夕日があたりをハチミツ色に染める頃、あたし達はザンクトフロスにたどり着いた。

この街は天上教黎明期の伝道師が天上教を広める旅の果て、ここでの布教中に息を引き取ったという伝説がある事から、天上教の聖地のひとつとされている。町の中央にはその伝道師を讃える大聖堂が聳え立ち、訪れる巡礼者も多い。

アニカ

久しぶりのにぎやかな街だー♪

バシリスクの跋扈する砂漠やらを経てやっとたどり着いた活気ある街にほっとしていると、街の中心の方から何やらこちらへ向かってくる一団があった。

揃いの白いマントに身を包んだ二十人ほどの男性たちだ。彼らは広い通りの真ん中を我が物顔で歩いてくると、あたしたちの少し手前で停止した。

彼らの中のリーダーらしき男、つややかな銀髪を肩のあたりまで伸ばしている青年が、ヴァルターの前まで進み出るとうやうやしく膝を折ってお辞儀をした。

フォルケール

勇者閣下、ザンクトフロスにようこそおいで下さいました。私は巡礼騎士団総長のフォルケールと申します。以後お見知りおきを

巡礼騎士団とは、巡礼の道とその途上の諸都市の治安維持を担う騎士兼修道士達の団体である。巡礼の道は聖地コンスティカを始点として、世界各地に点在する天上教の聖地を縦横に結んでいる。彼らは巡礼者が安全に旅をできるよう、街道に出没する魔物やら野盗やらを退治したりしているのだ。

フォルケール

今晩の夕食のご予定がまだお決まりでないなら、「雪の福音亭」においで下さい。魔王討伐隊を歓迎して巡礼騎士団主催の晩餐を催させていただきます。

フォルケールはそう言って、勇者たち四人ひとりひとりに対しお辞儀をした。
そして――魔王討伐隊に金魚の糞の様にくっついているあたしとエリザを訝し気に見つめた。

フォルケール

そちらの方々は魔王討伐隊の一員なのかな?

アニカ

いえ、訳あって同行してますけど、魔王討伐隊じゃないんです

あたしがそう答えると、彼のあたしに対する視線がびっくりするほど冷淡になった。

フォルケール

そうか。
ならば、――どけ

フォルケールはあたしを軽く突き飛ばすように押しのけて、彼方へと去っていった。彼と同じマントで全身を覆った騎士団達が後に続く。

アニカ

うわっ、……ちょっ
突き飛ばすことないでしょーっ!

急に押されて、あたしが抗議の声をあげながらよろめいていると、騎士団の一人が走り寄ってきて、なかば抱きかかえるような格好で支えてくれた。

マルク

大丈夫ですかお嬢さん

その赤茶色の髪の青年を見て、グレーテルが素っ頓狂な声をあげた。

グレーテル

お兄ちゃん!?

青年の方もグレーテルのことはよく見知っているらしく、彼女を見るや否や相貌を崩した。

マルク

グレーテル! グレーテルじゃないか!
魔王討伐隊に加わっていたのか。立派になったもんだな

アニカ

お兄ちゃんって……
この騎士様がグレーテルのお兄ちゃんなの?

そういえばグレーテルの出自とか全く知らないけれど、この騎士を兄と呼ぶという事は、騎士階級の出なのだろうか。

グレーテル

あ、いや、とんでもない!
こちらのマルク・フォン・ミューゼル閣下をお兄ちゃんと呼んでしまった事は忘れてくれ。実は……

グレーテルの語るところによると、彼女は孤児で、王都の西の貧民街近くの教会で他の孤児たちと一緒に育てられたという。

マルクという名の赤茶色の髪の青年は、教会に資金援助をしてくれていたミューゼル伯爵の息子で、貴族同士の社交などより教会の孤児たちの面倒をみることを好み、よく小さな子たちの世話をしにやってきていたという。

あたし的には好感の持てる人という印象だが、貴族の息子としては決して褒められたものではないだろう。

マルク

閣下だなんてかしこまらなくていいのに。
昔みたいにお兄ちゃん、でいいんだよ

グレーテル

と、とんでもありません。
恐れ多いことです

マルク相手にひたすら恐縮していたグレーテルは、あたしがマルクに肩を支えられたままであることに気付くと、急にあたしをにらんで語気を強めた。

グレーテル

こら! いつまでくっついてる!
お兄ちゃんから離れろ! この淫売が!

どうやら頭に血が上っていて、マルクのことをまたお兄ちゃんと呼んでしまったことに気付いていないようだ。

あたしとしてもいつまでも見ず知らずの青年に支えられっぱなしではきまりが悪いので、慌てて離れる。

マルク

言葉が過ぎるぞグレーテル。淫売はないだろう淫売は。
……すみません、こいつは子供のころから口が悪くって

マルク氏は子供を叱る口調でグレーテルをたしなめた後、彼女に代わってあたしに謝意を表した。グレーテルの口の悪いのは骨身にしみて知っているが、こうして本人でない人から謝られると、逆にフォローしたくなる。

アニカ

いえいえ、グレーテルはとても良いご婦人ですよ。ただ、自分にも他人にも清廉潔白を求めるので、さっきのあたしの様にモラルに反する事をすると怒られてしまうだけです

まあそのモラルというのが、天上教が規定するモラルであって、あたしたちの文化なんか尊重してくれないのがウザいんだけど、それはマルクには言わないでおこう。

そんな風にマルクと話しているうちに、マルク以外の巡礼騎士団の面々は総長を追ってどんどん歩いて行ってしまった。マルクは慌てて仲間を追いかけようと走り出したが、一度立ち止まってこちらに向き直り、深々と頭を下げた。

マルク

みなさん。グレーテルと仲良くしてくださってありがとうござます。
それでは

そう言い残して、今度こそ彼は騎士団を追って走っていった。

ヘカテー

フォルケールとかいう総長は冷たそうな人だったっすけど、マルクっていう騎士様はいい人っすね。
ああいう殿方と燃えるような大恋愛をしてみたいっす

言いながら、ヘカテーはいつまでもマルクの走り去った方角を見つめてぼーっとしている。

グレーテル

お兄ちゃんはドリアードなんかにたぶらかされたりしない!

グレーテルの必死の抗議も、ヘカテーには届いていないようだった。

それから数時間ほど街の中をぶらぶらして、日もとっぷりと暮れた頃。

あたしとエリザは、巡礼騎士団が魔王討伐隊の歓迎会を開くという料亭、『雪の福音亭』へ向かっていた。

あたし達は呼ばれていないんだけど、大きな店だし、別に今夜は騎士団の貸切というわけでもないらしい。地元の人に聞いたところでは、巡礼者で多少なりとも懐に余裕のある人はかならず一度は雪の福音亭で夕食を取る、というほど人気のある店らしいので、今夜のご飯は少し奮発することにしたのだ。

あたし達のいた場所から雪の福音亭に行くには、目ぬき通りをまっすぐ歩いて街の中央の大広場を抜け、その先をさらにまっすぐ歩けばいいらしい。というわけで、月明かりに照らされた大通りを、エリザと共に歩いていると――。

前方、中央広場の真ん中に、見事な大聖堂が見えてきた。

大聖堂は美しい白壁と青い三角屋根が印象的な建物で、その屋根の上に高く鐘楼が聳えている。
その横には同じ色合いの尖塔が立てられていて、こちらの高さは鐘楼よりさらに高い。その奥には、教会に併設されている修道院も見える。

アニカ

ふわぁ……。
綺麗……

思わずそんな声を漏らしてしまったのは、大聖堂の外観の荘厳さもさることながら、その聖堂を彩る、おびただしい数の魔力燈のせいでもあった。

暗い夜の街に、星屑のような無数の小さな魔力燈の光に照らし出されて、大聖堂は浮き立つように見えた。天上教徒ならずとも思わず神聖な気持ちになってしまうような、そんなきらびやかさだった。

綺麗だろう?
だけどこのライトアップ、そのうち廃止するかもしれないんだ

あたしが立ち止まって大聖堂に見とれていると、ひとりの男性がそんな風に話しかけてきた。

観光地によくいる、見ず知らずの観光客相手に勝手に観光案内人を買って出るおじさんだろう。こういう手合いの中には稀に、対して役に立たないガイドをした挙句にガイド料をせびる奴もいるのだが、大抵の場合は無料でガイドしてくれる。

あまり知られていないおいしい店の情報とかを教えてくれる場合もあるので、こういうおじさんに話しかけられたら邪険にせずちゃんと話を聞くことにしている。

アニカ

ライトアップ廃止って、なぜですか?

あたしが聞くと、おじさんはポケットからクルミほどの小さな石ころを取り出した。

この「魔石」のせいさ。
知っての通り魔力燈というのは、圧力を加えると発光する性質を持つ石を、強力なクリップで挟むことで光を得ている。

魔石というのはその名のとおり、魔力を持った石だ。魔力燈のかさの内側には、魔石を保持するためのクリップがあり、そこに魔石を挟むと魔石に圧力が加わり、発光する。魔石は発光しながらどんどん魔力を消費していき、魔力が尽きると明かりが消える。これが魔力燈の原理だ。

毎晩これだけの魔力燈をずっとつけていると、魔力消費が膨大だろう?
魔力を使い果たした魔石は、教会に併設されている修道院の修道士たちが祈りを込めることで魔力を回復させるんだが、これが修道士たちの負担になっているんだ。

そもそも修道院内での生活というのは、修道会が定めた規律に基づいた様々な勤労に明け暮れる毎日だ。修道院は畑や牧場を有しており、野良仕事、家畜の世話なども修道士の仕事だし、建物の内外の掃除だってある。仕事の合間に、神へのお祈りの時間とか神学の勉強の時間なんかも定められている。

世界中の修道院の共通規則である上記の日課に、さらに魔力の切れた大量の魔石に祈りを込める仕事が加わると、さすがの勤勉実直な修道士たちでも音を上げるほどのオーバーワークになる。特に、魔石に祈りを込めるのは精神的な疲労が大きいのだ。

今までは修道士が頑張って何とかしてきていたが、さすがに限界らしい

エリザ

魔力の切れた魔石を再利用せずに、常に新しい魔石を購入するのではダメなのですか?
再利用するにしても、祈りを込めるのを外部の人に委託するとか

エリザの疑問はもっともだ。これだけの巡礼者がいるのなら、教会へは多額の寄付が集まっているはずで、魔石を買うお金だってあるはずだ。

そんなに大量の魔石を安定的に仕入れられる商人がいないんだ。祈りの委託も似たようなもので、大量に頼めるほど魔石に祈りを込める技能がある人はたくさんいない

魔石の安定的な買い付けを困難にしているのは、この街が北方地域に位置し、周囲に魔物が多いことに原因がある。
行商人の積み荷が魔物に襲われる頻度が高いため、街の外からの安定した買い付けが難しいのだ。

魔石に祈りを捧げる技能の方はというと、魔力を多少なりとも持っている人なら、方法さえ覚えれば魔石に魔力を込めることは難しくない。だが、その方法を知っている人があまりいない。自分の家で使う分くらいなら買ってしまった方がはるかに手っ取り早いからだ。

そんなわけで、このままだと教会のライトアップは廃止せざるを得ないのだそうだ。すこし残念な気もするがしょうがない。見られるうちに目に焼き付けておこう。

ひとしきり堪能した後、あたし達は夕食を食べに、雪の福音亭へと向かった。

(続く)

pagetop