24│私の秘密

遠くから聞こえてくるトク、トクと言う音。


この音は何だろう、と考える。
少しして、心臓の音だと言うことがわかる。




先輩は、私のことをじっと見つめていた。
私も、先輩のことをじっと見つめていた。

川越 晴華

期待、したんです。
二人きりで話がしたい、だなんて……。

先輩は、私のことを、どう思っているんだろうって、気になって仕方がないんです

雨音 光

……川越さん

あと、少し。

あと少し、私が黙っていたら、先輩は私に何を言うだろう。


勘違いさせちゃったね、とごまかすように笑うかもしれない。
期待してくれて嬉しい、なんて言うのは夢の話かもしれない。


何だっていい。
先輩の言葉を聞きたい。
待っていたい。

それでも。

クロニャ

にっ

クロニャが小さく、でもはっきりと驚きの声をあげた。
私を、じっと見つめているのがわかる。


そうだよ、クロニャ。



私は、先輩が私のことをどう思っていようとも、先輩に話そうって、決めたんだ。


この人ならーー私が好きになった、この人になら、打ち明けられる。

川越 晴華

でも、同時に怖いんです。
すごく怖くて、私は逃げたんです。

先輩と、これ以上距離を縮めるのが怖かった

せきを切ったように、言葉が次から次へと溢れてくる。

川越 晴華

先輩に優しくされればされるほど、先輩とのお別れの日を想像して怖くなるんです。

近づけば近づくほど、いつか些細なことでけんかをしてしまって、仲が悪くなってしまったらとか、先輩が卒業したあとにあまり会えなくなってしまったりとか、そうやって、先輩と離れていくことばかり頭に浮かんで……私は、それが怖くて

雨音 光

うん

先輩の、優しい相づちが、嬉しくて、悲しい。
目の前の景色が歪む。涙がこぼれる。


泣くな、泣くなと思うけれど、私の気持ちに逆らって、涙が次から次へと溢れてくる。


まだ、全てを話せていない。
近いけれど、これじゃ、まだだ。

涙をぬぐって、先輩を正面から、見据える。

川越 晴華

……先輩。

聞いてほしいことがあるんです

雨音 光

うん。俺でよければ、何でも

川越 晴華

これから話すこと、誰にも言わないでもらえますか

雨音 光

言わないよ。約束する

川越 晴華

私にも、わからないことばかりなんです

雨音 光

うん。大丈夫。話すのが辛くなったら、やめてもいいよ

私は、首を横にふる。

川越 晴華

先輩は、家族のこと、私に話してくれました。猫見のことも、教えてくれました

雨音 光

俺は、俺がそうしたかったからしたんだよ

川越 晴華

私も、話したい

だって。

川越 晴華

苦しいんです。

舞は知ってるんですけど、それ以外の人は知らないんです。すごく辛いことなんです。

舞以外に話すことはないって、思ってたんですけど、でも、先輩には話していいって思えて、そうするともう、聞いてほしくて……

雨音 光

抱えてるのが辛いなら

先輩は、静かに微笑んだ。

雨音 光

だったら、話してほしい。

一人で抱え込まなくてもいいって、教えてくれたのは川越さんだよ。

俺も、家族のこと、猫見のこと、川越さんに話して本当によかった

何かが、心の中で弾けた気がした。
この人になら、私の秘密を。

ひとつ、うなずく。

川越 晴華

両親が

かすれた声は、弱々しかった。

川越 晴華

両親が……突然、いなくなったんです。中学校を卒業した、その日でした

思い出す。
卒業証書を手に、誰もいない家に、ただいまと言った日のこと。

川越 晴華

たぶん私、捨てられたんです

リビングを覗いて、目に入った白い封筒。

川越 晴華

手紙が置いてありました。
何度も読みました

私は、今でもそらんじることができる、手紙の内容をつぶやく。

晴華、卒業おめでとう。

卒業式、途中で抜けちゃってごめんね。

卒業証書を貰ってる姿は、お父さんと一緒に見ました。

しっかりと目に焼き付けておきましたよ。


あなたはいい子、私達の誇り。
だからもう大丈夫。
お母さんとお父さんがいなくても、大丈夫。

今までありがとう。

お母さんとお父さんは、二人で遠い場所に行きます。心中じゃないから安心してね。

それと、お金のことも心配しないで。

毎月ちゃんと振り込みます。
その家にも、住み続けていいからね。

楽しい高校生活を

とても簡潔な、冷たい手紙と、預金通帳、印鑑、それに、何かあったときのためと、いくつかの電話番号が走り書きされた紙。

暗証番号も一緒に書いてあった。

川越 晴華

誰も、母と父の居場所は知りませんでした。

心配してくれた親戚に、すぐに帰ってくるよと適当にごまかして、大事になる前に済ませました。

私も、旅にでも出たんだろう、すぐに帰ってくるって、思っていました

ひとりぼっちの春休み。

入学式。中間テスト。球技大会。期末テスト。

川越 晴華

夏休みになって、ふっと、もう戻ってこないんだなって思ったんです。

なんででしょうね。

私、何かしたのかな……ずっとずっと考えてるんですけど、思いつかなくって

いつの間にか、一人で暮らすことに慣れていた。


それでも、毎日家に帰ったときには、ただいま、と言ってしまう。
おかえり、という返事がないかなと、期待しない日はなかった。


返事がなくて、そのたびに傷つかない日も、なかった。


一年以上、毎日、毎日、毎日。

川越 晴華

すっかり両親のことは諦めてたころに、先輩に猫見を分けてもらって、人助けをしないかって誘われたんです。

私は、両親に捨てられて、両親に必要とされてなくて……毎日、誰も私を待っていない家に帰るたびに、本当に辛くて。

だから、誰かから必要とされたいって、ずっと思ってたんです

誰かが、私にありがとうと言ってくれるだけで、一人じゃないと言われているような気持ちになった。

そのチャンスが、増えるのなら。

川越 晴華

誰かを助けて、感謝されたかった。

あなたがいたから助かったって、言ってほしかった

そして、誰よりも。

川越 晴華

先輩に、猫見を私に分けてよかったって言われたのが、どれだけ嬉しかったか……

雨音 光

そっか……

先輩は、ごめんね、と小さく言った。

雨音 光

今回のこと、本当にごめんね。

辛かったよね

ひとつ、うなずく。また、涙がこぼれていく。

川越 晴華

私、弱いんです。

いつも強がって、誰にでも優しく接するのは、誰かに必要とされたいからで……先輩を助けに行こうと思ったのだって、きっと自分のためなんです

川越 晴華

でも、仲良くなりすぎて、ずっと友達でいたいなって思った人と、けんかしたり、何か私が気付かないうちに傷つけたりして、距離を取られたら……別れのときが唐突に来てしまったらと考えると、怖くて。

それで、皆と距離を置いてしまう。

誰かに必要とされたいのに、私は誰かのことを心から好きになれない

川越 晴華

きっと、ずっと、そうなんだろうって思ってたんです

うん、と先輩が静かにうなずく。

川越 晴華

先輩と仲良くなって、二人だけの秘密もできて、毎日いろんなことがあって、私、本当に楽しかったんです

雨音 光

うん、俺も楽しかった

川越 晴華

先輩とどんどん仲良くなれて、私は本当に幸せだと思いました

雨音 光

うん、俺もそう思ってたよ

川越 晴華

でも、怖かったんです。

あるとき、先輩が、もう君には猫見は必要ないねって、どこかに消えちゃったら? 

私の何かが気に入らなくなって、もういい、他の人に猫見をあげるから、俺達の関係はおしまい、ってなっちゃったら?

雨音 光

そんなこと、しないのに

先輩が、私に手を伸ばしてくる。

頬に、先輩の手が優しく触れて、その指で涙をぬぐわれる。

雨音 光

信じていいよ。俺は、そんなことしないから。

猫見を他の人に分けることもしないし、何かあったらちゃんと話すよ

雨音 光

黙って置いていくなんて、しないから

先輩の声が耳元で聞こえた。

頬に、先輩の髪が触れた。
柔らかくて、明るい色の髪。


さっきまで私の涙をぬぐってくれていた先輩の優しい手が、私の背中を包んでいた。

トク、トク、という音は、私の心臓の音だろうか。
それとも、先輩の心臓の音だろうか。

雨音 光

川越さん、俺ーー

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