飯塚さんはそう言ったあと美術部の女子部員に一人ずつ、可愛いリボンの着いた手のひらサイズの袋を渡していった。
僕はデッサンしている手を止めてその様子を見ていた。
オホン。
男子部員からバレンタインチョコのお返しです。
今から配りますんで
飯塚さんはそう言ったあと美術部の女子部員に一人ずつ、可愛いリボンの着いた手のひらサイズの袋を渡していった。
僕はデッサンしている手を止めてその様子を見ていた。
ありがとうございます
やだ、かわいい
袋を渡された女子部員は、ちょっとした感謝と喜びの言葉を飯塚さんに返している。
だが、問題は倖田さんだ。
倖田さん。
どうぞ、お納めくださいませ
飯塚さんがついに倖田さんへ小さな袋を差し出した。
ちっちゃ!
ダイヤでも入ってるの?
遠目に見ていた僕の緊張が高まる。
飯塚さんが手渡したその袋の中身が、どうしても倖田さんを納得させるものとは思えなかった。
お返しの品の考案者である加藤君は、僕の緊張をよそに涼しい顔してデッサンを続けていた。
倖田さんがいよいよ袋の中身を確認する素振りを見せ、僕の緊張は最高潮を迎えた。
飯塚さんの顔も心なしか引きつっているように見える。
倖田さんは袋を開き、中を見た。
考えすぎかもしれないが、いきなり怒り出すのもありえるんじゃないかと思い、僕は身構えた。
ところが、倖田さんは袋の中を覗いたまましばらく固まっていた。
そしてゆっくり袋の紐を締めて膝の上に置いた。
倖田さんはうつむいたまま袋を見ている。
ねぇ加藤君。
倖田さん、ちょっと様子が変じゃない?
ああ、今は半信半疑ってとこなんだろうね。
だから東川君に最後の仕込みをお願いしてるんだ
眉を寄せて小声で質問した僕に、加藤君が意味不明なことを言った。
東川君というのは美術部の男子部員だ。
その東川君にどのようなお願いをしたのかは不明だが、加藤君の様子を見る限り計算通りに事が進んでいるらしい。
ねえ、俺そのクッキー実は大好物なんだ。
一個でいいからもらえないかな
唐突にそう言ったのは仕込みをお願いされたという東川君だった。
えー?
お返しをおねだりしちゃうの?
ていうか中身はクッキーなんだ
東川君に声をかけられた女子部員が言った。
加藤君の言う最後の仕込みとはこのやり取りのことなのだろうか。
うん。
飯塚さんが代表で買いに行ったんだけどね。
みんなにクッキーを買うって聞いてたからさ。
とにかくそのメーカーのクッキーに目がなくて
東川君は女子部員からクッキーを一つだけ手渡された。
そして、東川君は自分の椅子へ戻り、絵を描き始めた。
仕込みとやらはこれで終わりのようだ。
倖田さんは先ほどと変わらず、膝に乗せた袋を見ていた。
数分後、倖田さんがゆっくり立ち上がり、美術室をさりげなく出ていくのが見えた。
お手洗いにでも行ったのかもしれないが、倖田さんは終始うつむいたままだった。
か、加藤君。
倖田さん、怒って出て行ったんじゃないよね
倖田さんの様子が変だ。
僕は心配になり、加藤君に尋ねた。
恥ずかしくなって出て行ったんだよ。
喜んでるのも間違いないみたいだね
そうなの?
倖田さんにだけキャンディーを渡したんだよね。
倖田さんってキャンディーが大好物ってこと?
そう、これが加藤君立案の倖田さん対策だったのだ。
加藤君は倖田さんにだけキャンディーを渡すよう飯塚さんに指示していた。
僕はその理由が知りたくて、加藤君に説明を求めた。
違うよ。
ホワイトデーのお返しってさ。
クッキーには『お友達』っていう意味があって、キャンディーには『私もあなたが好きです』っていう意味があるんだ。
倖田さんにとってこれ以上うれしい飯塚さんからのお返しはないよね
え?
それってつまり。
倖田さんってそうなの?
うん。
気づかなかった?
結構わかりやすいと思うんだけど。
倖田さんって
僕は驚いた。
倖田さんにそのような素振りは一切なかった。
僕が鈍感なだけなのか。
いや。
僕がまだ付き合いが短いからかな。
全然気付かなかったよ
そっか。
とにかくそんなわけで、飯塚さんからキャンディーが渡されたのは倖田さんだけだっていうことを知らせるために、東川君の仕込みが必要だったんだよね
加藤君。
優しい顔とおっとりとした喋り方に似合わず、なかなかの策士だ。
でもさ、ホワイトデーのお返しに意味があるなんて、倖田さんがちゃんと知ってなきゃだめだよね
僕は粗探しをするかのように問いかけた。
そうだね。
だから事前に種をまいておいたんだよ。
倖田さんとは同じクラスだからさ。
それとなく友達とキャンディーの意味について会話しておいたんだ。
倖田さんにちゃんと聞こえるようにね
ぬかりはないというわけか。
加藤君って策略家なんだなぁ。
ちょっと意外だよ
お褒めに預かりまして
加藤君はそう言って笑いながら、ちょっとだけ舌を出した。
でもほんとに成功したのかな?
うつむいて出て行った様子だけじゃ倖田さんが喜んでるっていう。
ほら。
確証っていうかさ
僕がそう言うと、加藤君はにこやかに微笑んで倖田さんが出て行ったドアを指差した。
渡利君は見なかった?
倖田さんが密かに袋からキャンディーを取り出して出て行ったのを。
それはなんのため?
誰にも邪魔されないところで喜びを噛み締めるためでしょ。
今頃抑えきれない笑みを浮かべながら、甘いキャンディーをじっくり味わってるんじゃないかな。
ふふ。
可愛いよね、倖田さんって
加藤君、恐るべし。
ところでさ。
そうなると飯塚さんも倖田さんのことが好きってことだよね
さあ、どうだろうね
加藤君から返ってきたのはまさかの爆弾発言。
僕はこの作戦を決行するにあたり、飯塚さんと倖田さんが両想いであることが大前提だと思う。
え?
ちょ、ちょっと待って、加藤君。
それってまずいんじゃないの?
まあ大丈夫なんじゃない?
大事の前の小事ってことで。
あはは
加藤君のはにかんだ笑顔が逆に僕の背筋をゾッとさせた。
加藤君。
草食系の優男かと思いきや、とんだ食わせ者のようだ。