一週間後。



 山根さんが漫画研究部の部室前でヌボーっと突っ立っていた。



 部活のために美術室へやってきた僕は山根さんを見た瞬間、その異様な雰囲気に驚いて身体が硬直してしまった。



 山根さんは僕が来るのを待っていたようで、反射したメガネで僕を捉えるなり、スーっと近づいてきた。

山根琴葉

きょ、今日でネームが……完成します。
明日、図書室で……

 山根さんはそれだけを言い残し、そのまま漫画研究部の部室へと消えていった。



 普通なら女子に待ち伏せされるのはこの上ない喜びだ。



 だが、幽霊のように接近してボソリと一言つぶやいたあと、そのまま消えていく山根さんに背筋がゾクリとした。


 次の日の放課後。



 約束通り図書室で山根さんの新作ネームを読ませてもらうことになった。



 僕と山根さんは、以前ネームを読ませてもらった時と同じ窓際の席に、向かい合って座った。

渡利昌也

ぷふっ

 僕は、ネームが完成したことを伝えてくれた時の山根さんを思い出し、吹き出してしまった。

山根琴葉

ど、どうかしましたか?

渡利昌也

いや、季節外れだなぁと思って

 山根さんは首を傾げながら、手提げかばんからノートを取り出した。



 新作ネームのようだ。


 僕はノートを受け取り、中身を拝見させていただいた。





 今回は二重人格者が主人公だった。



 悪の人格が善の人格の自由を奪うために、あらゆるトラップを仕掛けた部屋へ閉じ込めようとする。



 このトラップは悪の人格にしか解除できないようになっているが、善の人格も悪の人格に別のトラップを仕掛けて対抗するといったものだ。



 二つの人格のトラップバトルといったところか。



 発想がすごく面白いと思った。



 ただ、オチがいまいちだったと感じ、僕はそのことを山根さんへ告げた。

山根琴葉

や、やはり……ですか。
ま、漫研の部員さんにも同じことを……言われました

 なんだ。


 ネームを読ませてもらえているのは僕だけじゃないのか。




 そう思うとがっかりした。



 なぜだろう。




 山根さんにとって僕が特別な存在じゃなかったことが、残念に感じたのだろうか。



 山根さんは既にネームの修正イメージができているらしく、明日また修正ネームを読んで欲しいと言った。



 僕は楽しみにしていることを告げて、その日は部活へと向かった。

 僕と山根さんの関係で少しだけ変わったことがある。



 いままでは二人並んで歩くことはお互い避けていた。


 いや、避けていたのは僕の方か。


 ひょっとすると山根さんも避けていたかもしれないが、実際のところはわからない。



 でも、今は図書室から部活までの道のりを一緒に歩いている。




 向かう先は同じなのだから図書室を一緒に出れば必然的にそうなるわけだが、僕が意識的に周りを気にしないように勤めているのだ。



 本当は顔から火が出るほど恥ずかしかった。



 それは決して以前のような悪い意味ではなく、女子と二人で歩いていることが照れくさかったのだ。



 隣を歩いている山根さんに視線を向ける。



 山根さんの横顔には少しの変化もなく、僕と二人で歩いていることになんの感情も湧いていないように見えた。



 もしかすると山根さんは、漫画以外のことに興味などないのかもしれない。



 僕は、去年の吉岡先生の言葉を思い出した。

おまえが話しかけなくたってせいぜい仕方ないくらいにしか思ってない

 実際そうだったのかもしれない。



 山根さんにはきっと大きな目標があり、その一環として僕にネームを読ませているに過ぎないのではないだろうか。



 そのようなことを考えていると、山根さんが遠い存在のように感じて寂しい気持ちになった。




 二階の渡り廊下に差し掛かったとき、僕らと逆の方向から三人の見知らぬ男子が歩いてきた。


 彼らは何事かを楽しげに話している。

明日、バレンタインだな。
俺は彼女いるからいいけどさぁ。
お前らピンチくね?

 僕らとすれ違ったとき、一人の男子が笑いながらそう言って、あとの二人が同時に

うぜぇ

 とつぶやいた。



 そういえば明日は二月十四日。


 つまりバレンタインデーなのか。



 あまりにも縁がなかったため、すっかり忘れていた。



 僕は改めて、変化のない山根さんの横顔を見て思った。




 期待しない方が身のためだな。



少しだけ縮まった距離感

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