徐々に温もりを失いつつあるショウコの亡骸を抱えながら、アキラはメーティスが開いた扉の先をゆっくりと進んでいく。
その通路は、それまでの暗く無機質な感じと違い、光に溢れて、むしろ痛いくらいに白い通路だった。

そのまま一本道をゆっくりと歩き続けたアキラの目の前に、やがて一枚の扉が姿を現す。
近未来的で機械的なその扉は、アキラがすぐ前に立つと音もなく開き、中から聞き覚えのある声が響いてきた。

メーティス

どうぞ、中へお入りください

いつものように丁寧な口調のメーティスに、アキラは一瞬躊躇うようにショウコの顔を眺めた後、覚悟を決めて中へと踏み入れた。

直後、何かが低く鳴動する音が響き、同時にアキラが立つ場所の数メートル先を中心に一気に光が広がった。
突然のことに一瞬だけ眩しそうに眼を細めたアキラは、次いで眼前に浮かび上がった光景に思わず目を見張った。

直径がいったいどのくらいあるのかもわからない程の広い球状の部屋の中心に、およそ直径が5メートルほどのキューブが浮かび、アキラの足もとからそのキューブの手前まで、まるで橋のようなものが伸びている。
部屋の壁は何かの回路なのだろうか、複雑に敷き詰められた線の上を、小さな光たちが無数に行き来している。

そんな、まさにSFの世界そのままな光景にアキラが絶句していると、中央のキューブが淡い光を発しながらアキラへ呼びかけてきた。

メーティス

そのまままっすぐ進んでください……

促されて、アキラは恐る恐る歩を進める。
そうして、橋の先端で立ち止まったアキラへ、再び球体が声を発した。

メーティス

こうしてお会いするのは初めてですね、ミスター・住吉……

アキラ

お前がメーティス……なのか?

メーティス

イエス、ミスター・住吉
私がこの船の一切を取り仕切る人工知能、メーティスです

アキラ

そうか……

短く呟いて俯くアキラのもとへ、どこからともなく現れた小さなロボットたちが殺到し、何かを計測するように光を発しながらぐるぐると回り始めたかと思うと、唐突にどこかへと去っていった。

唖然とするアキラに構わず、メーティスは落胆したような声を出した。

メーティス

計測の結果、我々の望んだ結果は得られないことが判明しました……
これ以上の実験は無意味と判断します
よって、直ちに実験終了プロトコルを開始します

アキラ

実……験?

メーティス

実験データのバックアップ開始……
バックアップ終了……
現在までの分析結果を書き出し……
書き出し終了……
マスターへの報告準備完了……

アキラ

待てよメーティス!
何だよ!
実験って!?

まるでそこにアキラがいないかのように彼の言葉を無視して、メーティスは淡々と進めていく。

メーティス

最終プロトコル用サンプルナンバー015、及びサンプルナンバー039以外のサンプルデータのフィードバック開始……
フィードバックが完了したサンプルから順次削除を実行……
…………
…………
…………
フィードバック、削除完了

アキラ

どういうことだメーティス!!
説明しろ!!
実験って何だよ!?
俺たちは隔離されてたんじゃないのかよ!!

アキラの叫びが届いたのか、はたまた別の要因か。
ともかく、メーティスは何かを考えるようにぴたりと黙り込んだあと、静かに告げた。

メーティス

これより、最終プロトコルを実行します

アキラ

だから……
さっきからプロトコルとか実験とか何の……!?

メーティス

ミスター・住吉

再び食って掛かろうとしたアキラの言葉を遮って、メーティスはゆっくりと言葉をつむぎ出した。

メーティス

ここまで辿り着いたあなたには真実を知る権利があり、あなたはそれを欲していると判断しました
よって、これよりすべてをお話します
なお、これから語られるものは全て真実です
あなたに真実を受け入れる覚悟はありますか?

アキラ

…………

だまって首肯するアキラへ、「よろしい」と返したメーティスは、その真実を語り始めた。

メーティス

まず初めに、あなたの誤解を解いておきましょう……
ここに存在するものは全て……
人も、食料も、娯楽も、生活環境さえも……すべてはデジタルの存在です……
そう……
ミスター・住吉……あなたや、あなたが抱えていらっしゃるミス・佐江島も……
ここに至る途中でであった彼らも……
全てデジタルの存在なのです……

アキラ

はぁっ!?

メーティス

信じられませんか?

アキラ

あ……当たり前だろ!?
いきなり人をデジタルな存在とか言われて……

メーティス

ですが事実です
あなた方は……いえ、この船「パンドラ」に存在するすべてのものは、0と1で構成されたデジタルデータであり、私が実験のために作り出したものなのです……

アキラ

一体何を言って……?

メーティス

そもそもの始まりは、今より数ヶ月前のこと
インド北部の小さな村で、新種のウィルスの存在が確認されたことに始まります

メーティス

そのウィルスは、感染力こそそこまで高くないものの、感染者を確実に死に至らしめるものでした
しかも、そのウィルスに対する抗ウィルス剤やワクチンなどはなく、また感染する条件も未知のものでした

メーティス

まさに人類にとっての災厄と言うこともあり、このウィルスは「PANDORA Virus」――通称Pウィルスと名づけられ、その威力を警戒したWHO主体の元、緊急案件として世界各国でこれに対抗する方法の模索が開始されました
しかし、どんな抗ウィルス剤も効かず、ワクチンすらも無効化するこのPウィルスに、世界中の科学者は匙を投げざるを得ませんでした

メーティス

そこで国際連合はこのウィルスから人類を――ひいては世界を守るために、非感染者を閉鎖空間へ隔離することを考えました

メーティス

しかし、問題がありました
人は長年の隔離生活に耐えうることができるのか、それが未知数でした

メーティス

その問題を解消する方法として、マスターは予めプログラミングされた様々な人格を持つ仮想生命体に、心へ負荷をかける実験を思いつきました
この負荷実験に耐えうる環境を用意してやれば、人間は閉鎖空間に長期間滞在できる、そう判断されたのです

メーティス

そしてその実験の統括を私が任され、こうして何度も実験を繰り返しているというわけです

メーティス

ちなみに第一の負荷実験は、堕落への抵抗
第二は親しきものの死
第三に信頼への裏切りと愛するものの死
そして第四が、自らの手で人を殺すことです

淡々と語られた真実に頭が追いつかなかったアキラが、そこだけは不思議と理解できたメーティスの最後の言葉に大きく目を見開く。

アキラ

まさか……?

メーティス

そうです、ミスター・住吉
これらの実験は、あなたがここに至るまでに経験した試練であり、つまりあなたが今回抜擢されたサンプルなのです

アキラ

嘘……だ……

ショウコを抱えたまま、がっくりと膝を着く。

すべてはサンプルとなったアキラの実験のために。
それは彼にとって……、否、今まで彼が出会ってきたすべてにとっても、残酷な真実だった。

アキラ

嘘だろ……?
信じられるはずねぇだろ?
アサヒも……ヒメも……ショウコも……
俺の実験のために死んだのかよ?
ありえねぇだろ?
どうせ嘘なんだろ?

縋るように問いかけるアキラへ、メーティスは冷酷に告げる。

メーティス

すべては真実です
そして、この真実を語ること
それがサンプルへの最後の負荷実験でした

メーティス

しかし、やはり予測されたとおり、あなたは真実を受け入れることができず、その負荷に耐えることもできなかった……
つまり、実験は失敗です……

メーティス

以上を以って、すべての実験を終了
環境データの再構成のため、現在の環境データを全て破棄します

その宣言と共に、船全体に振動が走り、閉鎖系都市型海洋船『パンドラ』は崩壊を始めた。

そんな中、アキラは虚空をぼんやりと見つめながらぶつぶつと繰り返す。

アキラ

嘘だ……
俺も……
ショウコも……
アサヒも……ヒメも……
みんな作り物だったなんてありえない……
そんなこと信じられるか……

アキラ

は……ははっは……
そうだ……これは夢なんだ……
きっとそうだ……
目が覚めたらいつもみたいに隣にショウコがいて……
アサヒがそれを呆れながら笑って……
ヒメが俺たちに絡んでくるんだ……
そうだ……
そうに違いない……

メーティス

…………
想定通り完全に壊れてしまいましたね……
やれやれ……ですね

光の消えた目でぼんやりと虚空を見つめながらつぶやき続けるアキラを見て、メーティスは軽く嘆息した後、冷酷にコマンドをつぶやく。

メーティス

サンプルナンバー・015の精神崩壊を確認
データをバックアップ後、サンプルナンバー・015の活動を停止
環境データと共に削除

アキラ

うっ……!?

メーティスがコマンドを唱えた直後、アキラは小さくうめき声を上げ、ショウコに覆いかぶさるように倒れこむと、それきり動かなくなってしまった。

第16話 突きつけられた真実

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