わたしと泉、馴れない手つきが二人、なんとか野菜を切り終わった頃、長谷部先輩がサラダを手伝ってくれていた。

他のメンバーも、もうほとんど完成が近い。

紗己子

ごめん。ちょっと外で休んでる。先に始めてていいよ

えっ――大丈夫なの?

紗己子

平気だから、心配しないで


驚いた泉になんとか笑ってみせて、わたしは一人コテージの外に出た。

先程から、一旦おさまったかと思った頭痛がどんどん酷くなっている。身体のだるさも更に増し、立っているのも結構つらい。
 
だけど、きっとみんな楽しみにしていた旅行だ。誰にも知られたくなくて、わたしはコテージの裏手にしゃがんで身を潜めた。

自分でも馬鹿だと思う。こんなところに隠れて、落ち着くのを待っているなんて――……

なぁにサボってるんですか、先輩


軽い声が聞こえてきたのは、数分後だった。

その瞬間、もっと上手く隠れるべきだったと後悔しながら、顔を上げ立ち上がる。

紗己子

そっちこそ、火はついたの?

もちろん、完璧ですよ。俺は柏木先輩に探して来るように言われて……ていうか、先輩本当に体調悪いんじゃないですか?

紗己子

……大丈夫


陸にはあっさり見抜かれてしまったようだが、わたしはあえて否定した。生理の時の体調不良なんて、よくあることだ。

でも、顔色悪いし

紗己子

暑いの苦手だから

朝からずっとじゃないんですか

紗己子

大丈夫だって!

陸がしつこく聞いてくるので、わたしは思わず声を荒げた。苛々して、仕方がない。

こんなこと、以前ならあり得なかった。最近のわたしは、猫を被る余裕すら失っている。

隠されて、何かあった時の方が皆が迷惑するんです。正直に言ってください

紗己子

……ねぇ、何なの? 白々しく心配してるふりなんかして。付き合ってるふりもそう。何が目的なの?


わたしが本性をあらわしても、全く引く様子のない陸に更に苛立ちが募る。

ふりなんかじゃ……

紗己子

じゃあ、なんだっていうの。
もう限界なの! わたしのこと、皆に言いたいなら言えばいい! 

紗己子

どうせ最初からそのつもりだった。それでもわたしはきみに復讐したかったの、ずっと憎くて大嫌いだったから!

俺とはもう、付き合いたくないって……ことですか

紗己子

当たり前でしょ。誰が弟なんか……と……

それ以上は言葉にならなかった。

視界がぐにゃりと歪む。
立っていられなくなる――……

先輩!


次に気づいた時には、わたしは陸の腕にもたれかかっていた。

紗己子

……離して

こんな時に何言って――

一瞬気が遠くなってしまったわたしを、陸が受け止めてくれたのであろうことは容易に想像できた。

本来なら感謝の言葉こそあれど、憎まれ口なんてあり得ないはずなのに。

紗己子

触んないでって、言ってるの!

――わたしのことなんか、嫌いなくせに。

そんなこと言ってる場合ですか!

本気で怒ったような陸の声が聞こえて、それから泉の慌てた声が聞こえて……それから、

それから……

その後のことは、ぼんやりとしか思い出せない。
目覚めた時、わたしはコテージの寝室にいた。窓から差し込む光は既に赤く染まっている。

ベッドから身を起こすと、隣で椅子に座っていた陸が気づいた。

先輩? 気分は?


そう聞かれると同時に、コップに入った水を渡される。
それほど喉が渇いていたわけではなかったけれど、わたしはそれを受け取り、一口飲んだ。

紗己子

大分すっきりした……かな


呟くように言うと、陸があからさまにほっとするのが分かった。

おそらく、ずっとついていてくれたのだと思うと、複雑な気分になる。

もう適当に大丈夫とか言わないで下さいね

紗己子

ごめん。本当に大丈夫

実際、頭痛は嘘のように消え去っていた。身体のだるさは若干残るが、それほどでもない。

紗己子

バーベキューは?

今、表でやってますよ。何かもらって来ますか?

紗己子

そうじゃなくて、きみは行かないの? わたしはもう、一人でも大丈夫だから


陸は何故かひどく傷ついた顔をした。まるであの時――みたいな。

すみません。先輩が体調崩したのは俺のせいですよね

紗己子

いや、そういうわけじゃ……


確かにただの生理痛で倒れたことなんて今まではなかったから、何らかのストレスが原因の一つにあったりはするかもしれない。

だけどそれは、誰にも分からないことだし。

慰めてくれなくていいですよ。先輩を困らせるって言ったのは俺だから。
……俺、おかしいんです。姉弟がいけないってことは理解できるのに、どうしても、先輩のこと諦められなかった

紗己子

……椎名くん?

だったらいっそ、頭のおかしいふりをしてでも、先輩を繋ぎ止めたかった。俺、先輩に復讐したいなんて思ってません

そりゃあ、最初は酷いと思ったけど、でも結局俺はそれ以上に先輩が好きなんだなって、思って


陸の言葉は、堰を切ったように止まらない。

父さんのことも、謝ります。俺、ずっと何も知らなくて……先輩と先輩のお母さんが辛い思いをしてる間も、ずっと、何も

紗己子

や、やめてよ……

別に謝って欲しかったわけじゃない。

だって……きみは。

別れて、もう会わないようにするのが一番だって分かってるんです。
だけど、ちょっと欲を出しちゃって。この旅行が終るまでって、自分を納得させて。そのせいで先輩を苦しませてしまいました


陸の言おうとすることが、ようやく分かった気がした。
わたしと目が合うと、彼は笑ってみせて、そして。

仕方がないから、先輩のこと……もう解放してあげます


別れを告げた陸は、どこか晴れ晴れとしていた。

わたしは別に、陸に謝って欲しいなんて思ったことはなかった。
だって、彼は何も悪くない。彼には一片の落ち度もない。

そんなこと、本当はずっとわかっていた。

それでもわたしは、彼を傷つけたかった。
その罪深さに、今更気がついた。

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