25│先輩も、私も

先輩が、私を優しく、それでいて強く、抱き締めてくる。

雨音 光

俺、川越さんの支えになりたい。
川越さんが、俺を助けてくれたみたいに

そんなの、おかしいです、先輩。


先輩は出会ったときから、私を支えてくれていたのに。先輩に助けられてばかりだと思っていたのに。

川越 晴華

私、先輩を助けていますか?

雨音 光

うん、いつも。

明るくて、太陽みたいで、会うたびに幸せな気持ちになる。

俺はそれに甘えてた。

川越さんに、何か辛いことがあるんじゃないかって、何度か思ったんだ。
でも、訊いていいのかわからなくて、それなのに、自分のことは話して……

先輩の大きな手が、私の頭を優しくなでた。

雨音 光

ごめんね、もっと早くに訊けばよかった

川越 晴華

訊かれても、答えなかったかもしれませんよ……私、見栄っ張りだから

雨音 光

うん、そうかもね。それでも、訊けばよかった、って思ってる。今まで、一人で我慢してきたんだよね……本当にごめん

川越 晴華

先輩が、謝ることないんです

雨音 光

……どうして

先輩の腕の力が、少しだけ緩む。

雨音 光

どうして、謝るんだと思う?

ふわりと、先輩の体が私から離れていく。

手を伸ばせば、またすぐに抱き締められるほどの距離で、先輩が私を見つめている。

川越 晴華

……わかりません。教えて……

先輩は、ひとつうなずくと、小さく微笑んだ。

雨音 光

川越さんが、好きだからだよ

先輩の視線が、私からふいとそれる。

雨音 光

好きな子が苦しんでいたのに、すぐに助けられなかった。それが、本当に悔しくて、情けないんだ

先輩の声が、すぐそばで、震えている。

雨音 光

好きだよ、川越さん。

これからはずっと、いつも、そばにいて川越さんの助けになりたい。

助けられてばかりじゃなくて、川越さんの支えになりたい

雨音 光

……川越さんは?

川越 晴華

……え?

出した声は、かすれていた。

雨音 光

川越さんは、俺のこと……

雨音 光

……よかった。本当?

川越 晴華

本当ですよ。

ずっと、そばにいてもらえますか?

雨音 光

うん、いるよ

川越 晴華

なんだか信じられなくって……先輩、私のこと、好きなんですか?

雨音 光

うん、好きだよ

川越 晴華

……嬉しい

先輩を、もっと抱き締める。暖かい。


こんなにも近くに、私を好きだと言ってくれる人がいる。


私は、一人じゃない。

雨音 光

川越さん、痛い

くすくすと笑いながら、先輩が私の頭をぽんぽんと二回叩いた。


あわてて私は、先輩から手を離す。
体を後ろに引いて、先輩の顔を見る。


優しい笑顔。

川越 晴華

あっ……

ますます恥ずかしくなって、目をそらしてしまった。


そのとき、先輩の手が私の頭を包み込んだ。

ゆっくりと、先輩の顔が近づいてくる。

川越 晴華

ーーっ!

とっさに目をつむる。




こつん、と額が当たる。

川越 晴華

……先輩?

額が当たったまま、先輩は動かない。

雨音 光

ん?

川越 晴華

え……っと

雨音 光

猫見、分けてる。ずっと切れないように

川越 晴華

あ、猫見を分けてくれてるのか……

目をつむったまま、私はじっと動かない。






動けない。








……長い長い長い!

川越 晴華

先輩、先輩! も、もう大丈夫です! ありがとうございます

雨音 光

……あ、ごめんごめん。

まあ、定期的にすれば、切れる心配もないよね

ふっと額が離れる。ああ、緊張した……と思ったら。

川越 晴華

……えっ?

え、っと?

雨音 光

あはは、川越さん、かわいい

ぐしゃぐしゃと頭をなでられる。いや、いや、えっと。


先輩、今、私のおでこに……。


私は額を押さえて、うああ、とわけのわからない声を出してしまった。
先輩は、楽しそうに笑っているままだ。

雨音 光

ねえ、川越さん

川越 晴華

あ、はい!

雨音 光

レインとクロニャ、呼んでいい?

川越 晴華

……そういえば、いつのまにかいなくなってる……

そのとき。

クロニャ

にゃああああああ!

二階から、クロニャの叫び声が聞こえた。

川越 晴華

クロニャ!?

クロニャ

んにゃああああああああ!!!

階段をかけおりてきたクロニャが、勢いよく私に抱きついてくる。

川越 晴華

どうしたのクロニャ!

クロニャ

レインが、レインがあああああああああ!

雨音 光

レイン? どうしたの?

レイン

なんでもないよ……いたたた

クロニャとは対照的に、ゆっくりと階段を降りてきたレインは、静かに私達の方へ歩み寄ってきた。


クロニャは、レインをぎろりと睨み付けている。
なぜ。


先輩の膝によいしょ、と座ると、レインは先輩と私を交互に見上げた。

レイン

よかったね

さらっと言って、自分の手で顔をなでる。

クロニャ

にゃん! で! 

あんたはそんにゃに冷静にゃんだにゃあ!

クロニャが、私の首もとにしがみつきながら、ぎゃんぎゃんと叫ぶ。

川越 晴華

どうしたの、クロニャ。

レインがー! って叫んでたけど

クロニャ

にゃ、にゃ、どうしたも、こうしたも!

レイン

僕達もカップルになったねって二階で話してて、よろしくねっておでこにチューしたら、その黒猫、僕を引っかいて絶叫しながら逃げてくださいました

レインがちぇ、とそっぽを向く。

クロニャ

だ、だって! 

いきなり、ち、ち、ち、チューとか、びっくりしますにゃあ! 

ねえ! 晴華さんも、もしされたら、びっくりすると思いますにゃあ!!

川越 晴華

あ、そ、そうだね!

さっきのキスを思い出す。
先輩も、クロニャから目をそらして顔を真っ赤にしている。

レインが、にやにや顔で先輩を見上げた。

レイン

まさか、もうチューしちゃった?

雨音 光

おでこにだよ!

川越 晴華

わああ!

クロニャ

んにゃあ!

レイン

なんだ、僕達考えてること一緒じゃん……やだやだ

ふ、とレインが笑った。

それにつられて、私と先輩も同時に吹き出してしまう。

クロニャが一人、恥ずかしいにゃあと私に顔をすりよせてくるのがかわいくて、ますます笑ってしまった。

雨音 光

あのさ、川越さん

別れ際、さようならと言って背を向けた先輩は、その場でしばらく立ち止まり、くるりとまた向き直って、小さな声で言った。

川越 晴華

はい、先輩

雨音 光

……あのー

レイン

なんだよじれったいな

雨音 光

うるさいよレイン! 

……えっと、もしよければ

先輩が、恥ずかしそうにうつむきながら、小さく言った。

雨音 光

……名前で、呼んでいい?

川越 晴華

……え、あ、え?

雨音 光

川越さんのこと! 

名字じゃなくて、名前で……

川越 晴華

あ、あ、はい! 

もちろん、ええ、はい! 

どうぞ! なんとでも!

恥ずかしがられると恥ずかしい!

レイン

よかったね、光

にやにやと笑うレインは、それとね、と話を続ける。

レイン

晴華さん。

光、マシンガントークの田宮君が、晴華さんに名前で呼ばれてるのがうらやましいんですって

雨音 光

レイン! そんなこと言ってないだろ!

レイン

晴華さんが、昂太郎君、って呼んだとき、びっくりしてたくせに

雨音 光

そ、それはそうだけどさ! 
もう勘弁してよ……

そういえば、昂太郎君の名前を呼んだときに、先輩が驚いていたことがあった気がする。

なんでだろうと思ったまま流していたけれど、そういうことだったんだ。

川越 晴華

光君

何の気なしに言ってみる。

川越 晴華

……うわあ

自分で言って、自分で照れてしまう。

雨音 光

……わあ

先輩も照れている。もう、なんなのー!

川越 晴華

せ、先輩は先輩ですけど! 

でも、光先輩だし! 

もとから名前呼びです! 

これから、たまに光君って呼ぶかもしれません!

何いってるんだ私、わけわかんない、うわあ、もう!

雨音 光

はは、ごめんごめん。
名前で呼ばれると、嬉しいもんだね

先輩が、ゆっくりときびすを返す。

雨音 光

じゃあね、晴華、あとでにゃいんする

ばいばい、と手をふって、先輩が去っていく。

川越 晴華

あ……

先輩が、私のことを名前で呼んでくれた。

それだけで、胸の奥に陽だまりができたみたいに、幸せな気持ちで満たされていく。

暖かな気持ちを胸に、私はずっと、先輩の背中を見つめていた。

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