四日後の水曜日。



 山根さんにネームを見せてもらう約束の日だ。



 帰りのホームルームが終わった後、僕は目立たない程度の身振り手振りで山根さんに無言の会話を試みた。



 なぜそんなことをしているのか。



 約束の場所は図書室。


 そこまでは良い。


 だが、時間帯を決めていないことに今更気が付いたのだ。



 いつもなにかが抜けている。



 普通に考えれば前回同様、放課後の部活前でいいと思うのだが……。


 確証がない。



 だからといって皆が見ている教室で、直接話しかける勇気など僕にはない。



 僕が山根さんにコンタクトを取るギリギリの方法として選んだのが、目で語り、手で伝えることだったのだ。



 手を目立たない程度に振ってみたり、上半身を斜めに傾けたり、無意味に手でキツネの形を作ってみたりした。



 だが山根さんは、一切僕の方を向く素振りを見せなかった。



 もしかして、今日の約束を忘れてるのではなかろうか。

アキオ

わたりん、今日も部活か?

 隣の席のアキオ君が聞いてきた。

ホアチャー

ん?
なんだ?
渡利、おまえ部活始めたのか?

 いつの間にか側にいたホアチャー君が僕に問いかけた。



 そういえばアキオ君以外に部活のことは言ってなかった。



 でも部活に入って一週間経つのに、この質問は少しさみしい。




 僕が語らずともアキオ君から伝わったりするものだと思うのだが、彼らの日常会話に僕の話題はあまり出てこないようだ。

ホアチャー

んで?
何部よ

アキオ

いんやぁ、それが美術部だってよ

 ホアチャー君の質問に、アキオ君がなぜか呆れた様子で答えた。

ホアチャー

美術部?
文化系かよ。
男はやっぱスポーツだろ。
まあ渡利っぽいけどな

 ホアチャー君は文化系の男子を軟弱だと考えているようだ。

アキオ

よく言いますなぁ。
おまえだって室内でパスパス羽根つきしてるだけっしょ

 アキオ君のフォローが嬉しかった。


 特定の種目を悪く言うのは良くないが、この際もっと言ってやってくれ。

ホアチャー

あ?
バドの運動量なめんなよ

 ホアチャー君はバドミントンをけなされたときに毎回使用する、運動量という愛用の武器を引っさげて、アキオ君の発言に応戦した。

アキオ

運動量関係なくね?
イケてるかどうかっしょ

ホアチャー

万年補欠がなに言ってやがる

 相変わらずお馴染みの流れで、アキオ君とホアチャー君の部活論争が始まった。




 だが今日はまずい。



 僕は放課後に約束があるのだ。




 そう思って山根さんの席を見ると、彼女はすでにいなかった。


 いつの間にか教室を出ていったらしい。

渡利昌也

あ、ごめん。
僕、そろそろ部活だし、急ぎの用もあるから

 僕はアキオ君とホアチャー君の激論に構うことなくそう言い放ち、慌てて教室を出た。

アキオ

んあ?
なんだ?
美術部ってそんな慌てて行くとこか?

 教室を出る間際にアキオ君の声が聞こえた。



 やはり君も文化系を下に見ているのか?




 アキオ君とホアチャー君のちょっと見下したような言葉が、魚の骨のように心の奥底に引っかかっていた。






 僕は深く考えないように心がけたのだが、そうしようとすればするほど負の感情が膨らんできた。



 ダサいと思われたくない、カッコ悪いと言われたくない。


 他人の目ばかり気にしてしまう、そんな負の感情だ。




 嫌な気持ちを抱えたまま、僕は図書室を目指した。



 山根さんが来ているか半信半疑だったが、約束はしているので行ってみる価値はあるだろう。

 図書室にたどり着いた僕は、まず廊下の窓から中を覗いてみることにした。



 棚と棚の間で本を選んでいる者や、椅子に腰掛けて読書に勤しんでいる者。


 おそらく宿題であろう紙を広げてシャーペンを動かしている者など、数名の生徒が自分だけの時間を健やかに過ごしている。




 そして、大きい机が均等に並んだ読書スペースのうち、図書室入口から一番離れた窓際の席に山根さんが座っていた。



 山根さんは手提げかばんを机の上に置き、本を読んでいる。




 山根さんの姿が目に入ったとき、一瞬ドキッとした。



 誰もが連想するあの『ドキッ』ではない。



 見知らぬ生徒たちがいる中で、山根さんという女子と二人でお話する。


 そんな数十秒後を予期したことへの『ドキッ』なのだ。



 僕の見解に間違いはない。



 僕は図書室へ入り、山根さんの向かい側の椅子に座った。

渡利昌也

山根さん、遅れてごめん

山根琴葉

あ、ど……ども。
い、いえ。
お構いなく

 山根さんは持っていた本を閉じた。

渡利昌也

今、どんな本を読んでたの?

山根琴葉

ま、漫画……です。
ロハンの大冒険っていう……一昔前の……お、オススメです

渡利昌也

え?
図書室って漫画も置いてるの?

山根琴葉

い、いえ……し、私物です……はい

 図書室に私物の漫画を持ってくるあたり、漫画への執着が徹底している。



 とはいえ、その漫画にはブックカバーを付けていて、一見漫画とはわからないようにしてあった。


 山根さんといえど、図書室で堂々と漫画を読むのは気が引けたらしい。





 山根さんは漫画を自分の手提げかばんにしまい、代わりに一冊のノートを取り出した。




 これがネームのようだ。

渡利昌也

では……失礼します

 ノートを受け取り、他人の家にお邪魔する心境でノートをめくる。


 後にちゃんとした感想が言えるように、一ページ一ページ、じっくりと読んだ。




 安定の面白さだ。




 今回のお話は、ある科学者が作り出した無差別殺人ロボットと戦う少年と女性の、一風変わったバトル漫画だった。


 以前読んだ原稿とは打って変わって、一切お笑いなしのシリアスなストーリーである。

渡利昌也

ネームってもっと簡単にサラサラっと描いてあるものだと思ってたけど、ここまできっちり描くんだね

 僕はまず、ネームにも関わらず丁寧に描かれた絵の細かさに関心した。



 そして僕は前回同様、どうにかしてひねり出した指摘を山根さんに伝えた。


 それが山根さんの漫画に対する礼儀だと思った。

山根琴葉

あ、ありがとう……ございます

 山根さんは腰を丸めたまま深くお辞儀をした。


 お辞儀というより前のめりに倒れていくかのようだ。

山根琴葉

あ、あの。
明日までに……ご指摘いただいたことを修正してきますんで……また読んでいただけない……でで、でしょうか

 山根さんの方からお願いしてくるとは予想外だ。
 そして嬉しかった。



 周りに溶け込むのがいかにも苦手そうな山根さんが、僕にだけ心を許した。


 そんな気がした。

渡利昌也

うん。
いいよ。
今日と同じく、またこの図書室でね

山根琴葉

で、では。
よろしく……です

 山根さんは立ち上がり、椅子を綺麗に戻してうなだれるようなお辞儀をした。



 僕は座ったまま、愛想笑いにも似た笑顔を山根さんに向けて、小さく手を振った。



 僕はその場を離れず山根さんが去っていくのを見送った。



 部活へ向かうとなると歩く方向が同じになるわけで、その間、山根さんと一緒に歩くのが小っ恥ずかしかったのだ。






 山根さんが図書室を出たあと、出口をしばらくじっと見つめ、頃合を見計らって僕も図書室を後にした。


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