22│消えた黒猫

で、デート!?

川越 晴華

舞、静かに!

驚きのあまり叫んだ舞の口を、あわてて押さえる。

もう叫ばない、と言いたいのだろう。

何度もうなずく舞の口から手を離すと、舞はぐいと体を寄せてきた。小さな声で訊いてくる。

ど、ど、どこに誘われたの?

川越 晴華

駅前に最近できたカフェに、行こうって

幸谷 舞

わー! 脈ありまくりじゃん! 
でも、断っちゃったの?

川越 晴華

うん……混乱しちゃって。

それ、誰かに見られたらますます噂が広まっちゃいますよ、先輩も困るでしょって、笑ってごまかしちゃった……

あらら……でも、本当は行きたかったんでしょ?

川越 晴華

それは……

先輩の、困ったような笑顔を思い出す。



「そうだよね、ごめん、屋上でも、二人きりになれることはあるだろうしね」



そう言って、そっぽを向いてしまった先輩の背中に、私はすぐにでも言いたかった。



「それでも、行きたいです」



でも。

川越 晴華

言えなかった

好きなのに?

川越 晴華

……うん

幸谷 舞

わっ、認めた!

舞がまたものけぞり、頬を押さえる。

頬が真っ赤だ。

舞の猫が、にゃんにゃんとダンスを踊るように机の周りをとびはねている。

川越 晴華

なんで赤くなるの! 

そっちが訊いたくせに!

幸谷 舞

ごめん、なんか照れちゃって……晴華も、照れて思わずそんなこと言っちゃったんでしょ? 

だったら、それを先輩に直接、照れちゃったんですって言えばいいと思うけど

川越 晴華

うーん……そうじゃない

昨日の夜、何度も考えた。

どうして、自分はとっさにあんな反応を取ってしまったのだろう?

考えて、考えて、自分と何度も向き合って、答えは出た。



とても単純なものだった。

川越 晴華

自信がない。

……先輩も、私のことが好きなのかも、って考えるでしょ? 


じゃあ、付き合いたいって、私は思うの。


告白したら、私のこと、好きだって言ってくれるかも。

でも、それよりも私は、その先のことが怖い

舞が、ゆっくりと首を傾ける。

人と向き合うのが?

川越 晴華

うん。向き合って、私のこと知ってもらって、それで、私の嫌いな部分が見えてきて、それで、うまくいかないところが増えて……私と一緒にいるのが嫌になって、さよならってなったら

言葉の最後が震えてしまって、あわてて下唇を噛む。

そう、と舞は小さく言って、私から視線をそらした。

舞の瞳が、澄みわたる青空を写している。

まだ、先輩に話してないんだね

川越 晴華

舞以外に、話したこと、ないよ

舞が、ゆっくりと瞬きをしながら、遠い空を見つめている。

懐かしいね、私が晴華に泣きついた日のこと。


一年生のときだ、六月なのに今日みたいに晴れてた。

私、ばかみたいに晴華に言ったんだよね。

友達を作るのが本当に苦手な私と、こんなにも仲良くしてくれる晴華のことが、本当に好き。


でも、晴華が友達じゃなくなる日が来るんじゃないかって、怖くてしかたがない、って

川越 晴華

うん。そのとき、舞と私は一緒だと思った。私は表面上は誰とでも仲良くできるけど、本当に友達だって思ってるのは、舞だけ。

それを伝えるために、私は舞に話したの……私も、捨てられるのが怖いってこと。

そうすれば、私は舞に捨てられないって思ったんだよ

友達を捨てるなんて、どういう状況だあ

からからと楽しそうに、舞は笑って、私に視線を向けた。

口もとに笑みを携えたまま、静かに続ける。

捨てるなんて、そうそうないよ。

それに、先輩はそんな人じゃない。でしょ?

川越 晴華

……そう、だけど

先輩の悲しそうな笑顔を思い出す。

私は、あのときとても、辛かった。


でも、そのまま離れていくなら、まだ傷は浅くてすむ、とも思った。

川越 晴華

難しいや

机につっぷした。

目に入った空が眩しすぎる。

私は、静かに目を閉じた。

雨音光

今日、放課後来られる?

にゃいんの通知が来たとき、私はすでにバスの中にいた。


昨日のことは、先輩にとってなんでもないことだったのだろうか。

考えて、思わず笑ってしまう。


そんなはず、ない。

先輩はきっと、何もなかったふりをしてくれている。




私は自分が傷つくのを怖がって、あんなに優しい人を傷つけている。

これ以上近づかないでほしいと思って、冷たいことをする。




それでも、まだ私を屋上に誘ってくれることが、本当に嬉しい。




そんな自分が、心底嫌になる。




先輩は、私に先輩の秘密を話してくれたのにな。


そう思いながら、私は携帯に入力する。
今日は、予定があるので帰ります、ごめんなさい。


私は、先輩に隠したままだろう。
これ以上、好きになるのが怖いのだ。

好きになって、好きになって、好きになって、突然に先輩が消えてしまったら?


そうそうない、と舞は言っていた。
そうかもしれない。


でも、私には、あったのだ。

クロニャ

にー……

私の肩に乗っていたクロニャが、私に頬をすりよせた。

川越 晴華

私は、そばにずっといるよの合図かな

嬉しくなって、私はクロニャに顔を傾けた。


私には、舞も、クロニャもいる。
それだけで、私にはもう、十分だ。

川越 晴華

たーだいまっ

部屋に入り、ベッドに鞄を放り投げて、体もベッドに倒れる。

川越 晴華

だあー疲れた! 

今日のご飯は何にしよう、クロニャ

枕に顔を押しつけたまま、もごもごと言う。


しばらく待ってみるも、クロニャからの返事はない。

いつもなら、食べ物の名前を思いついたままに挙げるのに。

川越 晴華

クロニャー?

起きあがると、クロニャの姿が見当たらなかった。

川越 晴華

あれ?

きょろきょろと辺りを見渡してみても、クロニャはいない。

川越 晴華

かくれんぼ?

クロニャなりに、私を元気づけようとしてくれているのかもしれない。


よーしと私は腕をまくって、ベッドの下を勢いよく覗いた。

川越 晴華

クロニャ! ……あれ、いない

だとしたら! 机の下を覗く。いない。


クローゼットの中! いない。


引き出しの中? いない。

川越 晴華

クロニャー! まいったよ、降参。

出てきてよー

出てこない。静かな部屋は久しぶりだ。

川越 晴華

どこ? クロニャ? クロニャ?

口の中が乾いている。

川越 晴華

冗談にならないって。クロニャー?



いない。いない。いない。

どこにも、クロニャがいない。



川越 晴華

うそでしょ……

部屋を飛び出した。

家中を探す。

玄関、キッチン、ベランダ、居間、いない、いない。

いない……。




クロニャが、いない。

川越 晴華

うそ……レインのところに遊びに行ってるんだよね

そうだ、そうだよ。

つぶやきながら、頭のどこかで、それは違うと声がする。




階段をのぼる。部屋に戻る。

川越 晴華

クロニャ?

やっぱり、返事はない。

川越 晴華

やだ、やだ、そんなのやだ

川越 晴華

うそ、うそだよ

川越 晴華

クロニャ、クロニャ、どこに行ったの

ベッドの上に放り投げていた携帯を手に取り、震える指で画面をタッチする。

パスワードがうまく打ち込めない。
三回目でやっと開いた。

にゃいんのアイコンを押すも、うまく操作ができない。

先輩のアイコンをやっと押したあと、メッセージを何度打ち込んでも、間違えてしまう。




どこをどう押し間違えたのだろう、にゃいんの画面が消えてしまう。

川越 晴華

なんで? どうして?

私は、もう一度にゃいんのアイコンを押す。

先輩のアイコンを押して、メッセージを打とうとする。


電話のマークを見つける。
そうだ、こっちの方が早い。


震える指で、通話ボタンを押す。
画面が切り替わり、接続中と表示される。


電話を耳に近づける。愉快な音楽が流れている。
そんな気分じゃないのに。




先輩、先輩、助けて、先輩。




呼び出し中の音楽が何度か鳴ったあと、プツンと音が切れた。

川越 晴華

え、なんで?

と、そのとき。

雨音 光

もしもし

私の声と重なって、先輩の声がした。

川越 晴華

あれ?

びっくりして、画面を見る。

通話中、の文字が光っていた。

川越 晴華

先輩……!

雨音 光

川越さん?

その声を聞いただけで、体から力が抜けてしまった。


へなへなとその場に座り込み、もう一度、先輩とつぶやく。

雨音 光

どうしたの?

川越 晴華

先輩、クロニャが……

なんて身勝手なのだろう。
それでも、クロニャのことは、先輩にしか言えない。




先輩と、私の秘密なのだから。




震える声で、私は言った。

川越 晴華

クロニャがいなくなっちゃったんです。助けて、先輩

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