美術部の女子部員一同から、男子諸君へ義理チョコが配られた。

倖田真子

あー、ホワイトデーが楽しみー

 つり目っ娘の倖田さんが、早くも男子部員にプレッシャーをかける。

飯塚俊司

俺たちで女子全員にホワイトデーのお返しって結構きついよなぁ。
損した気分だ

 飯塚さんが小声で言った。



 美術部は女子が十二人に対し、男子は僕を含めてもたったの四人だ。

倖田真子

部長、何か言った?

飯塚俊司

チョコうまいっす!

 倖田さんに睨まれ、飯塚さんは慌てて義理チョコを頬張った。



 女子部員からもらった義理チョコを見ていると、教室での嫌なドッキリのことを思い出してしまう。



 部活が終わり、部員のほとんどが帰宅していった後、少し遅れて僕も美術室を出た。



 そのまま帰るつもりで歩き出した時、漫画研究部の部室前に立っている山根さんの存在に気が付いた。

山根琴葉

あ……

 山根さんは一声漏らしたあと、身動きせず立ち尽くしている。

渡利昌也

山根さん、どうしたの?

山根琴葉

い、いえ。
とと、特に

 漫画研究部の誰かを待っているのかと思い、僕は軽く山根さんに手を振って帰ろうとした。

山根琴葉

あ、あの

 山根さんが呼び止めたので、僕は山根さんの方へ振り返った。



 山根さんがようやく僕の方へ歩き出した。




 何か用事があるのだろうか。




 丁度そのとき美術部の女子部員がドアを開けた。
 驚いた様子で山根さんの歩みが止まる。

あれ?
渡利先輩、まだいたんですか?
おつかれ様です

 美術室から出てきた女子部員は、僕に挨拶をしてそのまま帰っていった。



 その女子部員が廊下の角を曲がり、見えなくなる。


 と同時に、山根さんがグングン僕に近づいてきた。



 山根さんは僕の目の前でピタリと止まり、手提げかばんから漫画の単行本程の四角い箱を取り出して素早く僕へ渡した。

山根琴葉

あの!
い、いつも!
ネーム……読んでもらってるお礼……です!
め、迷惑でしたら……すすす、すいません

 山根さんはそう言うと、猛スピードで去っていった。





 受け取った四角い箱には大きな筆文字で『義理』と書いてあった。

飯塚俊司

見たぞ

倖田真子

見たわ

 突然トーンの低い男女の声が聞こえた。

渡利昌也

ひっ

 僕は情けない悲鳴を上げた。



 声がした美術室の方を見ると、小さく開いたドアの隙間から飯塚さんと倖田さんが片目だけを覗かせていた。

飯塚俊司

おうおう、渡利君。
モテモテですなぁ

倖田真子

渡利のくせに生意気

 飯塚さんと倖田さんは粘りつくような視線を僕に浴びせかけながら言った。

渡利昌也

いや、でも義理ですよ。
ほら

 僕は、任侠溢れんばかりの達筆で箱に書かれた『義理』の文字を二人に向けた。

飯塚俊司

照れ隠しに決まってるだろ。
さっきの彼女の様子。
まさに恋する乙女が如し

倖田真子

いいな、あのメガネっ娘。
日本美術の極み、『侘び・寂び・萌え』の全てを兼ね備えている。
渡利にはもったいない

 二人して何を言っているのやら。

渡利昌也

山根さんはいつもあんな感じですよ。
あと侘び寂び萌えって……

飯塚俊司

いつもあんな感じ?
じゃあいつもおまえに恋してるってことか?
自慢か?

倖田真子

今や日本の美術は『侘び・寂び・萌え』。
ヨーロッパでも広く知れ渡り、高い評価を受けているのだ。
美術の道を歩むなら頭に入れておけ

 駄目だこの二人。

 話が通じそうにない。



 僕は二人を放っておいて帰ることにした。

飯塚俊司

ひゅーひゅー、憎いねこの

倖田真子

侘び・寂び・萌えだぞ渡利

 僕が立ち去ったあとも、二人はドアを開けずに隙間からヤジを飛ばした。


 夕食を終えて風呂に入り、部屋へ戻るとリラックスした状態で宿題に取り掛かった。




 時計は九時を指している。




 宿題を半分ほど済ませたところで、僕はカバンの中にしまったままの義理チョコを取り出した。



 極太で書かれた『義理』の文字が僕を威圧する。




 箱に貼られたセロハンテープを剥がして蓋を開けると、中には白い容器で型どられた真四角の板チョコが入っていた。



 そのチョコの上に小さな手紙が添えられている。



 僕は手紙を取り、義理の真四角チョコを見た。



 チョコには右下に小さな猫の絵、そして中央には大きなふきだしと『義理だニャン』の文字がホワイトチョコで書かれていた。



 義理なのに手作りだ。



 畳み掛けるように『義理』を強調するなぁ。



 とは思ったが、こんなに嬉しい義理チョコをもらったのは生まれて初めてだった。



 僕はしばらく義理チョコをじーっと見ていた。



 顔が無意識にニヤける。



 義理チョコを存分に愛でたあと、僕は手に持っていた小さな手紙を読んだ。




『渡利さんへ
いつもネームを読んで、御意見、御感想をお聞かせいただきありがとうございます。
とても参考になっております。
そのお礼といってはなんですが、義理のチョコをどうぞ。
もしご迷惑でしたら、近所の犬にでも食べさせてください』



渡利昌也

犬にやるかい!
ちゃんと食うわ

 僕は一人なのをいいことに、手紙相手に恥ずかしげもなくツッコミを入れた。



 そしてチョコを食べようとしたのだが、なんだかもったいなくてなかなか口に入れられなかった。



 とりあえず『義理』の文字から食べることにして、僕は端っこをパキッと噛じった。

渡利昌也

にが!

 甘さ控えすぎなのか、そもそも砂糖抜きなのか、とにかく苦かった。

渡利昌也

うーん、青春って苦いのねぇ。
ココア入れてこよ

 僕は恥ずかしい独り言をつぶやき、甘いココアで青春の苦味を乗り切ることにした。


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