撫子

……。

 調合用である、魔術式の小さな陣の上……。
 そこでくるくると回る光の球体を見つめながら、撫子は慎重に術の経過を見守る。

撫子

むむ……っ、次は、こう……。

撫子

……。

 薬研(やげん)と呼ばれる道具を使って薬草をすり潰したりなどの工程は経ず、今回は最初から魔術による調合方法を試しているのだが、これがなかなかに難しい……。
 魔力を集中させ、詠唱と紡いで発動させればあとは威力を放つだけのそれとは違う。
 薬学術師のフェインリーヴから教わった第二の調合方法であるこの術式は、発動中も術者がしっかりとコントロールを慎重に扱わなければならない繊細なもの。うっかりミスをやらかしてしまえば、また一からやり直しなのだ。

撫子

よし、もう少し……!!

撫子

あ! 上手くいった~!!

 無事に出来上がったのは、緑色の錠剤がひとつ。
 必要な材料を揃えるのに少々苦労があったが、こうやって完成した姿を見ると、喜びの気配が胸に溢れていく。

撫子

さてと、これをお師匠様に飲んで貰えば、きっと……、ふふふふふふふ。

 フェインリーヴと出会ってから、早二年近く……。
 彼の弟子として、そして、唯一人の恋人として幸せに暮らしている撫子は、今日も薬学術師見習いとして王宮での日々を過ごしている。
 初級の勉強も滞りなく終わり、今度王宮で行われる薬学術師の試験に合格すれば、彼女は晴れてその道の第一歩を歩む事が出来る。
 見習いから、初級薬学術師という立場に昇格するのだ。つまり、もうお師匠様こと、フェインリーヴから見習いとしてのお給料、という名のお小遣いを貰わなくても済むようになる。
 その日を心待ちにしながら、見習いとしての日々を過ごしていた彼女が作り上げた、この錠剤。
 何度も何度も調合を繰り返し、その効果を確かなものへと高める事に成功した撫子は、それを薬用のケースに仕舞った。

撫子

お師匠様はどこかなぁ~♪

 研究室か、それとも薬学塔か、はたまた薬草の栽培ハウスか……。
 撫子はトクトクと逸る気持ちを抑え、研究用兼自室を軽やかな足取りで出て行くのであった。

フェインリーヴ

わかった。その件は俺の方から薬学術師長に進言しておこう。

レオト

ん。頼むな。まぁ、なんか要求されたら、また要相談で。

撫子

いたいた!!

 広大な王宮の一角、騎士団の者達が訓練を行う野外の場所に辿り着いた撫子は、目当ての長身を見つけた。蒼く長い髪を背に流している、一見して魔術師のような服装をした男。
 どうやら、このレディアヴェール王国の騎士団長、レオトと話をしているようだ。
 撫子は声を出さずにそろ~り……と、その背中に近づいて行く。
 ――しかし。

フェインリーヴ

背後から仕掛けるなら、前からの方が好みなんだがな?

撫子

あ~、やっぱり気付かれちゃいましたか。残念っ。

 別に抱き締めようとはしていなかったのだが、くるりと振り向いたお師匠様、フェインリーヴはにこやかな笑みと共にその両手を広げて見せた。
 このレディアヴェール王国に仕える、高位の薬学術師。そして、撫子のお師匠様。
 初めてこの異世界に飛ばされて来た時に、重傷を負っていた撫子を保護し、救ってくれただけでなく、居場所まで与えてくれたのがこの青年だ。

フェインリーヴ

ほら、遠慮する事はないぞ?

撫子

レオトさん、こんにちは。今日もお仕事お疲れさまです。

レオト

まぁ、頑張ってるのは団員達だけどね。

ポチ

ワンッワンっ!

撫子

ポチもこんにちは。はい、餌用の骨だよ~。

フェインリーヴ

放置か? 放置なのか? 俺を迎えに来たんじゃないのか? おい、撫子っ、こっちを向け!!

撫子

じゃあ、その広げてある両手は下げてください。

フェインリーヴ

べ、別にいいじゃないか……っ。俺とお前がそういう仲である事は、レオトだって……。

撫子

人前では絶対に嫌です♪

フェインリーヴ

しくしくしく……。

 撫子からの満面の拒絶に、お師匠様はわかりやすくその場にしゃがみ込んで、のの字を書き始めてしまう。
 けれど、仕方がない。
 こんなにも大勢の騎士団員達の目があるところで抱擁など、顔から大爆発が起きるくらいに気恥ずかしいものなのだから。
 

撫子

それに、両想いになってから、お師匠様のスキンシップが目に見えて増えたというか……。

 油断をすると、すぐにお師匠様の腕の中にすっポリと収まっている事は日常の風景になってしまっている。
 フェインリーヴ自身は、自分の薬草学の研究や仕事を疎かにする事はないのだが、暇が出来ると、何かと撫子に構いたがるのだ。
 それを嫌というわけではないけれど……、やっぱり二人きり以外の時は全力でご遠慮したいのが、撫子の本音である。

撫子

まぁ……、お師匠様の腕の中は、大好き、なんだけど。

 でも、やっぱり恥ずかしい!!
 だから撫子は、二人きりの時以外は弟子の顔で笑顔を浮かべながら、その温もりをするりとかわすのだ。
 

フェインリーヴ

はぁ……。

レオト

まぁ、お前の気持ちもわかるが……、少しは周りの事も考えような?

ポチ

一応、立場の在る者が公私を弁えないのは問題だからな……。我慢しろ。

 普段はただの犬、いや、レオトの飼い狼のふりをしているポチがこっそりと小声でフェインリーヴの足を前足でタシタシと叩いた。
 どこからどう見ても、遥かに年上のお師匠様の方が愛情に飢えているような光景は残念極まりない。

フェインリーヴ

別に、師匠と弟子の抱擁ぐらいで仲がバレる事はないと思うんだが……。

レオト

いや、モロバレだからな? 主にお前の撫子君への熱烈ラブオーラがあからさまというか……、隠す気ないだろう?

フェインリーヴ

……抑えているつもりなんだが。

レオト

どこがだよ……。

ポチ

レオト、言っても無駄だ。初めて手に入れた唯一無二に対する喜びがどれほど大きいか、多分自分でも気付いていない。

レオト

あ~……。

 ぼそぼそと男三人、いや、二人と一頭が交わす会話に背を向けていた撫子は、訓練に励んでいる騎士団員達からの声に手を振って答えると、フェインリーヴ達に向き直った。
 ようやく完成した『これ』を、早くお師匠様に飲んで貰わなくては。

撫子

実はですね、お師匠様にちょっと見てほしいものがありまして……。

フェインリーヴ

ん? ……これは、お前が作ったのか?

撫子

はい!! なかなか効果を高められずに試行錯誤を繰り返していたんですけど、さっきようやく完成したんです!! これ……、大丈夫、ですよね?

 薬のケースに入っていた緑の錠剤を指で摘みあげると、フェインリーヴはじーっとそれを見つめ始めた。
 高位の薬学術師である撫子のお師匠様は、対象を見ただけでその原材料や効能を分析する力を持っている。
 飲ませる前に、お師匠様からのお墨付きを貰っておけば、安心して次の行動に移る事が出来る。

フェインリーヴ

ほぉ……。結構良い感じに出来ているじゃないか。人体の構造強化、特に、筋肉の発達に効く薬か。しかも即効性……、うん、文句なしの出来だな。

撫子

本当ですか!?

フェインリーヴ

あ、あぁ……。これなら、初級試験も問題なしだろう。日々ちゃんと成長しているな。よしよし。

レオト

……筋肉増強?

ポチ

……即効性?

 ケースに錠剤を戻したフェインリーヴにそれを返して貰うと、撫子はニッコリと満足そうに微笑んだ。
 よし、これで何の迷いもない。
 

撫子

お師匠様、あ~ん!

フェインリーヴ

は? あ、あ~ん?

フェインリーヴ

……。

撫子

……飲みましたね?

 愛らしく微笑んだ撫子に、みるみるフェインリーヴの顔が青ざめていく。
 レオトとポチが、あ~あぁ、と、残念な目でその変化を見守っている。

フェインリーヴ

撫子!!
お前、今……!!

フェインリーヴ

――うっ!!

レオト

フェイィィイン!?

ポチ

撫子……、まさかとは思うが、この為に?

撫子

ふふ、わくわく♪

 剥き出しになっている地肌に倒れ込んだフェインリーヴを、大慌てでレオトが助け起こすが……。
 うぅ……と、苦し気にその美しい面が歪められた直後、――劇的な変化が起こった。

フェインリーヴ

うぁあああっ!!
か、身体がぁああ!!

レオト

ちょっ、ふぇ、フェイン!! だ、大丈夫か!? しっかりしろ!!

 まさかの、お師匠様兼恋人殺人事件でも起きるのかと周囲が危ぶんだものの、フェインリーヴの雄たけびのような絶叫の後、訓練場の全員が見たものは……。

撫子

わぁ~!! 上手くいった~!!

レオト

ちょっ、撫子君!!
フェインがっ、
フェインがっ――!!

ポチ

凄いな……。本当に即効で特大筋肉男に……。

 無事に上手く効果が表れて良かったと、爽やかな笑顔で自分の両手を叩いた撫子とは反対に、その場の全員の心にあったのは、恐怖に包まれた疑問符ばかり。
 纏っていた魔術師的な服は無残にも引き裂かれ、撫子の目には、素晴らしい変化を遂げたお師匠様の姿が映っている。
 ――筋肉マッチョなフェインリーヴの姿が。

撫子

お師匠様!! とっても格好良いですよ!!

レオト

ああああああっ、ちょっ、こ、これっ、どう収拾をつけるんだよ!! おい、フェイン!! 聞こえるか!?

特大マッチョ・フェインリーヴ

うぉおおおおおおおおお!!

レオト

うん!! 狂戦士(バーサーカー)と化しちゃってるな!! どうすんだよ!! これ!!

撫子

あれ、変ですね……。自我まで失う効果はなかったはずですし、お師匠様も何も……。

ポチ

おい……、フェインの奴が王宮を破壊し始めているんだが。

 その場の全員が視線を一箇所に集中させたその先では、狂戦士状態になったフェインリーヴが大怪獣のごとくその拳を振るい始めてしまっていた。
 ……ホントニドウシヨウ。

ぎゃあああっ!! 王宮に化け物がぁああっ!!

騎士団と魔術師団を呼べぇえええええい!! レディアヴェール王国の危機じゃああああっ!!

レオト

撫子君……。日頃からフェインの体型に不満があったのはわかるんだけどね?

撫子

は、はい……っ。

レオト

魔族に飲ませた場合の効果や副作用もちゃんと考えようね!!(怒)

撫子

ご、ごめんなさぁあああああい!!

 普段、穏やかで優しい爽やかお兄さんなレオトに怒られてしまい、撫子はしゅぅぅんとその場に頭を抱えて座り込んでしまう。
 そうだった……。お師匠様、フェインリーヴは人間でなく、――魔族。
 調合の仕方によっては、良い効果を期待出来るはずのそれも、彼らにとっては毒となる事もある。
 撫子はそれを完全に失念していた。

撫子

お、お師匠様~!! ごめんなさ~い!!

ポチ

反省は後だ、撫子!! 薬の効果はどのくらいかわかるか?

撫子

え、えっと、確か、さ、三十分ほどです!!

レオト

今、五分くらいは経ったはずだから、手っ取り早く気絶させるか……。行くぞ、ポチ!!

ポチ

心得た!!

 ――そして、撫子のしでかした騒動は、割とすぐにレオト達の手によって収束が成されたのだが。

1・薬師で○○なお師匠様と過ごす日々【前編】(※光効果注意)

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