第5話

篠突く雨。


























雨が降る。



詩的に言えば
この雨は


天の川からこぼれ落ちた水飛沫か、

両岸に立ち尽くしたまま
会うことのできないふたりが
流した涙、


とでも、うたわれるのだろう。



フォグ、雨は好き?

ピュイッ



私は今日もあの店に出かける。



空は圧し掛かるように重苦しく
雨は叩きつけるように激しくても

働いている間は
なにもかも忘れていられる。






蘆屋のことも

紅い番傘の少女のことも

消えてしまった猫のことも

私と同じ境遇だった彼女のことも


……こうやってみると
悩みが増えただけみたいな

チチッ 

そうね。
悩んだらその想いに流されてしまうわね


















この街に閉じ込められてしまう

彼女の言うことはわからないけれど

ここはそういう街だから

マスターの言うことも
全然わかっていないけれど

迷ってる?


耳を傾けるのは大事だけど
きっとそれに流されてはいけない。


あの街がどうであれ
あの店はどうであれ



絶望から救われたのは
確かなんだから。





















……きっと















このままでいくと
私はあの街に
あの店に
閉じ込められるのだろうか、なんて

そんな不安も
首をもたげないわけではないけれど。


……



大丈夫。

私が私をちゃんと持っていれば。
流されることがなければ。




















見上げれば白い傘。
金と萌黄の花が咲く。



この傘は蘆屋を思い出すけれど
楽しかった頃も思い出す。




それはきっと
少しずつ立ち直ってきている
証拠なのだから。

































































でも、あれはなんだったんだろう



降りしきる雨の中で
思い出すのは

紅い番傘の少女のこと。
彼女の足元で鳴いた猫のこと。



そして
閉じ込められると言い残した
紅い瞳の彼女のこと。














迷っているのはあなた

あんな男のことなんか忘れて

行こう

……何処へ?
















マスターに相談しても
抽象的な答えが返って来るだけだろう。


でも

母も、

父も、

寝ぼけているだけだ、と
相手にもしてくれないだろうし。









蘆屋になど……できるはずもない。















お前が喋れればいいのにね、フォグ

ピッ 



雨は降る。

突き刺すように、鋭く。













































































あれ? 蘆屋さんの、


駅前で、あの女に出会った。


蘆屋が帰らないと言ってきた
自称・蘆屋の部下。




何故こんなところにいるのだろう。
最寄りの駅が同じだなんて
聞いていないけれど


ちょうど良かった!
今からお伺いするところだったんですよぉ

は?



事前に連絡もなく?

私は返す言葉も見つからない。



いきなり押しかけて
留守なら
どうするつもりだったのだろう。


交通費だって……








いや。

案外、近くに
住んでいるのかもしれない。


前に会ったときは
何処に住んでいるかなんて
聞く余裕がなかったけれど。








そうだ。
同じ駅から電車に乗るから
親しくなった、ということだって
あり得る。



朝も、帰りも
私が知らないだけで。






ずっと


ずっと……







家まで行くの面倒だなって思ってたら、ちょうと来るんだもん。ラッキー

……だから
伝言を頼まれたのかもしれない。




……

怖い顔

私、
急いでるんですけど

あ、そうそう
忘れるとこだったじゃない

ホント、
なにしに来たのよってやつだよねぇ



女は笑う。
勝ち誇ったように。










いや、そう思っているのは
私だけなのかもしれない。




傍から見れば
友人を私が出迎えたようにしか
見えないのだろう。



行き交う人々は
嫌な顔をするでもなく
私たちを避けて通り過ぎていく。







置かれている石を
川の流れが避けて通るように。

















彼女は私が手にしている
傘に目を向けた。

まだ持ってるんだ、その傘

四越で買ったんでしょ?
うちの会社の近くの

あたしも色違い持ってたわ
すぐ壊しちゃったけど

朔良さんは物持ちがいいのねぇ

……



黙ったままの私に
彼女はにやりと笑う。

蘆屋さんからの伝言。
まだ帰れない、ですって

はぁ!?

じゃ、伝えたからね~



言うことだけ言うと、
彼女は軽く手を振って身を翻した。




反対側の手にある傘に
ブランドのロゴが見える。

んもう、遥々伝言持ってくるあたしってば親切すぎぃ♪
蘆屋さんになにか奢ってもらわなきゃ











……

なん、て……?



蘆屋とは切れたと思っていた。

でも彼はまだ
戻って来るつもりだった
ということだろうか。





いや、それよりも。

また、帰れない……って


やっと傷が癒えてきたところだったのに

忘れかけてきたところだったのに

















帰るつもりがあると言い
帰れないと言い


それをまた
あの女の口から言わせて。




蘆屋さんに奢ってもらわなきゃ



あの女とは会っているの?

それなのに
帰って来られないの?










どうして
傷をえぐる真似ばかりするの?

































雨が降る。
冷たい、雨が降る。



傘がなければ
この雨は鋭利な篠竹のように
私の身体を貫くのだろうか。







貫いて

なにもかも
終わらせてくれるのだろうか。










……なによ



もう嫌だ。


あの女も

振り回す蘆屋も

理解してくれない両親も













こんな、傘も。






私は傘を見上げた。
色あせた白地に
うすぼんやりとした色の花が
咲いている。



これは、あの女と同じ傘。
あの女が壊した傘。













ねぇ、蘆屋。

どうして
この傘を私にくれたの?









こんな、













後生大事に使い続けて
馬鹿みたい……!!












































ピーッ!

放っておいて!

私は傘を投げ捨てると
踵を返した。



























降る。
降る。

雨が降る。



何処までも、

何時までも。















ああ。
やっぱり何処かへ
行ってしまえばよかった。









行こう、男なんか忘れて

にゃあ

行こう。
行ってしまおう。




何処か、誰も知らない
遠いところへ……。



















































篠突く雨。

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