何の抵抗もせずに、あっさりとアキラの包丁を受け入れたケンタは、ごぼっと大量の血を吐き出しながらゆっくりと床に倒れこんだ。
どうやらアキラが刺した包丁は、ケンタの心臓を外れていたものの、それでも肺に達し、致命傷となっていた。
恐らく、肺が傷ついてかなり苦しいはずだが、しかしケンタのその顔はひどく安らかなもので、到底、冷徹にショウコを殺したときと同じ人間とは思えないほどだった。
何の抵抗もせずに、あっさりとアキラの包丁を受け入れたケンタは、ごぼっと大量の血を吐き出しながらゆっくりと床に倒れこんだ。
どうやらアキラが刺した包丁は、ケンタの心臓を外れていたものの、それでも肺に達し、致命傷となっていた。
恐らく、肺が傷ついてかなり苦しいはずだが、しかしケンタのその顔はひどく安らかなもので、到底、冷徹にショウコを殺したときと同じ人間とは思えないほどだった。
……んだよ……!
なんで避けなかったんだよ!?
なんで抵抗しなかったんだよ!?
あんたなら簡単によけれただろ!?
逆に俺を返り討ちにできただろ!?
なのになんでだよ!!
叫ぶように問うアキラに、ケンタはもう一度盛大に血を吐き出しながら、穏やかに笑った。
あたしはね……
ずっと死にたかったの……
はっ……?
お日様の下を歩けないような仕事をずっとしてきて……
その仕事のせいで苦しむ人がたくさんいて……
たくさんの人の人生を台無しにしてきた……
それがとても辛かった……
こんなことを続けるくらいなら……
死んだ方がましだってずっと思ってた……
でもね……
あたしは臆病だから……
自分で勝手に死ぬ勇気がなかった……
だからウィルスの抗体をつくる実験に連れてこられたときは……
すごく嬉しかったの……
これで楽になれる……
それどころか……
誰かの役に立てて死ねる……
そう思ったのに……
あたしはしぶとく生き残ってしまった……
その上……
彼らと一緒にここから出ようだなんて……
浅ましいことを考えてしまったの……
そんな時にあなたたちに出会って……
あなたたちのまっすぐな瞳を見て……
あたしは死を決意したの……
眼の端に涙を浮かべ、滔々と語り、ほうと息をつくケンタ。
彼が語った話が事実だとすれば、それは同情すべきものかもしれない。
けれど、アキラは納得できず、満足そうな顔のケンタに問いかける。
だったらなんであいつらを殺した!?
なんでショウコを殺した!?
あいつらに殺されてれば、あんたは楽になれたはずだ!
あんたらだけで勝手に殺し殺されていればよかっただろ!?
ショウコを殺す必要なんてなかったはずだ……!
なのになんで!?
彼らを殺したのは……
彼らがあなたたちを殺そうとしていたからよ……
目の前であなたたちが嬲り殺されるところなんて見たくなかったもの……
そしてショウコちゃんを刺したのは……
あたしを殺してもらうためよ……
あなたたちは優しいから……
きっとあたしが殺してって頼んでも断ったはず……
でもあたしは死にたい……
だから……本気であなたに殺してもらうために……
結果的に彼女を死なせることになってすまないと思ってるわ……
ふざけんなよ!!
叫びながら、アキラは思いっきりケンタを殴りつけた。
殺してもらうために刺しただと!?
そんなふざけた理由なんて認められるかよ!!
あんたのそんな勝手な都合なんてしるかよ!!
そんなんで殺されたらショウコが浮かばれねぇだろ!!
もっとましな言い訳しろよ!!
言葉の合間に、アキラは何度も何度もケンタを殴りつける。
肉を殴打する音が通路に響き、その度にアキラの手に殴りつけたときの嫌な感触が返ってくる。
しかし、それでもアキラは殴ることをやめなかった。
倒れたまま、素直にそれを受け入れるケンタは顔のあちこちを殴られながらも言葉を発する。
そうね……ぐっ!!
あたしの言ってる……ぐぁっ!?ことは……うっ!?
矛盾してる……がぁっ!?
でも……うぐっ!
あたしには……あぅっ!?
これしか残されて……ぐぅっ!?
なかったの……
殴りつかれ、息を荒くするアキラの手をそっと握り、自分の胸に刺さった包丁まで導いて、ケンタは続ける。
だから……
お願い……
全部……終わらせて……
静かに囁き、胸に突き立つ包丁の柄を握らせると、ケンタはそっと全身の力を抜いた。
完全に死を受け入れたその体勢に、アキラはさっきまでの激情が一瞬で引くのを感じた。
さっきまで心を支配していた憎しみや苛立ちがそのままだったのなら、あるいはケンタの望むとおりあっさりと止めを刺すこともできただろう。
しかし、一回冷静になってしまえば、これからケンタに刺さった包丁を抜き、改めて心臓に狙いをつけて深く突き刺すという工程に、アキラは恐怖を覚えて躊躇ってしまった。
そんな年下の少年の心情を察したのだろう、ケンタはまるで子供をあやすように、アキラの背中を優しく叩いた。
あなたは……躊躇う必要はないわ……
罪を感じる……必要もない……
今……あなたが感じている罪は……
全部あたしが……背負ってあげる……
あなたは……何も考えなくていい……
全部……終わらせて……
メーティスの……ところへ……行きなさい……
だからほら、という言葉に操られるように、アキラはゆっくりと柄を握る手に力をこめて引き抜く。
ぴぴっ、と血飛沫が飛び、頬にかかるのも構わずに完全に包丁を引き抜いたアキラの手を握り、ケンタはぴたりと自分の心臓の真上に導く。
あたしの心臓は……ここ……
肋骨を抜けるように……
刃を横にして……
そう……それでいいわ……
さあ、やりなさい……
そしてアキラは、高々と包丁を振り上げると、
うわぁぁぁぁあああああぁぁぁあぁぁあああっ!!
叫びながら、勢いよくそれを振り下ろした。
その瞬間、意外にもほとんど抵抗なくケンタの体へと沈んでいき、皮膚、皮下脂肪、筋肉を引き裂き、肋骨の隙間をすり抜けてその下の臓器――心臓へと刃は到達する。
肉を引き裂く感触が、咽るような鉄臭い血の匂いが、生暖かい血液が伝わってきて、思わずアキラは顔をしかめる。
それに対してケンタは、酷く穏やかな顔で呟いた。
ありがとう……
そして……ごめんなさい……
その言葉を最後に、ケンタが動かなくなる。
一方、アキラは荒い呼吸を繰り返しながら包丁から手を離すと、足元をふらつかせながらショウコの元へと向かい、彼女の骸を抱えあげた。
そうして、まるで寝ているかのようなショウコの顔を眺めてから、自身の腕輪……その先にいるはずのメーティスへと呼びかけた。
メーティス……!
どうせ見てるんだろう?
俺をお前のところへ連れて行け!
メーティスからの返事はなかったが、その代わりとばかりにゆっくりと目の前の扉がスライドし、その向こうに真っ白な光に満たされた空間を浮かばせる。
アキラは、一瞬だけケンタや他の大人たちのほうへ視線を向けた後、静かに光の中へと入っていった。