部活が終わり、僕は廊下で山根さんが漫画研究部の部室から出てくるのを待った。



 人には見られたくなかったので、僕は美術室の中からは見えない位置に立っていた。



 大体の美術部員は帰宅したのだが、まだ問題の飯塚さんが残っているのだ。





 山根さんに早くバレンタインデーの義理人情チョコのお返しを渡したいのだが、山根さんはなかなか部室から出てこなかった。



 漫画研究部から帰るには、美術室側の廊下を通らなければならない。


 僕は山根さんが先に帰ってしまわないか部活中も廊下をチェックしていた。



 漫画研究部の部員であろう生徒が何名か廊下を横切ってはいたが、山根さんの姿はまだ見ていない。



 先に帰ったわけではないはずだ。





 廊下は美術室の中と違って空気がキンと張り詰めており、口から白い息が出た。



 だが僕はこの寒さの中、女子を待っているというシチュエーションがどことなくロマンチックに感じられて嫌いじゃなかった。




 バレンタインデーのときに、山根さんが今の僕と同様に待っていてくれたことを思うと心が温かくなってきて、周りの冷気が逆に心地よくなってきた。




 これじゃあまるで恋する乙女のようだ。


 そう思うと今度は笑えてきた。


 僕は山根さんに恋などしていない。


 そのような自覚はないのだ。




 バレンタインのときにもらったチョコだって義理だし、今、僕が渡そうとしている物もその仁義に対するお返しでしかない。



 なのになぜだろう。



 僕は山根さんにホワイトデーの品を渡すのを楽しみにしている。


 山根さんの喜ぶ顔が見たいと思っている。


 山根さんと会うことに心躍らされている。






 僕があれこれ考えながら待ちわびていると、漫画研究部のドアが開き、中から山根さんが出てきた。



 山根さんはうつむいたままゆっくりドアを閉めて、僕のいる方向へ歩き出した。



 僕は山根さんを見るなりドキッとしてしまった。



 やはり個人的にホワイトデーのお返しをするというのは緊張してしまう。



 ドキッとしたのは……そして山根さんが近づいてくるにつれて高鳴る僕のドキドキは、そういう緊張からくるものなのだ。




 決してあのドキッでもドキドキでもないのである。


 僕の見解に間違いはない。





 うつむいていた山根さんが僕に気づき、心なしか顔を上げた。



 山根さんの光ったメガネの奥にある目と僕の目が合ったまま、お互いにしばらく静止した。




 僕はだんだん恥ずかしくなって、視線を逸らすように会釈した。



 山根さんも僕とほぼ同時に会釈し、僕らは二人揃ってうつむいたまま動けなくなった。




 僕はいったいなにをしているのだろう。


 たかだかお返しの品を渡すだけなのに。


 業を煮やし、僕の方から口を開いた。

渡利昌也

あの、山根さん

山根琴葉

は、はあ

 山根さんは気が抜けたいつも通りの返事を返した……ように感じた。

渡利昌也

こ、これ。
バレンタインデーの義理チョコのお返し


 僕は義理の部分をちょっとだけ強調した。



 そうでもしないと恥ずかしくて耐え切れそうになかった。

山根琴葉

え?
え?


 僕が無理やりラッピングされたお返しの品を差し出すと、山根さんは戸惑いながら受け取った。

山根琴葉

え?
え?
はぁ……え?

 山根さんは例のごとく首を鶏のように動かした。



 状況が飲み込めないときの山根さんのクセらしい。

渡利昌也

じゃ、じゃあね


 僕はそれだけ言って走って逃げてしまった。



 この照れくさい状況に耐え切れなくなったこともある。



 だが、お返しを受け取って戸惑っている山根さんに、迷惑だと突き返されるのではないかと怖くなったのだ。





 山根さんの喜ぶ顔が見たかったのに、渡す前にそのような妄想もしたのに、さっさと渡して逃げ出すなんて。




 走って走って学校の正門までたどり着いた。


 切れた息を必死に整え、深呼吸で落ち着かせた。


 まるで告白でもした後のように、僕の心臓が恐ろしい速さで脈を打っていた。




 僕は山根さんに恋していない。


 いないのだろう。


 しているのか。




 もう何が何だかわからなくなっていた。




 胸の鼓動が落ち着いてきたところで、僕は家路を歩き出した。




 歩きながら過去の僕の恋を振り返った。




 僕が初めて女子を好きになったのは小学校三年生の頃だ。


 クラスに馴染めない影のある子だった。


 それ以来、一年毎に好きな女子が変わった。


 四年生のときは顔が格別に可愛い子。


 五年生の時には美人な優等生。


 六年生の時には活発で明るい子。





 中学生に入ってもそのサイクルは変わらず、三年間で三人好きな人ができた。


 そういえば、高校生になってからは好きな人ができなかった。


 ボッチと化した僕に、そんな余裕がなかったのかもしれない。




 そうなると転校を機に生まれた余裕から、以前の『好きな人できちゃった』サイクルが復活して、その対象が山根さんになったのだろうか。




 そう思うと合点がいくような気がした。




 この胸の高鳴りはきっと、恋に恋するというやつなのだ。




 今、冷静に振り返った過去の恋もそれだと思った。




 こんなものは恋じゃない。



 高校三年生になったら別の好きな人ができるというループの中に戻ってきただけだ。



 これを恋と呼べるのか。


 僕は山根さんに恋していない。





 僕の見解に間違いはない。







pagetop