陸との交際は、その後も続いた。

これまでと変わったことといえば、その交際がよりオープンになったこと。陸は学校でも外でも、わたしたちの仲を見せつけるように手を繋ぎ、ことあるごとに一緒にいたがった。おかげで、わたしたちの関係はあっという間に周囲に広まってしまった。

それでも、二人が本当は姉弟であるという秘密だけは、陸も決して言わなかった。
それが逆に厄介なのだ。全てを暴露してわたしを糾弾するなら、こちらも諦めがつくのに。

未だに陸の本当の目的も分からなくて、わたしの気持ちはいつも落ち着かなかった。主導権は常に向こう側。気がつけば、いつも陸のことを考えてしまっている。

おかげで先日の期末テストの結果は散々だった。驚いた担任の教師に呼び出されて事情を聞かれても、事情は到底答えられるはずはなく。

捌け口のない澱(おり)が、心の中に積もっていく。それが徐々に自身を蝕んでいくこと知りながら、わたしは気づかないふりをした。

弱音も泣き言も、陸にだけは言いたくなかった。それは単に、負けを認めるようで嫌だったし、そもそも自分にそんな資格はないと思った。

紗己子

わたし、寝るから

旅行の日、早朝に出発した電車の中で、わたしは早々に宣言した。

それは当然のように隣の席に座る陸に対するもので、暗に「話しかけるな」という意味であったが、彼は案の定にこやかに了承した。

いつも――こうだ。陸は彼に付き合ってさえいれば、それ以上のことは求めなかった。これまで通りの交際の継続……それ以上でも以下でもない。わたしを脅して従わせたいのなら、例えば性的関係でも強要すればいいのに、それもない。


わたしからすれば、気味の悪いことこの上なかった。本当の目的は? 一体何を企んでいる? わたしをこうして困らせ、悩ませることだけが、本当に彼の復讐なのか?

直接訊ねてみたこともあったけど、陸はいつものらりくらりと話題を逸らす。

けれど、昨晩から体調が思わしくないわたしにとって、移動中だけでも陸と白々しい会話をしなくて済むのは、せめてもの救いだった。

先輩、起きてください


陸に声を駆けられて目覚めれば、まもなく駅に到着するところだった。

相変わらず頭痛は昨晩から引かないままだし、寝不足も解消されずじまいで身体もどこかだるい。

大丈夫ですか? 荷物持ちますよ

紗己子

……ありがとう

心配げにこちらをのぞきこむ陸に荷物を任せて、ホームに降りる。一歩車外に出れば、高温多湿の日本の夏。少しばかり都会を離れたからといって、何も変わりはしなかった。

駅からは少しだけ歩いて、引率の教師が運転するレンタカーに乗り換える。このまま車で周辺を観光して昼過ぎにはキャンプ場に向かうことになっていた。

国立公園にも指定されているという富士山を望む高原を訪れたわたしたちは、そこで散策および昼食をとる。

あまりにも雄大で美しい景色を目の当たりにしたわたしは、内心「これは嫌でも良いレポートが書ける」と思った。

正直言うと、山には全く興味がなかったが、いざ来てみるとこれはこれで良いのかもしれない。加えて周辺は標高が高く気温が低いため、暑さに溶かされそうだったわたしの体調は少しだけ回復した。

紗己子、顔色よくなったね


泉がそう言ったのは、レストランでの昼食の後だった。

女子トイレの鏡の前で化粧直しを済ませた泉は、ほっとしたように微笑む。

紗己子

え? ……そうかな

うん、朝と全然違う! 朝はずっと辛そうにしてたから


わたしの隣に陸がいたように、泉もほとんど部長といたにもかかわらず、わたしを見ていたのは意外だった。

それは嬉しいと思う反面、申し訳なくもなる。

紗己子

ごめん。心配させてなんて知らなくて。今日、あの日だから……

ああーなるほど。旅行と重なるなんてついてないね。でも、そっか……

紗己子

……?

いや、もしかしたら、ね。椎名くんと上手くいってないんじゃないかなあ、なんて、余計なこと考えちゃったり。私の勘違いならいいんだけど、最近元気ないように見えたから


泉の純粋な瞳を見ていると、自分が情けなくなる。
こんな友人に、わたしはまた嘘をつかなければならない。嘘を隠すための嘘を。

紗己子

……椎名くんは関係ないよ。ちょっと最近夏バテしてたからかな……昔から暑いの苦手でさ。体調崩しやすくなっちゃうの

そっかあ、気を付けなきゃね。でも、もし何かあったら遠慮なく言ってね。紗己子には助けてもらったし!


泉は言ったが、わたしなんて何もしてない。アドバイスでも何でもない、適当な言葉をかけただけ。こんな風に優しくしてもらう理由なんてないのだ。

紗己子

ありがとう。頼りにしてるね


裏腹な言葉と心。嘘ばかりついていると、時々……自分がどこにいるのか分からなくなる。

不意に――鳴りを潜めていた頭痛が疼きだした。お前に感傷にひたる権利はない、と言われている気がした。

キャンプ場に向かって出発した一行は、途中のスーパーで食材や必要物を調達して、十四時には現地に着いた。

早速皆で夕飯の準備を始める。顧問の先生、部長、陸の男子メンバーはコテージ側の備え付け大テーブルで火の準備を、残りの女子メンバーはコテージの中のキッチンで食材の準備をすることになった。

三原さん

では、長谷部先輩はお米をお願いします。皆ちゃんは京子と焼きそば、菅原さんと柏木さんは野菜のカットとサラダ、私は豚汁を仕込みます!

何が三原さんをそこまで突き動かすのかは分からないけど、とにかく彼女は燃えていた。しかし、ほとんどがアウトドア初心者であるわたしたちにとって、三原さんが頼れる存在であることは間違いない。

指示の出しかた、段取り、手際のよさ、仕切りの能力……そもそもこの旅行のプランが三原さんの提案である。指示されたように野菜に包丁を入れながら、次の部長は彼女だろうか、と思った。

三年生はこの旅行を最後に引退する。そして春には卒業……部長と長谷部先輩は学校からもいなくなる。そう考えると確かに多少寂しくはあるのだが、それ以上の感情はわいてこない。不思議だ。あれほど好きだった人と離れるというのに、悲しみ一つ感じない。

そうなってしまった理由をわたしは自覚している。わたしは、多分部長のことが好きではなくなってしまったのだ。

明白な理由。しかし、どうしてそうなってしまったのかと問われると、途端に分からなくなる。――何故?

そういえば、天ちゃん結局来れなかったね

共に野菜のカットに励む泉が、少し離れたコンロの前に立つ皆川さんと永塚さんを見ながら言った。

わたしを呼び出したあの日以来、天童さんは一度も部活に顔を出していなかった。辞めたとは聞いていないから、籍はまだあるはずだけど。

紗己子

……そうだね。皆川さんも寂しそうだし

本当、どうしたのかな? 学校には来てるらしいけど

紗己子

……そうなんだ

おそらく……いや、確実に天童さんが来なくなったのはわたしのせいだ。そんなことは微塵も疑っていない泉に、ちくりと罪悪感が芽生えたような気がした。

――今更だ……全部。全部。

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