ザンクトフロスへは日暮れ前にはたどり着けるだろう。街が近づいてくるにつれ、同じ道を行く巡礼者の数も増えてきた。

アニカ

でさー。
ヴァルター達はザンクトフロスに着いたら、その後はどうすんの?

ヴァルター

グラマーニャ領内で最後の大きな街だからな。数日滞在して、必要なものを買いそろえたり、今後の戦略を練るつもりだ

確かにザンクトフロスを過ぎれば、まもなくグラマーニャ王国の領土の北限にたどり着く。そこからは魔物たちの世界だ。魔王討伐隊は魔物の住む街や村を、制圧しながら進むことになる。

あたし達としては、ヴァルター達がザンクトフロスに滞在している間に、どうにかして彼らを説得して、北進を中断させたいところだけれど、たった数日で説得できるかどうかは難しいところだ。

グレーテル

勇者、ザンクトフロスの次の目的地はどうしましょうか。グラマーニャ北限の町ボロムへ寄りますか? それとも直接魔物の支配地域まで行ってしまいましょうか?

ヴァルター

ザンクトフロスで情報収集して決めるしかないだろう。と言っても、ザンクトフロス以北の情報はほとんど入ってこないそうだが

ザンクトフロス以北は魔物の出現率がひときわ高いので、ボロムとの間の街道すらもあまり人が行き来しないため、あまり情報が入ってこないのだそうだ。

ヘカテー

今後の行動を決めるための情報が欲しい……。
つまりうちの出番っすね

あたしの肩に乗って羽を休めていたヘカテーが、待ってましたとばかりにヴァルターの方へ飛んでいく。

ヴァルター

出番って、お前みたいなチビに何ができるんだよ

ヘカテー

あなどってもらっては困るっす。
うちは大陸中のオークの樹が見ている風景のうち、勇者さん達の運命と最も関係の深い風景を、この場に映し出すことができるっす

ヴァルター

オークの樹が?
見ている風景を?
映し出す??

まあ、口で言われてもピンとこないよね。あたしもそうだった。

アニカ

まあ、実際に見た方が早いよね。
ヘカテーちゃん、やって見せて

ヘカテー

はいっす

ヘカテーは、前回と同じように呪文を唱えながら飛び回り、その軌跡で魔法陣を描いていく。魔法陣から放たれる燐光がどんどん強くなり、眩しい光の洪水になった後、その場に風景が現れた。

映し出されたのは、どこかの室内だった。
そう広い部屋ではない。右隅には質素な木製のベッドが置かれ、その奥にはやはり木でできた机が見える。窓はあるがカーテンが閉められていて室内は薄暗く、机の上の蝋燭のみが辺りを照らしている。

その机に向かって、籐で編まれた焦茶色の椅子に座って、机上にある、頭に角の生えた神の像に向かって祈りを捧げている、一人の男性の姿が見えた。

アニカ

オークの樹が見ている景色なのに、室内?
どゆこと?

あたしが訝しんでいると、エリザがしばらく考え込んだ後、はたと思い当たったように口を開いた。

エリザ

ひょっとして、ボロムにあるという有名な『樫の樹亭』ではないでしょうか

樫の樹亭はボロムにある宿屋兼酒場だ。
ボロムにはもともと町の中に大きな樫の樹があり、樫の樹亭はそのすぐ横にある小さな宿だったのだが、北限の町の唯一の宿屋という性質上、歴代の魔王討伐隊がグラマーニャ領内最後の宿泊地とすることが多い。そのため樫の樹亭の知名度は勇者が訪れるたびに上昇していった。

知名度が上がっていけばそれだけ客も増え、樫の樹亭はその千年を超える歴史の中で何度も増築されたのだが、困ったことに小さなボロムの町には樫の樹亭を増築するための土地が足りていなかった。そのためいつの間にか、横にあった樫の樹を建物内に取り込む形で増築が行われるようになった。

現在では樫の樹は完全に建物に取り囲まれ、外から見ると店を貫いて樫の樹が聳えているという、世にも稀な奇観が完成した。その風変わりな外観のため、樫の樹亭はますます有名になった。

樫の樹はオークの一種だから、樫の樹亭の樫が見ている風景も、ヘカテーが見ることができてもおかしくない。

樫の樹亭は一階が酒場、二階が宿泊できる部屋となっていて、樫の樹は酒場のフロアをぶち抜いて二階の四つの部屋の一部を占領し、屋根の上へと抜けている。この四つの部屋は樫の樹がある分他の部屋より狭いのだが、珍しいため宿泊客の人気は高い。

今映像で見ている部屋は、その樫の樹に貫かれている四つの部屋のどれかなのだろう。

室内の男がお祈りをやめて、視線をドアの方に移した時、ちょうどコンコン、とドアがノックされて、宿の主らしき男性の控えめな声が聞こえた。

宿の主人

お客様。
――アルベルト様

アルベルト

……

アルベルトと呼ばれた室内の男は、黙ったまま立ち上がろうともしない。居留守を使うつもりなのだろうか。

客がドアを開ける気がないと知ると、宿の主人はしばらくおし黙った。ややあって、ドアの方から、主人とは違う男の声が聞こえた。

お館様。
わたくしでございます。

その声を聞いて室内の男はぴくりと身じろぎし、やがてドアの向こうに返事を返した。

アルベルト

ワイバーン卿か。
開いているから入りたまえ。

かすかな軋み音を立ててドアが開き、ワイバーン卿と呼ばれた男が入ってきた。ロマンスグレーの髪をした初老の男性で、身分の高そうな身なりをしている。

ワイバーン卿

お館様。
ご機嫌麗しゅう存じます。

アルベルト

挨拶はいい。
何の用だ。

アルベルトが問うと、ワイバーン卿は居ずまいを正し、正式な通達を奏上する伝令係然とした態度で報告した。

ワイバーン卿

魔王腹心筆頭オルトロス閣下よりの伝令です。欠員であった三人目の腹心が決定いたしました。ついては、就任式を執り行うのでオズィアにお戻り下されますように、とのこと。

魔王腹心筆頭? オズィア?
つまりこれって……。

エリザ

彼らは人間になりすました魔物、という事でしょうか

魔物の中でも最高クラスに強力なものたちは、人間に変身する能力を持っている。彼らはそんな、強力な魔物たちなのだろう。

アルベルト

ほう。三人目の腹心がか。
ちなみに誰だ?

ワイバーン卿

妖精王オベロン公です

その名を聞いて、アルベルトは訝しげに首をかしげた。

アルベルト

オベロン公?
彼はそんなに強くはなかっただろう。まだ貴卿の方が強いくらいだ

ワイバーン卿

そうだったのですが、先日起こったある事件の影響で、オベロン公は急激に力をつけられ、腹心の条件を満たすまでになられました

アルベルト

それは興味深いな。どんな事件だ。

ワイバーン卿

ご存知の通り、彼ら妖精族は遥かな太古、妖精の丘周辺地域の人々に崇拝されてきた神々でありました。あの一帯にメレク信仰が根付き、妖精信仰が下火になると彼らの力も衰え、神格を失い魔物となったのです

そういう伝説がある事は、あたしも知っている。大昔は彼らは神であり、周辺地域で崇められてきた。今も北ノイエスラントでは妖精達をメレクの眷属として一定の尊崇を捧げてはいるが、勢力の衰えた彼らは神格を失い、魔物の一種族となった。

アルベルト

それがどうして今になって急に強力化したのだ? 人間どもの間で妖精信仰がブームにでもなったか?

ワイバーン卿

いえ、そうではございません。
妖精族に捧げられる人間どもの信仰の力の総量は変わっておりません。その信仰の力を、妖精族の全員で分け合っておったのですが……

ワイバーン卿

先日、勇者が率いる魔王討伐隊が妖精の丘を襲撃、オズィアにいたオベロン公、ティターニア妃を除く妖精全員を殺害いたしました。
その結果、人間の信仰の力はすべてオベロン公とティターニア妃の力となりました

なんてこった。
つまりは、ヴァルターが妖精の丘で妖精たちを虐殺しつくしたことで、彼らの力の源であった妖精信仰の力がオベロンとティターニアに集中し、彼らを強力化させたという事だ。

アルベルト

ふん、殺された妖精達のことを思うと胸糞悪い話だが、結果的に勇者の蛮行が我々に利する形となったわけだ。今回の勇者は馬鹿で助かる

ワイバーン卿

あの、それで、オズィアにお戻りいただけますでしょうか

ワイバーン卿が本題を切り出すと、アルベルトは面倒くさそうに応じた。

アルベルト

わかった帰ろう。
ただし、わざわざ人間に身をやつして旅をはじめて、まだやっとグラマーニャ領に入ったばかりだ。

アルベルト

もう少し旅を続けても良いだろう? オベロン公の腹心就任式は何日後だ?

ワイバーン卿

……十日後にございます。

それを聞いて、アルベルトは何やら指折り数えるしぐさをした。

アルベルト

今回の旅の目的地である我が第二の故郷まで、人間の足で地べたを歩いても六日あれば着く。帰りは龍の姿に戻って飛んでいけばオズィアまで一日とかからない。就任式の準備のうち、どうしても余がいないと困るものは三日あれば片づけられるだろう?

ワイバーン卿

『どうしてもお館様がいないと困るもの』は三日あれば処理できますが、その何倍もの量の『お館様がいないと私か、もしくはオルトロス閣下の負担が大きくなるもの』があるのでございますが

アルベルト

そこはまあ、時期が悪かったと思って諦めてもらいたい

ワイバーン卿は、ふーっ、と深いため息をついた。

ワイバーン卿

第二の故郷といいますと、お父上が晩年を過ごされたあの山ですか。お父上の遺された、あの書物でも取り戻しに行くのですか?

アルベルト

いやいや、あれは父上が、人間に読ませるために書いたものなんだ。ミタン語で書かれているしな

アルベルトの意外な言葉に、ワイバーン卿は心底驚いた表情をする。アルベルトは彼の反応を楽しむように、笑みを浮かべながら解説した。

アルベルト

父上は300年前、時の魔王陛下が勇者に討たれた時にこう思ったそうだ。異教徒である勇者が我々に刃を向けるのはまだ分かる。しかし、メレクの巫術師はなぜ我らを攻撃するのか、とね

ワイバーン卿

当時の魔王陛下も、お館様のお父上も、物理攻撃に対してはかなりの耐性を持っておられました。巫術師さえいなければ倒されることがなかった事を思えば、当然の疑問でしょう

アルベルト

そこで父上は、人間の村の近くの山に住み、人間の姿で村を訪れることで、その疑問の答えを探そうとした

これ以降のアルベルトの説明を要約すると以下のようになる。

彼の父は村にあるメレクの僧院を訪れ、僧達の教えを請うたり、僧院の所蔵する様々な典籍を読ませてもらったりして、様々なことを学んだ。メレク信仰とメレキウス信仰の差異、人間達のメレク信仰の始まりとその後の歴史、そして、ミタン人の歴史。

それによると、原初においてミタン人と魔物はそれほど深く対立してはいなかったのだそうだ。魔物の中には人間を捕食する種族等もいるので、そういう種族を人里近くから駆逐することはあっても、オズィアまで攻めていって魔王を倒す、という発想は、ミタン人にはなかったのだという。

それは、ミタン人の間にメレク信仰が広まる前からそうだったらしい。メレク信仰以前は、ミタン人はそれぞれの地域ごとにその地域の神、例えば付近にある霊力を持つ泉の女神だとか、深山幽谷の化身だとか、妖精の丘の妖精なんかを信仰していたが、そのころからミタン人と魔物との間には、種族間の根本対立はなかった。

ところが南方のグラマーニャ人がその勢力を北へと伸ばし、魔物の生息するエリアまでその支配を広げてくると、事態は変わってくる。

グラマーニャ人は、人に危害を与える魔物だけを追い払うという対処療法では満足しなかった。根本的に魔物の勢力を弱めるため、魔都オズィアへの侵攻を志し、ミタン人に協力を依頼した。

いわく、「ミタン人よ、魔物はしばしば人間を襲って食べるではないか。奴らは人類共通の敵なのだ。魔物の長を倒し、同胞が捕食されることのない世界を築こうではないか」

これはミタン人の土地を侵略し隷属させんとするグラマーニャ人に対する不満の矛先をそらす意図もあったろうし、物理攻撃に耐性のある魔物はミタン人の使う攻撃魔法でないと倒せないという理由もあっただろう。とにかく、グラマーニャ人が扇動することで、ミタン人は魔物と敵対するようになったのだ。

アルベルト

父上の書いた書物はな、ミタン人にメレク信仰ではなく、メレキウス信仰を勧めるとともに、その太古の、魔物とミタン人が対立していなかったころへ回帰せよと促しているのだよ

私は、父上が書いたその書物が、目論見どおりミタン人たちに受け入れられているか、様子を見に行きたいのだよ。アルベルトはそう言って、話を締めくくった。

ワイバーン卿

わかりました。
しかし、なるべく早くお戻りくださりませ。お館様がいなくては就任式が行えませぬゆえ

アルベルト

わかったわかった。
今すぐ出発しよう。ザンクトフロスに着く前に夜になるだろうが、人間と違って夜道を避ける必要もない

その言葉を聞いて安心したようにワイバーン卿が部屋を去ると、映像は消えた。

映像からわかることがいくつかある。
一つは、アルベルトと呼ばれていた男性が、魔物の中でかなりの高位にいる、強力な存在であること。そして――。

アニカ

会話の内容から察するに、あいつ、ドラゴンプリーストの息子だよね

彼が「父親は人間の村の近くの山に住んだ」と言っていたが、これは現在、付近の住民がドラッヘンベルクと呼ぶ山に違いない。そしてその父親が書いた書物というのが、かの村をメレキウス信仰に染め上げた、あの教学研究の本に違いない。

ヴァルター

間違いなくそうだろうな。
そして今からボロムを出発して、夜通しザンクトフロスへ歩き続けるのなら、明朝あたり我々とニアミスする可能性がある

もし彼と出会ってしまい、戦闘になったら……。
魔王討伐隊の面々はまだ、魔王の腹心やそれに匹敵するような強力な魔物と戦うだけの力はない。仮にあたしとエリザが加勢したとしても同様だ。

そんな、若干の緊張感をはらみながら、あたし達はザンクトフロスへの旅路を急いだ。

(続く)

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