25│先輩も、私も
25│先輩も、私も
先輩が、私を優しく、それでいて強く、抱き締めてくる。
俺、川越さんの支えになりたい。
川越さんが、俺を助けてくれたみたいに
そんなの、おかしいです、先輩。
先輩は出会ったときから、私を支えてくれていたのに。先輩に助けられてばかりだと思っていたのに。
私、先輩を助けていますか?
うん、いつも。
明るくて、太陽みたいで、会うたびに幸せな気持ちになる。
俺はそれに甘えてた。
川越さんに、何か辛いことがあるんじゃないかって、何度か思ったんだ。
でも、訊いていいのかわからなくて、それなのに、自分のことは話して……
先輩の大きな手が、私の頭を優しくなでた。
ごめんね、もっと早くに訊けばよかった
訊かれても、答えなかったかもしれませんよ……私、見栄っ張りだから
うん、そうかもね。それでも、訊けばよかった、って思ってる。今まで、一人で我慢してきたんだよね……本当にごめん
先輩が、謝ることないんです
……どうして
先輩の腕の力が、少しだけ緩む。
どうして、謝るんだと思う?
ふわりと、先輩の体が私から離れていく。
手を伸ばせば、またすぐに抱き締められるほどの距離で、先輩が私を見つめている。
……わかりません。教えて……
先輩は、ひとつうなずくと、小さく微笑んだ。
川越さんが、好きだからだよ
先輩の視線が、私からふいとそれる。
好きな子が苦しんでいたのに、すぐに助けられなかった。それが、本当に悔しくて、情けないんだ
先輩の声が、すぐそばで、震えている。
好きだよ、川越さん。
これからはずっと、いつも、そばにいて川越さんの助けになりたい。
助けられてばかりじゃなくて、川越さんの支えになりたい
……川越さんは?
……え?
出した声は、かすれていた。
川越さんは、俺のこと……
……よかった。本当?
本当ですよ。
ずっと、そばにいてもらえますか?
うん、いるよ
なんだか信じられなくって……先輩、私のこと、好きなんですか?
うん、好きだよ
……嬉しい
先輩を、もっと抱き締める。暖かい。
こんなにも近くに、私を好きだと言ってくれる人がいる。
私は、一人じゃない。
川越さん、痛い
くすくすと笑いながら、先輩が私の頭をぽんぽんと二回叩いた。
あわてて私は、先輩から手を離す。
体を後ろに引いて、先輩の顔を見る。
優しい笑顔。
あっ……
ますます恥ずかしくなって、目をそらしてしまった。
そのとき、先輩の手が私の頭を包み込んだ。
ゆっくりと、先輩の顔が近づいてくる。
ーーっ!
とっさに目をつむる。
こつん、と額が当たる。
……先輩?
額が当たったまま、先輩は動かない。
ん?
え……っと
猫見、分けてる。ずっと切れないように
あ、猫見を分けてくれてるのか……
目をつむったまま、私はじっと動かない。
動けない。
……長い長い長い!
先輩、先輩! も、もう大丈夫です! ありがとうございます
……あ、ごめんごめん。
まあ、定期的にすれば、切れる心配もないよね
ふっと額が離れる。ああ、緊張した……と思ったら。
……えっ?
え、っと?
あはは、川越さん、かわいい
ぐしゃぐしゃと頭をなでられる。いや、いや、えっと。
先輩、今、私のおでこに……。
私は額を押さえて、うああ、とわけのわからない声を出してしまった。
先輩は、楽しそうに笑っているままだ。
ねえ、川越さん
あ、はい!
レインとクロニャ、呼んでいい?
……そういえば、いつのまにかいなくなってる……
そのとき。
にゃああああああ!
二階から、クロニャの叫び声が聞こえた。
クロニャ!?
んにゃああああああああ!!!
階段をかけおりてきたクロニャが、勢いよく私に抱きついてくる。
どうしたのクロニャ!
レインが、レインがあああああああああ!
レイン? どうしたの?
なんでもないよ……いたたた
クロニャとは対照的に、ゆっくりと階段を降りてきたレインは、静かに私達の方へ歩み寄ってきた。
クロニャは、レインをぎろりと睨み付けている。
なぜ。
先輩の膝によいしょ、と座ると、レインは先輩と私を交互に見上げた。
よかったね
さらっと言って、自分の手で顔をなでる。
にゃん! で!
あんたはそんにゃに冷静にゃんだにゃあ!
クロニャが、私の首もとにしがみつきながら、ぎゃんぎゃんと叫ぶ。
どうしたの、クロニャ。
レインがー! って叫んでたけど
にゃ、にゃ、どうしたも、こうしたも!
僕達もカップルになったねって二階で話してて、よろしくねっておでこにチューしたら、その黒猫、僕を引っかいて絶叫しながら逃げてくださいました
レインがちぇ、とそっぽを向く。
だ、だって!
いきなり、ち、ち、ち、チューとか、びっくりしますにゃあ!
ねえ! 晴華さんも、もしされたら、びっくりすると思いますにゃあ!!
あ、そ、そうだね!
さっきのキスを思い出す。
先輩も、クロニャから目をそらして顔を真っ赤にしている。
レインが、にやにや顔で先輩を見上げた。
まさか、もうチューしちゃった?
おでこにだよ!
わああ!
んにゃあ!
なんだ、僕達考えてること一緒じゃん……やだやだ
ふ、とレインが笑った。
それにつられて、私と先輩も同時に吹き出してしまう。
クロニャが一人、恥ずかしいにゃあと私に顔をすりよせてくるのがかわいくて、ますます笑ってしまった。
あのさ、川越さん
別れ際、さようならと言って背を向けた先輩は、その場でしばらく立ち止まり、くるりとまた向き直って、小さな声で言った。
はい、先輩
……あのー
なんだよじれったいな
うるさいよレイン!
……えっと、もしよければ
先輩が、恥ずかしそうにうつむきながら、小さく言った。
……名前で、呼んでいい?
……え、あ、え?
川越さんのこと!
名字じゃなくて、名前で……
あ、あ、はい!
もちろん、ええ、はい!
どうぞ! なんとでも!
恥ずかしがられると恥ずかしい!
よかったね、光
にやにやと笑うレインは、それとね、と話を続ける。
晴華さん。
光、マシンガントークの田宮君が、晴華さんに名前で呼ばれてるのがうらやましいんですって
レイン! そんなこと言ってないだろ!
晴華さんが、昂太郎君、って呼んだとき、びっくりしてたくせに
そ、それはそうだけどさ!
もう勘弁してよ……
そういえば、昂太郎君の名前を呼んだときに、先輩が驚いていたことがあった気がする。
なんでだろうと思ったまま流していたけれど、そういうことだったんだ。
光君
何の気なしに言ってみる。
……うわあ
自分で言って、自分で照れてしまう。
……わあ
先輩も照れている。もう、なんなのー!
せ、先輩は先輩ですけど!
でも、光先輩だし!
もとから名前呼びです!
これから、たまに光君って呼ぶかもしれません!
何いってるんだ私、わけわかんない、うわあ、もう!
はは、ごめんごめん。
名前で呼ばれると、嬉しいもんだね
先輩が、ゆっくりときびすを返す。
じゃあね、晴華、あとでにゃいんする
ばいばい、と手をふって、先輩が去っていく。
あ……
先輩が、私のことを名前で呼んでくれた。
それだけで、胸の奥に陽だまりができたみたいに、幸せな気持ちで満たされていく。
暖かな気持ちを胸に、私はずっと、先輩の背中を見つめていた。