図書館の中へ入ると、まだ午前中であるにも関わらず多くの市民たちがいた。


 市民たちは目的の本を探したり、テーブルに腰掛けて読書にふけったりしている。


 中には子連れのお母さん的な人もいた。





 先ほどのあの子達も、母親と一緒に来ているのかもしれない。



 探すとしたら児童書や絵本が置いてあるコーナーだと思い、館内でそのような本が置いている場所を探して回った。





 図書室の一番奥の方に、木造の壁で仕切られた場所を見つけた。



 入口には『児童書コーナー』と書いてある。



 中の壁や床は子供向け番組のように、赤、青、黄色、緑とカラフルで、積み木やおもちゃも置いてあった。



 さて、そこで僕は首をかしげる。



 お利口さんにお座りして絵本を広げている子、積み木を積み上げている子、仕切られた児童書コーナーのスペースをぐるぐる走り回ってる子。



 それらの小さな子供たちに囲まれて、高校生のはずの山根さんが中央に座っていた。



 山根さんは絵本を開き、真剣な顔でじーっと見ている。

渡利昌也

山根さん?

 なぜにこんなところで絵本を読んでいるのかという疑念を込めて、僕は彼女を呼んだ。



 毎度のことだが、何かに集中している山根さんには一回や二回声をかけたくらいじゃ気づいてもらえない。



 少し恥ずかしかったが、僕は児童たちの縄張りに足を踏み入れることにした。

渡利昌也

失礼します

 そう言って靴を脱ぎ、児童スペースの中へ入ると、僕は山根さんの隣に一人分程度のスペースを空けてあぐらをかいた。

渡利昌也

山根さん

 山根さんの視界に映り込む位置へ手を持っていき、左右へ振りながら呼びかけた。

山根琴葉

え、あ……は?
え?
はえい?

 山根さんが僕の存在にようやく気付いた。

山根琴葉

え……え?
え?

 山根さんは声を出すたび、鶏のように首を前へ小刻みに動かした。

渡利昌也

山根さん、こんなとこで何してるの?

山根琴葉

え?
え、えと……え?

 いつまで鶏の真似を続けるつもりだろう。

渡利昌也

えっと。
僕はね。
とある子供を探してて。
その子たちを追ってここへ来たんだ。
別に知り合いってほどの子供じゃないんだけどさ。
そしたら山根さんがいたもんだから……

 山根さんが混乱しているようだ。


 なので、なぜ僕がここにいるのかを先に説明した。

山根琴葉

は、はあ。
そ、そうですかぁ

渡利昌也

それで、山根さんは何してるの?

山根琴葉

その。
ま、漫画のですね。資料をですね。
探しに、き、来たのでして

渡利昌也

資料?
学校の図書室に行けばいいんじゃないの?

山根琴葉

い、いや。
私が求めているのは……ですね。
絵や写真付きの絵本とか……でして。
児童書とか図鑑って資料にもってこいなんです。
で、でも学校には意外とないです。
こういうやつ

 なるほど。


 確かに子供向けの図鑑や絵本は、漫画の資料としては最適かもしれない。



 これは盲点だ。

渡利昌也

漫画、進んでる?

山根琴葉

えと。
は、はい。
一応、原稿が完成したばかりでして。
それでまた、新作のために資料をと……

渡利昌也

もしかして去年、僕に読ませてくれたネームがもう完成したの?
すごい

山根琴葉

い、いえ!
め、滅相も……

 山根さんがまた、『風来坊がごめんなすってぇ』のポーズをとっている。

渡利昌也

新作の完成原稿、読みたいな

 僕は、アキオ君やホアチャー君、他の人間の目を気にするあまりずっと言えなかったお願い事を、なぜかすんなり口にした。



 それがあまりにも自然体だったので、自分で言っておきながら驚いてしまった。

山根琴葉

え……と……え?
そ、その……だ、ダイジョブ……なんですか?

渡利昌也

え?
な、何が?

 僕は白々しく聞き返した。



 そんなの、『イケてない私と話して、あなたの立場はダイジョブなんですか』っていう質問に決まってる。



 それなのに、質問の意味が分からないフリをしたんだ。



 僕は卑怯者だ。

山根琴葉

いえ。
な、なんでも……あ、ありませぬ……です

 僕と山根さんはしばらく黙りこくってうつむいていた。


 僕らの周りを重い空気がまとわりついた。

お兄たんとお姉たん、デートかぁ?

 さっきまで児童スペースをぐるぐる回ってた幼児が、鼻水を垂らしながら僕らを指差した。



 絵本コーナーでデートする高校生がどこにおるというのか。

渡利昌也

いやいや、そうじゃ……

こいびとかぁ?

 話を聞け、ガキャ。

山根琴葉

いえいえ、違うのですよ。
お話しているだけなのです

 急に山根さんが流暢にそう言ったので、僕は驚いた。


 山根さんが一瞬、落ち着いた年上のお姉さんに見えた。

渡利昌也

山根さん、普通に喋れるんだね。
ちょっとビックリしたよ

山根琴葉

え、え?
え、す、すすす、すい……すいません!
そ、その……

 何を謝ることがあるのだろうか。

渡利昌也

山根さん、僕も同じだよ。
山根さんとはこんなにも普通にお話できているのに、クラスメイトとはうまく話せないんだ。
緊張しちゃってさ。
声が裏返ったりどもったりするよ

山根琴葉

そ、そう……なんですか?
み、見えなかった……です。
そ、そういう……ふうに

 そして僕らは再び黙ったまま、うつむいた。

ひゅーひゅー。
ちゅーしろ、ちゅー

 とりあえず鼻水をふけ、ガキャ。

山根琴葉

そ、そそ、そんなんじゃない……です

 山根さんは先ほどと違って、今度は子供相手でもどもってしまった。

山根琴葉

そ、その。
さっきはとっさに……ですね。
親戚の集まりだと……小さな子供ばっかりなので。
それでよく遊んでるから。
子供には慣れて……るんですけど

 弁解しながら、山根さんは恥ずかしそうに少しだけ微笑んだ。



 僕は、初めて見る山根さんの笑顔に心温まる思いだった。

渡利昌也

あの……新作、できることなら読みたいな

山根琴葉

あ、え……えと。
じ、実は雑誌にですね……投稿しちゃってコピーとかも取り忘れまして。
す、すいません

 完成原稿だとどのようになっているのか見てみたかった。


 すごく残念だ。

渡利昌也

そうなんだ。
受賞出来るといいね

山根琴葉

きょ、恐縮です

 投稿したということは、うまくすれば雑誌に掲載ということもありえるのだろうか。



 僕は、そうなることを心から願った。

山根琴葉

あの

 山根さんはうつむいたまま話を切り出した。


 僕は彼女の横顔を見ながら、次の言葉を待った。

山根琴葉

ネーム……また読んでいただければ……そ、その。
あ、でも……場所ないですね

渡利昌也

是非読みたいな。
でも場所って、読める場所ってこと?

 山根さんはコクコク頷いた

渡利昌也

前みたいに学校の図書室じゃダメなの?

山根琴葉

だ、ダイジョブなのでしょうか

 山根さんが再び僕の立場を気遣うような質問をした。



 僕は山根さんを避けていた。



 山根さんはそれに気づいていたはずだ。



 先ほどのように何のことかわからないフリをして、彼女の質問を聞き流してしまいたい気持ちだった。




 だけどここで逃げ出したら、もう山根さんと会う資格はない。


 そう思った。

渡利昌也

山根さん、アキオ君やホアチャー君の言ってたこと。
き、聞いてたんだよね。
ごめん。
あのとき、あの二人に何も言い返せないで。
でも、僕はあの二人みたいに、その……山根さんのこと……イケてないとか……そんな風に思ってないから。
どっちかっていうと逆なんだ。
好きなことに打ち込んでて。
がんばっててすごいなって思ってるから

 僕は素直な気持ちを山根さんに伝えた。

山根琴葉

きょ、恐縮……です

 山根さんはいつも通りうつむいて恐縮している。

渡利昌也

山根さん、僕、そろそろ行くよ。
部活があるから

山根琴葉

は、はあ。
お、お達者で

渡利昌也

ネーム楽しみにしてるから

山根琴葉

はあ

 山根さんは気の抜けた返事を返した。



 図書館を出る前に、一度振り返って児童スペースにいる山根さんを見た。




 山根さんは再び絵本に集中していた。



 あの取り組む姿勢。


 僕も見習わなくちゃ。





 そういえば例の二人の子供は結局見つからなかったな。


 どこの子達だろう。


 不思議なのは、あの子達が現れるとなぜか、山根さんと遭遇するということだ。





 まあ偶然だろうけど。




 さて、思いのほか時間を消費してしまった。


 もう今日は鉛筆を諦めよう。


 4Bの鉛筆もあと一週間くらいなら踏ん張ってみせるに違いない。




 僕は駅へ向かうのを中止し、学校の方向へ歩き出した。

pagetop