日曜日の午前中、僕は坂東川の商店街へと足を運んだ。



 山根さんからもらった義理チョコのお返しの品を買うためである。



 とはいうものの、いったいどのお店で何を買えばいいのかわからず、僕はただただ商店街をウロウロしていた。



 一応ホワイトデーが近いので、その類の品物はいたるところで目につく。



 女子力を全面に押したような赤とピンクの可愛い洋菓子店。


 ちょっと高級そうなケーキ屋。子供が喜びそうなおもちゃ屋。


 奥様方が右往左往している庶民的なスーパーのワゴン。




 そこそこの物はそこらじゅうで売っていたのだが、これだと思えるような物には出会えず、踏ん切りがつかないでいた。






 そうやって迷い迷っているうちに、以前、飯塚さんたちと共に訪れ、山根さんと遭遇したあの大きな文房具店まで来てしまった。



 せっかくたどり着いたのでついでに画材を見ていこうと思い、僕は中へ入ることにした。

 店内へ入り、自動ドアがしまる。


 瞬間、外の騒がしかった商店街から一変し、静かで落ち着いた空気が僕の周りを包んだ。



 店内からガラス越しに外を見ると、街の人間やパチンコのネオン、家電量販店のショーウィンドウに並ぶテレビの映像が無音のまま忙しく動き回り、まるで別世界を覗いているような感覚に陥った。



 僕はエレベーターで画材コーナーがある四階へ上がった。



 綺麗に並べられたキャンバスに額縁、鉛筆や筆に絵具。



 これらを眺めていると、どれもこれも欲しくなってくる。



 以前の僕なら全く理解できないことなのだが、どうやら僕は絵を描く魅力にとり憑かれてきているようだ。



 僕は、だいぶ短くなっていた4Bの鉛筆に的を絞って棚を探した。



 そんなときだった。



 僕の立っている棚の二、三列離れたところから、ヒソヒソと喋り声が聞こえてきた。

???

これだよね。
ママがいつも絵本に色塗るときに使っているペン

???

あ、ほんとだ。
しかもこれ、ママがずっと大事にしているのと同じやつじゃん

???

使い切って塗れなくなったのにずっと大事に持ってるやつだよね。
同じ箱だもん

 なんとなく聞き覚えのある子供の声だ。



 僕は声のする列を覗いてみた。



 例の二人の子供だ。



 この文房具店で僕に消しゴムを投げ、雨の日に僕の手を引き、光明寺図書館の階段踊り場で僕に手を振っていた男の子と女の子だった。



 予想通りの二人ではあったものの、ここでまた遭遇してしまったことには驚かざるを得ない。



 さて。


 そんな二人をこの目で確認した僕だったが、そこから先はどうすればいいのだろう。



 声をかけられたことはあったが、特に会話らしい会話をしたわけでもない。



 知り合いのくくりに入れていいのか微妙なところだ。



 考えた末、この子達の前に姿を現し、どのような反応をするのか様子を見てみることにした。

???

わっ

 棚の影から身を乗り出した僕を見て男の子が叫んだ。


 その声に促されて女の子が僕を見た。

???

ひゃっ

 女の子も同様に声を上げた。


 女の子は男の子に手を引っ張られ、二人揃ってその場から逃げ出してしまった。



 僕がいったい何をした。



 二人が逃げ出して無人になった漫画コーナーで、僕はしばらく呆然としていた。



 漫画コーナー。



 そういえば、あの子供達がいたこの場所は漫画コーナーである。



 そして山根さんと以前遭遇した場所だ。



 僕は思わずあたりを見渡した。


 周りには誰もいない。





 僕はさらに四階のフロアをぐるぐる回って、全体を確認してみた。



 なぜ僕がそうしているかというと、あの子供達に出会ったときに起こる不思議な法則が今回も適用されているのでは……と思ったからだ。



 男の子に消しゴムを投げられて、男の子を追いかけた先にいた山根さん。


 女の子に手を引かれて、連れて行かれた先にいた山根さん。


 男の子と女の子を追いかけて光明寺図書館の中へ入った先にいた山根さん。





 あの子供達に遭遇すると、何故か山根さんと出会う。




 ところが、いくら文房具店内を探しても山根さんは見つからなかった。



 やはり今までの出来事はただの偶然なのだろうか。



 あの子達が僕に絡んでくる不自然さはさておき、どうやら山根さんとは無関係のようだ。



 僕は山根さんを探すのをやめて、先ほどあの子達がいた漫画コーナーへ戻ってみた。



 山根さんとこの場で座り込み、会話した時のことを思い返した。



 そうすると、心の中が穏やかになるのを感じた。



 棚の一番下の段には漫画の描き方に関する本がいくつか並べられており、僕はそれらを左端から目で追っていった。


 そして、背文字に『漫画の描き方 カラーの巻』と書かれた本が、目に留まった。



 その瞬間、僕の脳裏に山根さんの言葉が思い起こされた。



 あの日、山根さんはカラーイラストを描くため、水彩絵具を買いに来たと言っていた。


 素朴な疑問だが、漫画コーナーに水彩絵具が置いてあるのだろうか。



 僕は棚を見渡した。



 まず、漫画用のつけペンが並べられたコーナーに目がいった。


 たくさんの種類があるんだなぁと思いながら目をスライドさせて、棚の品物を順次確認していった。



 ミリペン、定規、綺麗に立てかけられたスクリーントーン、漫画用インクに墨汁、カラーを塗るためのマーカー。



 そこから下の段へ移り、漫画用の原稿に目をやった。



 ここまで見たあと、僕は先ほど眺めていた上の段に目線を戻した。



 マーカーだ。



 山根さんが本当に欲しかったのは水彩絵具ではなくコミックマーカーだと本人が言っていた。



 僕はマーカーが並べられている棚を見た。


 バラ売りされているものと箱に詰まってセット売りされているものがあるようだ。



 七十二色セット、二万六千円。

渡利昌也

たか!

 思わず声が漏れる。



 こいつは僕には無理だ。


 山根さんがマーカーを諦めたのもうなずける。



 隣の三十二色セット九千七百円。
 いや、きつい。



 十二色セット四千四百円。
 きついが、なんとかいける。



 ホワイトデーのプレゼントは、このコミックマーカー十二色セットに決めた。



 ただ、これだとカラーを塗るには色のバリエーションが少なすぎるのではと思った。


 懐と相談して奮発した十二色セットだが、山根さんに喜んでもらえるか不安だった。


 ホワイトデーの朝。


 今から授業でもはじめるかのように、アキオ君は教室の教壇に両手をついて立っていた。

アキオ

はいはーい。
女子の皆さんちゅうもーく。

 アキオ君がパンパンと手を叩き、皆の視線を集めた。

うるせーぞアキオ

そうだそうだーうるさいぞー

 二人の女子がアキオ君に野次を飛ばした。


 以前、アキオくんとホアチャー君のミッションで話しかけさせられた、僕が苦手とするタイプの二人だ。

アキオ

ちょーっと待った。
ほらほらほら、今日は何の日ですか?
これから僕が女子の皆様にホワイトデーのお返しを配ってあげようというのに、その言い草はないんじゃね?
やだなぁもう

はぁ?
みんなの金で買ったやつだろうが

ちゃんと説明しろよ

ホアチャー

自分だけ株をあげようとするんじゃねぇ

 アキオ君が身振り手振りを加えながら調子よくしゃべり出すと、今度は男子諸君から野次り倒された。

アキオ

まあまあ、落ち着いて

 アキオ君は両手を向けて皆を制しようとしているが、今にも物が投げ込まれそうな勢いだ。



 僕はみんなのやり取りを自席で眺めながらも、そんなことより山根さんへのお返しをいつ渡せばいいのだろうかと考えていた。



 部活の帰りに廊下で山根さんを待っていようか。



 だが、バレンタインデーの時のように飯塚さんと倖田さんが覗いてるかもしれない。


 もっとも、単なるお返しなのだから、見られて困ることもないだろうが。



 いや、大いに困る。



 あらぬ誤解から、またあの二人におちょくられてしまう。



 それにしてもお返しの割に結構高額な物を買ってしまったと、今になって後悔していた。



 これでは下心や恋心があると思われても仕方がない。



 あれこれ考えていると、いつの間にか先生が教壇に立っており、既に授業が始まってい
た。


 どうやら僕の心が留守中の間に朝の騒動も終わり、クラスの男子からのお返しも女子に全て行き渡っていたようだ。



 実のところクラスの女子へのお返しには興味がなかったので、僕は引き続き山根さんへのお返しを渡すタイミングについて考えた。

pagetop