品ある立ち振る舞いをしていた。


 山根さんの作品らしい少年誌的な、それでいてとても細かい繊細な絵だ。


渡利昌也

すごい。
あの少ない色の種類でこんなに綺麗に塗れちゃうんだね

山根琴葉

マ、マーカー。
ありがとう……ございました。
た、高かったのでは?



 山根さんは相変わらずうつむきながら言った。

渡利昌也

い、いや。
全然。
大丈夫。
早速使ってもらえて……その……



 僕はマーカーを使ってもらえたことが心底嬉しかったが、急に照れくさくなって口ごもった。

山根琴葉

め、迷惑でなければそのイラスト。
も、もらって……くださると……


 山根さんは両手をどうぞどうぞと僕に差し出した。



 その半面、つまらないものですがとでも言いたげな、申し訳なさそうな表情をしていた。

渡利昌也

え?
くれるの?
いいの?


 山根さんは僕の言葉に頷いたあと、素早いすり足で漫画研究部室の中へ入っていった。

飯塚俊司

見たぞ

倖田真子

見たわ


 山根さんの姿が見えなくなったとほぼ同時に、あの二人の声が聞こえた。


 しくじったなぁと思い、僕は目を閉じた。


 美術室のドアを見ると案の定、少し開けた隙間から飯塚さんと倖田さんが覗き見ていた。

飯塚俊司

何をもらったんだい?
見せてみなさい。
さあさあさあ


 飯塚さんが勢いよくドアを開けて、僕のところへズカズカと向かってきた。

倖田真子

部長。
野暮なことしなさんな

飯塚俊司

まあまあまあ。
ちょいと見るだけだから


 僕は二人のやり取りに深くため息をついた。



 特に隠す物でもないと思い、僕は山根さんのイラストを飯塚さんに見せた。



 飯塚さんは顔を僕の方へ寄せて、覗き込むようにイラストを見た。



 飯塚さんは顎に手を持っていき、急に無言になった。

飯塚俊司

ごめん渡利君。
それ、ちょっと貸して



 断る理由もないので、僕は飯塚さんにイラストを手渡した。




 飯塚さんはいつになく真面目な顔で、山根さんのイラストに見入っていた。






 長い沈黙のあと、急に飯塚さんが不敵な笑みを浮かべた。

飯塚俊司

灯台下暗しとはこのことか


 飯塚さんはそう呟くと、漫画研究部室の方へ歩き出した。



 そして何を思ったのか漫画研究部室のドアをガラッと開けた。

飯塚俊司

たのもー!

pagetop