学校から帰ってきた僕は一目散に自分の部屋へ行き、勉強机にカバンを放り投げた。



 そのまま部屋のど真ん中に寝そべる。



 僕は吉岡先生に図星をさされて苛立っていた。



 だが、確かに山根さんのことが気になっていたし、また二人で話がしたいと思ったのも事実だ。



 僕は図書室で山根さんと過ごした時間を思い返した。


 それは僕らの周りだけ時の流れがゆっくりになるような、とても落ち着いた時間だった。



 いつの間にか腹立たしい気持ちは消えて、心が穏やかになっていくのが実感できた。




 山根さんとお話がしたい。




 でも、声をかけるタイミングが思いつかない。



 学校で声をかけるにしても、またアキオ君やホアチャー君に見られる可能性がある。


 それはどうしても避けたかった。

昌也、ちょっと買い物行ってきてちょうだい

 天井のシミを見ながら考え事をしていると、母が部屋の襖を開けて僕に言った。

今日はクリスマスだから。
お夕飯、豪勢にするからね。
はい、よろしく

 そう言って母は、エコバックとお金と買い物リストを僕に渡した。



 たとえ夕飯が豪華であっても、高校生にもなって家族で過ごすクリスマスなどテンションが上がるはずもない。



 僕はため息混じりに重い腰を上げ、渋々買い物に出かけた。



 駅前のスーパーで買い物を済ませ、帰りの道を歩いている時だった。




 ポツリポツリと地面に点が増えていき、次第に点が密集して広がっていった。




 しまった、今日は雨が降ると天気予報が宣言していたのに、僕は完全に傘を忘れていた。



 キョロキョロあたりを見回して雨宿りできそうな場所を探していると、いきなり誰かに手を掴まれた。


 すごく小さな手だ。

???

お兄さん、こっちこっち

 そう言って僕の手を引いていくのは、小学校低学年くらいの小さな女の子だった。



 白いブラウスに紺のスカート。



 まるで入学式でもあったのかと思わせる、小奇麗な……。



 どこかで会ったような気がする。



 それに、この女の子の声もなぜか聞き覚えがあった。



 だが、親戚以外に子供の知り合いなどいないので、気のせいだということにした。




 おや?




 この流れも以前にあったな。


 どこでだったか。




 僕が考え事をしている間も、この小さな女の子は僕の手を引っ張っていく。



 雨宿りにもってこいのスポットでも知っていて、僕を案内してくれているのだろうか。


 いやしかし、雨よけのあるお店や民家をどんどん過ぎていく。



 いったいどこへ連れて行こうというのか。


 こんな小さな子の手を振りほどくのは流石に気が引けてしまい、僕は仕方なく女の子に引っ張られるまま走った。




 小さい子に手を掴まれているので腰が曲がった姿勢が続き、そろそろしんどくなってきたと思い始めた時だった。



 女の子はあるアパートの駐車場に入っていった。



 一階は五台ほどの車が止められる駐車場になっており、二階以降が部屋になっている造りだ。


 確かに雨宿りにうってつけではある。




 だが、そんなことはどうでもいい。




 それよりもその駐車場に入ったとたん、僕の目に飛び込んできた人物に驚いて固まってしまった。



 そこには雨宿りをしている山根さんが立っていた。



 彼女はいつもの如くうつむいて、僕の存在に気づいていない。



 山根さんとお話がしたいと思っていた矢先、これ以上ないチャンスが訪れようとはなんという偶然。



 もしくは神の悪戯か。




 違う、あの女の子がここへ連れてきたんだ。




 これは一体どういうことだろうと思い、女の子の方を見た。



 あの子がいつの間にかいなくなっている。



 どういうことだ?


 なんだこの不可解な出来事は。


 あの女の子は何者で、なんのために僕をここまで連れてきたのだろう。



 考えても考えても答えは出てこなかった。


 僕は首をかしげながら不自然にならない程度のスペースを開けて、山根さんの隣に立った。


渡利昌也

あ、あの。
山根さん

 僕は先ほどの女の子への疑問を一旦保留にし、山根さんに声をかけた。

山根琴葉

え、え?
は、はえい?
あ……え?

 山根さんが驚いた様子で答えた。

渡利昌也

ど、どうも。
こんばんは

山根琴葉

え?
あ……。
ど、どど……ども

 山根さんは肩をこわばらせている。

渡利昌也

ぶ、部活帰り……ですか?

山根琴葉

は、はい。
その、そ、そうです。
はい

 ここで完全に会話が止まってしまった。



 僕にはまだ言いたいことがあったはずだ。


 また、以前のように山根さんの漫画を読ませて欲しいと言いたいはずだ。



 なのに言えなかった。



 僕はこの期に及んで、まだアキオ君やホアチャー君に言われたことを……世間体というものを気にしていた。




 しばらく二人黙って立っていた。




 時間にすれば五分程度だったのかもしれないが、僕にはとても長く感じられた。




 しばらくして、山根さんが口を開いた。


山根琴葉

で、では。
失礼……します

 山根さんはそう言って、雨宿りのできるこの駐車場から歩道へ出た。


 気がつくと、雨は雪になっていた。

渡利昌也

あ、ちょっと待って

 僕は慌てて山根さんを止めた。


 山根さんは歩道に一歩出たところで立ち止まった。



 山根さんの髪や肩に雪が舞い降りては、スっと消えていった。

渡利昌也

あの……また、前みたいに……その……

 僕はその先の言葉がなかなか言えずにいた。

山根琴葉

わ、わたし。
その。
い、イケて……ないから。
暗いから。
わ、渡利さんに迷惑かけちゃう……から

 山根さんはそこまで言うと、そのままトボトボと去っていった。




 僕はその後を追いかけることができず、その場に立ち尽くした。




 山根さんはあの時のアキオ君、ホアチャー君の言葉を聞いていたんだ。



 その後、僕がなんとなく避けていることにも気づいていたんだ。





 道路が雪で白に染まっていくのを、僕はただただ眺めていた。



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