ただ、殺してしまおうと思った。
病に倒れ身動きすらできない今なら、この男は抵抗すらできずにわたしに殺されるだろう。
わたしと母を苦しめた当然の報いだ。だから、躊躇することなんてない――
ただ、殺してしまおうと思った。
病に倒れ身動きすらできない今なら、この男は抵抗すらできずにわたしに殺されるだろう。
わたしと母を苦しめた当然の報いだ。だから、躊躇することなんてない――
けれども次の瞬間、わたしは一度伸ばした手を咄嗟に引いた。
先輩……何してるんですか
振り返れば、扉のところに明らかに戸惑ったような陸がいた。
なんだ……びっくりした……ノックくらいしてよ
しましたよ。でも反応がなかったから
陸はわずかに苦笑すると、後ろ手で扉を閉めた。
本当に? 全然気づかなかったよ。来るなら言ってくれたらよかったのに。気が変わったの?
……先輩の
陸の視線が泳ぐ。その先には、意識を失ったままの父がいた。
様子が変だったから、心配になって追いかけて来たんです
ぽつりぽつりと、呟くように言う陸は、どこかわたしの出方をうかがっているように見えた。
彼がいつから見ていたのかは分からない。でも、おそらく気づいているんだろう。わたしが何をしようとしているのか。
……わたしは、この男に目覚めてもらっては困るの。きみなら、分かってくれるでしょ。それとも――お父さんが大事?
……よく、分かりません。でも、自業自得だと思う
少し意外だったのは、そう言った陸の声がひどく冷めていたこと。
この人のこと……庇うわけじゃないけど。きみはわたしと違って愛されてたよ
本当にそうなのかな。認知もされてなかったのに?
確かに父さんは俺を可愛がってくれたのかもしれないけど、籍は入れない、認知もしない。それでいて、先輩の家の財産も手に入れようとしている
あれもこれも、なんて叶うわけがない。父さんは自分の行いにきちんとけじめをつけるべきだった。結局――父さんには俺を息子と認めるよりも大切なことがあったんだ
陸はまるで他人事のように、淡々と話した。
そこには、信じていた父親に裏切られたような失望の色は見られなかった。
彼にとってはもう、過去なのか。それとも、全て受け入れてしまったの後なのか。
先輩と俺も、同じです。
あれもこれもなんて、手に入らない。二人でいるために、捨てなければならないものがたくさんある。
それが父親だというなら、仕方ないのかもしれません。でもこんな人間のために、先輩が手を汚す必要なんてないです
きみはこいつの本性を知らないから、そんなことが言えるの。やらなければ、こちらがやられる……これは、そういうもの
綺麗ごとなんてもうたくさん。
そんなわたしの意思を悟ったのか、陸は軽く息を吐いて言った。
そこまで言うなら……じゃあ、俺が殺します
え?
今、なんて言ったの――そう聞き返す間もなく、陸はわたしの側に立つと、父の周囲の機械をしげしげと眺める。
これ、スイッチってどれなんだろう。まあ、適当に切ればいいか
ま、待って!
無造作に機械に触れた陸の手を、わたしは慌てて掴んで引き戻す。
何やってるの!?
何って? 俺だって、父さんが邪魔なのは分かってますし
やめてよ……きみを殺人者になんかさせられない!
自ら叫んで、ようやく我に返った。
そんなわたしに、陸は悲しそうに目を伏せる。
俺だってそう思ってること、どうして分かってくれないんだ。先輩は、父さんを殺して……それで、どうするつもりなんですか。もう少し冷静になってよ
きみだって! わたしが止めなかったらどうするつもりだったの!
さあ……人殺しになって、捕まるか。それとも、一緒に逃げてくれますか
投げやりに言って窓の外に目をやった陸を、わたしは思わず抱きしめた。
何故だか、そうしなければ彼が儚く消えてしまうような気がして。
逃げるよ……どこへだって。でも、そんなこと言わないで
先輩が無謀なこと、やめてくれるなら
やめるよ、やめるから!
どうかしていた。陸にこんなことを言わせてしまった自分をひどく恥じる。
全部――わたしのせい。
弟はわたしとは違って幸せだったはずなのに。
わたしが、何もかも狂わせてしまった。
約束ですよ……
そう言って笑った陸の顔を、直視することができなかった。