墓地で美由と出会って以来、俺は美由を喜ばせたくて、コンビニで雑誌を立ち読みしてはうまい店を探し、そこへ彼女を連れ出した。




 その甲斐もあってか、美由は最初に会った時とは比べ物にならないほど、よく笑うようになった。





 俺の方はというと、完全に美由の笑顔に心を奪われていた。




 美由と出会って半年が過ぎた頃には、彼女の方からも、いいお店を見つけたと言って誘ってくれるようになった。




 いい店といっても、お互いお金に余裕はなかったので、安い店ばかりではあったが、彼女の笑顔は心底喜んでくれている証であろう。



 俺はそう信じている。





 本当は少しくらい高い店に行ってご馳走してやりたいと思うが、美由は決して俺におごらせてはくれなかった。

美由

絶対割り勘だからね。
じゃないと気を使っちゃって味を楽しめないもの

 美由はいつもそう言って、会計前にお金を渡してくる。


 なので美由の負担も考えると、安い店に落ち着くわけだ。





 たまには見栄を張って、いいところを見せつけてやりたいのだが……。




 そんな俺の心中をまったく理解する様子もなく、美由は庶民的な食堂のテーブルに両肘を乗せて、いつもの笑顔を見せてくれるのだった。



 そうやって徐々に打ち解け合いながら半年が過ぎた頃、俺はようやく美由のことを少しずつ知ることができた。





 聞くところによると、美由は俺の予想通り家族を事故で失い、一人ぼっちになってしまったそうだ。


 その後は、床がきしみ雨漏りが耐えないボロアパートで一人暮らしをしているという。



 美由は中学卒業後、高校へは進学せずにレストランのウェイトレスにスーパーのレジ打ち、調理師のサポートという三つのアルバイトを掛け持ちしていた。


 なので家族を失った後でも、一人で生きていく最低限の準備は整っていた。





 若くして自立を必要とした俺にとって、美由の存在は勇気を与え、心の安息を与えてくれた。



 それと同時に、俺ももっとしっかりしなければと強く思う。本心だ。






 高校に行かなかった理由を美由は語ろうとはしなかったが、俺もあえて聞かなかった。



 気にならないわけでもないが、なにか言いたくない事情があるのかもしれないと思ったのだ。







 そうしてお互いのことを少しずつ理解し合ううちに、どちらが言い出したでもなく、俺達は自然と恋人同士になっていた。




 俺がすかさず同棲しようと提案した時、美由はなんのためらいもなく承諾してくれた。



 ちょっと相手の弱みに付け込むようないやらしさがあったかなとも思いはしたが、とにかくそのような経緯で、美由は俺の住む家賃格安のアパートに住み始めた。






 美由はお金を貯めて、美容師の専門学校へ行きたいと考えており、俺はそれを応援したくて、家事のほとんどを俺がやろうと心に決めた。

美由

冬弥にばかり負担かけるなんて、なんか悪いよ

 美由はいつもそう言って、結局二人で家事を分担することになるのだが。



 美由に比べると俺の方が働く時間は短いのに、美由から家事を奪うのはなかなかに難しい。



 俺達の暮らしは決して楽なものじゃなかったが、今までの人生の中で一番幸せな日々だった。











 そうして美由との生活が二年ほど続いた。



美由

冬弥には夢はないの?

 俺が夕飯で使った食器を洗っていた時、洗濯物を畳んでいた美由が、唐突に聞いてきた。



 その日は俺と美由の休みがたまたま重なったので、お昼に二人で映画を見に行った。



 つい先程まではその話で盛り上がっていたのに、話の方向が急カーブしたのでなんとも不自然に感じた。

冬弥

急にどうしたんだ?

美由

別に。
ただ聞いてみただけだよ

 食器を洗う手を止めて、美由の方を振り返る。美由は何事もなかったかのように、洗濯物を畳んでいる。



 その様子はどこか白々しい。






 実は俺には小説家になるという夢があった。


 母子家庭で育った俺は、小さい頃から一人で家にいることがほとんどだった。


 そんな俺が一人ではまっていたのが空想だ。最初は頭の中で物語を考えるだけだったが、そのうち考えた物語を絵に描くようになった。


 小説を書き始めたのは中学に入ってからだ。


 学校の図書館で毎日のように小説を読み、家では余った広告チラシの裏に小説を書いていた。


 今も当時から書き溜めていた小説が、ひっそりと押し入れの奥に眠っている。

冬弥

もしかして見たのか?
押し入れのやつ

美由

見ちゃった

 まあ卑猥な本じゃあるまいし、隠すようなものでもない。

美由

ねえ、夢があるんなら頑張ってみない?
私、できる限り協力する。
家事も全部私がやるから

 今は仕事も忙しいし、目の前の生活で手一杯だ。美由だってそれはわかっているはずなのに、なぜそのようなことを言い出すのか俺にはわからなかった。



 そもそも、掛け持ちで働いてるのに、更に家事までこなすなんて無理に決まっている。

冬弥

あれはもういいんだ。
それよりさ、美由にだって目標があるじゃん。
お金貯めてさ。
将来のために専門学校に通うんだろ?
どこに行きたいのか、もう決まったのか?

美由

今は冬弥の話をしてるの。
私ね、全部じゃないけどあなたの小説読んでみたの。
本気じゃなかったらあんなの絶対書けないと思った。だから応援したいのよ

 俺にとって、もはや小説なんてものは過去のことだ。


 小説より大事なものが……美由という存在が見つかった。


 俺は美由を支えていきたいと思っている。

冬弥

小説のことはもういいんだって。
美由は自分のことだけを考えてりゃいいんだ

 俺は少し苛立って、つい声を荒げてしまった。

美由

なんで?
私は冬弥のことだって考えたいよ。
私が掛け持ちで働いてるからって、気を使ってるの知ってるよ。
自分のせいで冬弥の足かせになるなんて嫌だからね

 美由も声を張り上げて言った。



 俺と美由は黙り込んで、流れっぱなしになった水道の音だけが部屋に響いた。



 互いに相手のために何かをしてあげたいという思いやりが原因で喧嘩をするというのも不思議なものだが、それもひとつのエゴというものかもしれない。



 なぜなら俺の応援なんて、美由は最初から求めていなかった。



 逆も然りだ。



 小説が理由で美由に負担をかけるなど、微塵も望んではいない。



 俺は小さくため息をつき、静止した時の中で唯一音を立てて動いていた水道の水を止めた。





 一気に部屋の空気が重くなり、息苦しくなってきた。


 そんな気まずい無音の空気に耐え兼ねたのか、美由が俺の背中に語りかけた。

美由

あの……私のことはいいからさ。
冬弥は自分の夢を追いかけて欲しいな

冬弥

なんでそこまで俺の夢にこだわるんだ?
美由にだって夢があるんだろ?

 美由は先ほどより声を和らげたが、俺はまだ気持ちが落ち着いておらず、トーンの低い冷たい言い方をした。

美由

なんでって……冬弥のことを愛してるから……かな。
なんちゃって

 美由は少しだけふざけた口調で言ったが、照れながらも本音を言っているのだということは、何となく伝わった。



 その言葉を聞いた時、俺は本当は嬉しかったはずだった。


 それは深層心理とかいう、心の奥深くに眠る感情だと思う。




 だが、表面上に漂う俺の過去や経験、それらから形成された偏った考え方が、美由の言葉を拒絶した。





 俺は『愛している』という言葉が大嫌いなのだ。





 それでも普段なら美由の言葉の意味を理性で受け入れていたのだろう。



 だが、この時は少しばかり制御を失った俺の感情が、口から勝手に飛び出してきた。

冬弥

俺達まだ結婚したわけでもねぇじゃん。
愛なんてくだらない言葉、軽々しく口にするなよ

 言った瞬間に俺は顔から血の気が引いていった。

美由

ひどい……。
なんでそんなこと言うの?

 美由はうつむき、手に持った俺のYシャツを強く握った。

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