鋼太郎

……学校ダルいな

 己の本分を否定しながら朝の鳥海町を歩いているのは、この街の普通の高校生、天城鋼太郎である。
 前日のバイトプラスアルファの疲れを残すその目は気だるそうだ。事実気だるいといった態度を隠しもせず、鋼太郎は目的地に向かって肩を揺らしてゆく。

 いつにもまして彼が気だるげなのは、、昨日の疲れがまだ残っているからだろう。
 とはいっても、四季絡みのゴタゴタでは鋼太郎はそれほど活躍していない。
 単純に、バイトが激務だったのだ。バイトで消耗した体力が、次の日まで足を引っ張ってくる。こうしていると、紛れも無く鋼太郎は普通の高校生として人々の目に映る。

お、よー。鋼太郎ちゃん。今日は何時んも増して面倒くさそうな顔してるなー

 しかし、それは飽くまでも『外』の視点で見れば、の話である。
 胡散臭い男に話しかけられた鋼太郎は、その気だるげな視線を僅かに引き締め、返事を返した。

鋼太郎

ああ篠塚さん。こんちわー

 男の名をシノツカ、と呼び、鋼太郎は頭を小さく下げた。
 鋼太郎の態度に、篠塚も満足気である。

相変わらず可愛げぇないのお。まあ鋼太郎ちゃんらしくていいけどなー

 お互い投げやりな態度に居心地の良さを感じているのだろう。かんらと笑いながら、篠塚は鋼太郎へと歩み寄り、頭を軽く叩いた。
 男の名は、篠塚京(シノツカキョウ)と言う。
 この街でも少し名の売れた、陽気なお兄さんだ。
 これまた、別に『この街では珍しくない』普通の人である。
 つまり──

鋼太郎

うげ……血の付いた手でアタマさわんないでくださいよ。流石に気分悪ィっす……

おーん? いーじゃないのぉ、どーせすぐ消えて無くなっちまうんだし。……ホラなぁ?

 『街の外』では普通ではない、異常な人物という訳だ。
 右手に掴んでいる男が砂になると、鋼太郎の頭に付着した血液もまた、塵となってどこかに去ってゆく。
 しかし少し砂が頭に残ったようで、鋼太郎は自分の頭をガシガシとかいた。

それよか聞いたぞー? 昨日は四季やんと大変だったそーじゃない。

 鋼太郎は少々本気で嫌がっているようだったが、京はどこ吹く風。
 そんないい加減な態度に毒気を抜かれ、鋼太郎はしょうがないなと息を押し出した。
 

中々格好いい立ち回りだったそーだけど、あんな危ないヤツと付き合うのはお兄さん感心せんぞー

 手に残った砂を叩いて払いながら、京はふざけ半分に鋼太郎へと釘を刺す。
 愛想笑いを浮かべるも、鋼太郎はそれに言い返すことが出来ない。

 四季は、この街でも有数の『危険人物』だ。
 血の気が多く、大規模の『コロニー』のトップを張っている。そんな彼は、この街でも怒らせたらヤバいと言われるような、基本的には避けて通るべき存在なのだ。
 しかし、それだけではない。

 ──『ステージ2』。罹患者の中でもごく一部、そう呼ばれる存在たちが居る。
 罹患することで特殊な能力に目覚める特異な病『シンドローム』。
 シンドロームに罹患した者は、身体能力が上昇し、特殊な能力を扱えるようになる。それだけでも『シンドローム』は恐れるべき病なのだが『シンドローム』を罹患した者の中には、稀にその能力を進化させる者が居るのだ。
 それが『ステージ2』。四季の様な存在である。

 雷を自在に操り、落雷さえも引き起こす彼の力を見れば、『ステージ2』がどの様なものかは想像が付くだろう。
 『シンドローム』には似た能力はあっても同じ能力はないと言われるため、その力は千差万別だが、少なくとも『ステージ2』がよりヒトからかけ離れた力を持つことは分かるだろう。

あんなのに関わってたら命がいくつあっても足りんよぉ?
なるべくああいうのとは付き合いを持たんほうが良いと思うがねえ。

 だからこそ、京は四季を指して『危ない』といったのだ。
 だが──

鋼太郎

いやいや……危険って言ったら篠塚さんもそうじゃないっすか。
ヘタしたら草加さんよりヤバいっすよ、アンタは

……

 この街の『危険人物』は、草加四季だけではない。
 今正に鋼太郎の目の前にいる京もまた『ステージ2』の領域に足を踏み入れた者なのだ。
 それも、気分次第で日々を過ごす彼は四季よりも上の『危険人物』として扱われている。
 何をしでかすか分からない狂気を纏った者──という点では、ある意味街の顔と言っても良いかもしれない。

……かっかっか! こりゃ一本取られたなあ。
いやー、ほんと鋼太郎ちゃんとは気兼ねなく話せていいわあ。

 鋼太郎の答えに、京は腹を抱えて笑う。
 久方ぶりに聞いた冗談が、懐かしく感じられたからだ。

あー……笑った笑った。
どーよ? 鋼太郎ちゃん、ウチの『コロニー』来ない? 鋼太郎ちゃんなら歓迎するぜい。
なんたって──『ステージ2』の死神様だからねえ

 『危険人物』である京に、面と向かって冗談を言う人間は中々いない。
 しかし、それを言うのならば鋼太郎もまた、同じ存在だった。
 基本的に自らにかかる火の粉を払う以外では動かない鋼太郎は知名度こそ少ないが、その存在自体は『死神』として噂され、恐れられている。
 だからこそ、なのかもしれない。鋼太郎が『ステージ2』の面々と知り合い、気に入られているのは。

 『コロニー』に誘われた鋼太郎は、またも愛想笑いを浮かべて手を振るう。

鋼太郎

いや、エンリョしときますよ。俺はバイトも忙しいし──このままが気楽でいいんで。

 『コロニー』とは、罹患者達の集まりだ。
 自衛や、ナワバリ争い。その目的は様々だが、基本的には罹患者達は何処かしらの『コロニー』に所属した方が有利と言われる。
 この街では、何時誰に襲われるかも分からない。それらから身を守るには大人数で群れていた方が都合がいいし、また後ろ盾があったほうが手を出されづらいからだ。

 だが、鋼太郎はどの『コロニー』にも属さず、一人を貫いていた。
 そのままが気楽という事はないだろうが、とある理由があったからだ。
 しかし、そのスタンスは一部の者にはとても魅力的に映った。

……まあ、無理強いはせんけどね。
そういう所が、鋼太郎ちゃんの良さだからなあ。

 それは、異常に慣れたこの街の者の目にも『普通』に映るからであった。
 バイトが忙しいから。一人のほうが気楽だから。
 そんな、『街の外』みたいな事を言う彼は、どこか郷愁のような想いを感じさせるのだ。
 大きな力を持ち、れっきとしたこの街の人間であるにも関わらず、『普通』を持っている。
 だからこそ、京や四季の様な『この街の普通の人』は鋼太郎を気に入っている。

ま、気が変わったら連絡ちょーだいよ。
鋼太郎ちゃんなら何時でも大歓迎じゃけえ。

 それ以上話を続けることもせず、京は踵を返す。
 ヨれたシャツが風に吹かれると、いつの間にか京の姿は消えていた。

鋼太郎

だから入らねーって言ってるでしょうに……

 消えた影にそう返すと、鋼太郎は再びズボンのポケットに手を突っ込み、歩き始める。

鋼太郎

っとと、早く行かないと遅刻しちまう。

 己の本分を思い出し、鋼太郎は急ぐ。
 『篠塚京に絡まれました』。そんな風に言えば、遅刻はなかった事になるのだろうが──それは、鋼太郎にとっては『普通』とは思えなかったのだ。
 

 今しがた出会った人間が血塗れの死体を掴んでいた。
 そんな事実をもう忘れている鋼太郎は、とっくに『普通』とは言えない存在だろう。
 しかし、それでもなんとなく『普通』でありたいと思うのが、『この街の普通の人』である彼らなのかもしれない。

 草臥れた鞄を肩に背負い直し、鋼太郎は歩く。
 だがこのままでは間に合わないかもしれないと、歩きを走りに切り替えるまで、そう時間はかからなかった。

第二話:      『街の普通』の人達

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