俺は複雑な心境で帰路についていた。不器用だが実際は良い奴。そんな印象の南方が、生徒に対して疑いの目を向けていたのが何よりショックでならなかった。しかも、それはクラスメイトだと尚のことだ。
俺は複雑な心境で帰路についていた。不器用だが実際は良い奴。そんな印象の南方が、生徒に対して疑いの目を向けていたのが何よりショックでならなかった。しかも、それはクラスメイトだと尚のことだ。
夕飯はなんだろうな。油揚げだと儂の機嫌が最高に上がるのだがのう!
あの話の後でよくそんな話ができるなと、俺は彼女のその精神をある意味尊敬した。
遡ること五分前。
俺は職員室で南方から、犯人が俺以外のクラスメイト全員であることを告げられた。当然そんな話、すぐには信用できるわけがなかった。クラスメイトが一体となって、浪木をさらう理由が見当たらない。
その考えを読んでいたかのように、南方は言葉を一部訂正する。
まぁ、それは最悪な展開として考えてくれれば良い。さすがにそこまで大掛かりなことをしていたとは思えねぇしな
は……はぁ……
結局、南方は教え子の中に犯人がいる結論は変えなかった。それだけ、彼が俺達のクラスに犯人がいるという自信があったのだろう。なんとも言えない感情が湧いてくる。
その時、南方は何かを思い出したように時計を見て、あっと声を漏らした。
そろそろ戻ってくる時間だな
戻ってくるというのは、さっき会議に行ったという教師達のことだろう。俺も南方の言葉に釣られて時計を確認する。
五時三十分。さっきここに来た時は五時くらいだったから、大体三十分近く話していたようだ。思いもしなかった内容に時間の感覚を忘れていた。そろそろ帰らないと心配性な親から連絡がくるかもしれない。それに、気のせいか背中がピリピリと痺れるような感覚に襲われている。
これは早いこと話を着けた方が良いと思った俺は南方にこの依頼を受けることにする。
とりあえず、先生の話を鵜呑みにするわけではありませんが、やれることはやります
ですが、と付け加え俺は話を続けた。
調べる必要がないと判断したら、俺はこの依頼を放棄します
ああ、それで構わない
口角を軽く上げ、南方はそう返した。形はどうであれ、俺がクラスメイトを調査して嬉しいようだ。
俺は最初から押し付けられるように渡された封筒を受け取り、軽く頭を下げた。そして、すぐにその職員室の扉の前にまで歩いていく。扉を開けようと手を伸ばしかけた時、ある疑問が湧いた。
扉の方を向いたまま、後ろにいる南方に聞いてみた。
そういえば先生、聞いても良いですか?
なんだ?
後ろからいつも通りのやる気のない声色で返ってきた。
なんでそこまで浪木のために一生懸命になるんですか?
南方の行動は異常だった。言葉が悪いが、なぜ他人一人がさらわれたのにクラス全体を疑う真似をしたのか。
普通なら忍び込んだ誰かが彼女をさらったと考えると思う。その次の可能性として疑わしいのがトイレに連れて行った國澤のはずだ。しかし、南方はその過程を飛ばし、クラスの誰かに犯人がいると断言した。
もし仮に手順を踏んだ上でクラスを疑っているならなぜ最初に言わないのかが不自然だ。
少しの沈黙が続いたあと、南方ははぁ……と溜息をついた。
アイツは俺の姪だったんだ
えっ!?
思わず、後ろを振り返る。南方も頭の後ろに片手を添え、俺の視線を合わせないように話し始める。
俺が十七の時に姉貴が生んだ子供だったんだ。うるせぇ奴だったよ。いつも俺に絡んできては髪引っ張るは腹踏みつけるはでめんどくさったさ
空いてる方の手を服のポケットに突っ込み、皮肉気な笑みで彼は話す。
けど、悪くはなかったかな。こんなだらしねぇ男ではあるが、アイツの前だとついつい良い叔父さんを演じちまう
だから犯人を捜そうと?
すると、南方は焦るなよ、と言った。
アイツを本格的に家族の一員として見たのは二、三年前。その日、浪木家に強盗が入ってな。外出中だったアイツは難を逃れたが、家にいた俺の姉貴と義兄はその強盗に殺された
えっ!? 初耳ですよそんなの!!
二、三年前。俺がまだ中学生だったが、その時の浪木は至って普通だった。誰にでも笑いかけ、優しくしていて、違和感なんて感じなかった。唯一聞いたのは、両親が事故で亡くなったぐらいだ。
そりゃあな。事件があまりにも凄惨すぎて報道規制がかかったんだよ
信じがたい話だが、彼は嘘を言っているようには見えなかった。
で、両親を失った浪木を引き取ったのが俺だ。俺に懐いていたという理由もあるし、俺の親もまともに人の世話ができる状態じゃあなかったからな
大体合点が行った。異常なまでに浪木のことを気にしていたのは彼女が身内であり、大切に育てていたからなのか。
それからはずっとあいつと同居してた。今までのようには暮らせないだろうけど、どうにか楽しませてやりたくて努力はした
だがある日、と南方は付け加える。
浪木は誘拐された……
そうだ、だから犯人が許せないのさ。俺が大切にしてきたものを全部奪ったことが……
南方は椅子に座り、デスクに置いてある小ぶりのペットボトルを取る。キャップを外し、中の物を少し口に含むと蓋を閉め机に置く。
行動はどうであろうと南方のやろうとしていることは純粋に身内を助けたいという一心何だろう。その姿に安堵し、表情が緩む。
まだ腑に落ちない点もあるが、今日はこれくらいにしよう。
ありがとうございます。それと、少し安心しました。先生は先生だなって
ふざけてないでとっとと帰れ。親が心配するぞ
南方も軽い笑みを浮かべ、手であしらう。
失礼しました
そして、今に至る。帰り際にあんな笑顔を向けたは良いが、いざ実際考えてみると複雑だ。南方の話を聞いてると同情するが、疑いがクラスメイトにかかることには納得できない。どちらも数カ月とはいえ、一緒に机を並べ、くだらない話で盛り上がった仲だからだ。
―――ああ、めんどくさい……。
思考の外で声が漏れる。思考とは別に、心が呻きを上げる。どんなに否定をしても、まるで二重人格のように俺に囁く。
―――誰も気が付きはしない、やめても良いんだよ?
黙れ。俺は顔を左右に振り、流されないように気を持った。自堕落に進んだらいけない。全てはみんなのために……。
主は夕飯は何が良いか?
えっ……なに?
完全に上の空だった俺は稲荷に何の質問かを聞く。すると、ちょっと不機嫌に頬を膨らませ、彼女は答えた。
だから言うておるだろう。夕飯は何が良いかと
ああ、ごめん!そうだなぁ……ハンバーグが良いかな?
すると、キラキラと瞳を輝かせて俺に詰め寄る。聞いたことがない食べ物に興味を持ったのか、彼女の尻尾はぶんぶん揺れていた。
はんばーぐとな? それはどういった食べ物なのだ!?
楽しそうに問う稲荷に反して俺は一歩身を引いた。あまりにも彼女の顔が俺の顔と近く、実体がないとはいえ反射的に動く。
まぁざっくり言うと、牛とか豚とかの肉をミンチにして固めて、焼いた食べ物かな
本当か!? 儂は牛とか豚は食ったことないが肉なら好物だぞ!!
親にいつか作ってもらうよう頼んどくよ
本当か!? と嬉しそうにはしゃぐ稲荷。まるで自分が食べるような喜び方だが、実際に食べれる。その気になれば、物を浮かしたり触れたりできるそうだ。
飯を食っても別段何かがあるとかそういうんじゃないくせに、この神様は案外グルメだ。知らない、聞いたことがない食べ物に即座に反応し、食いつく。
見ているだけで面白いのが素直な感想だ。そういえば、浪木もこうやって似たような反応をしていたなぁ。彼女が欲しがっていた漫画を偶然持っていた時、それをあげようか?と声を掛けたら飛んで跳ねて喜んでいた。
そう思うと、懐かしく、寂しいような気持ちが胸の中に吹き抜けて行った。
主よ、泣いておるのか?
あ……ほんとだ
気づいたら大粒の涙が頬を伝っていた。彼女が失踪した当初は、何も感じず、ただぽっかりと心に穴が空くだけで涙なんて一粒も流れなかった。けど、今の稲荷の姿を見ていたら、浪木の姿と重なって、改めて彼女がいなくなったことを再確認した。
その場に膝を着き、両手で顔を覆った。しかし、たったそれだけでは涙が止まらない。指と指の間から見える景色は、涙で濡れた地面。
今思ってみると、俺は彼女のことが好きだったのかもしれない。誰でも平等に接し、優しくしてくれる彼女。その笑顔はいつも傍で輝いていて、俺を支えてくれていた。そんな温かさに俺も惹かれていた。
良く分からぬが存分に泣け。それでも足りぬなら抱きしめてやる
こんな俺に同情してくれたのか、優し気な声で俺に語り掛けた。俺は感情が高ぶり、うまく返事ができない。稲荷からの好意に甘えたかったが、なぜかそこに抵抗があった。こんな時に限って、男の妙なプライドが発動する。
何も返事できないでいると、稲荷は何も言わず俺の方へと近づくと、背中に手を置いた。人の手の感触が伝わり、それに何より温かい。
それからどれくらい経ったであろうか。気が付くと辺りは真っ暗だった。もう自分でも驚くほどに泣いていて、正直引いている。しかし、俺が泣き止むまで彼女は俺の背中に手を添えていてくれた。
もう気が済んだか?
ああ……ありがとう
俺は彼女に礼を述べ、立ち上がる。背中にあった温かさはゆっくりと熱が引くみたいに消えて行った。膝に付いた汚れを払い、彼女に帰ろうと声を掛ける。
すると、
本当に主は犯人を捜すのか?
いつになく真剣に彼女は俺に聞いてきた。なぜそのことを聞いてくるのかは分からなかったが、俺の気持ちは決まっていた。
ああ、見つけ出す
俺の返事を、ただ一言だけそうか、と稲荷は受け取ると、二ィと表情を一転させた。まるで良いおもちゃを手にいれた子供のような笑みだった。
え、なにそれ怖い…。ゾッと背筋に嫌な物が走った。
なんだなんだ! いっちょまえに言いおって! さっきまでシクシク泣いていたガキには見えんのう!!
ば、それを言うなよ! てか、さっきまで慰めてくれてた時の優しさはどこに!?
知らのう! 主が勝手にそう思っただけかもしれぬぞぉ?
ああ……俺の感動を返してくれ! この神様は人の泣き顔を利用してとんでもないことを言ってくる!
羞恥のためか、顔全体に熱が灯ったのを感じた。それに乗じ今度は赤面してることも弄られ始め、辱めを受ける。
どうした主よ! まるで提灯のように真っ赤だぞ!!
ち、違う! ちょっと暑いからだよ! やっぱりまだ夏だからなぁ、顔が赤くなるのも仕方ないんだ!!
にしては、すごい動揺ぶりよのう! 見ていて飽きがないわい!
そして、俺の中の何かが切れた。
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!
ちょっ、主ぃ!?
痛まれなくなった俺はその場をダッシュで駆け抜けた。後ろからは必死に俺を呼ぶ狐の声が聞こえたが、衝動の方が強くて振り向くこともできずそのまま家に向かって走っていった。
儂が悪かった、主よ!! 今度は優しく!! 優しく弄るから置いてかないでおくれ!!