どうでも良い。
どうでも良い。
どうでも良い。
何もかもが突然どうでも良くなった。理由は分からない。ただある日を境に急に何もやる気が起きなくなった。
遊び、勉強、運動、読書等々。
まぁ、勉強については元からやる気がある方ではないのだが、他のことにまでやる気を無くすことなんて今まで無かった。
夏も終盤の九月。燦々と照り付ける太陽は確かに人のやる気を削ぐだろう。
こうして今、窓際で授業を受けている身としても、この光は脅威的だ。カーテンをしているからといって熱気が布から伝わってくる。
しかし、原因はそれじゃない。むしろそれだけだったらどれだけ良いか……。俺、草ケ部 蒼汰(くさかべ そうた)は視線を後ろにいるであろうアイツへと向ける。
つまらぬ
そう、不満そうに愚痴を漏らすコイツが原因だ。頭には狐のような耳が二つ生え、つやつやとした長い茶髪は一本に纏められている。幼さの残る顔立ちで背もそれほど大きくはない。学校という場に相応しくないそのピンク色の着物は、彼女の存在をより一層引き立てている。
そういうもんなんだよ、学校っていうのは……
そいつにこっそりと、誰も聞こえないように声をかける。
ふん、これなら社にでもいた方が数倍マシだったな
この狐っ娘の名前は稲荷(いなり)と言うらしい。羽衣神社に住まう狐の神様だそうだ。何の前触れもなく俺に憑き、いつも何かするわけでもなくずっといる。なぜ憑りついたのかを尋ねると、本人曰く、神社に穢れが入ってきたから偶然近くにいた俺を宿にしてるとのことだ。それだけならまだ良いのだが、やる気を奪っていくのは勘弁してもらいたい。
カツ、カツ、と教師の南方 功(みなかた こう)が黒板に文字を記していく。皆が授業に集中する雰囲気の中、稲荷はハァと溜息を吐いた。
よくもまぁここまで四十人全員が集中できるものだ
いや、と彼女は一部言葉を修正する。
一人はいないか
彼女の言う意味は俺の席の横の場所にあった。誰も座っていない空の席。いつもそこには満面の笑みを浮かべる女子生徒がいた。
名前は浪木 香苗(なみき かなえ)。成績優秀に容姿端麗、分け隔てもなく接する彼女はこのクラスでも人気者だった。教師からの信頼も厚く、よく彼女と楽しそうに話す教員を何度か見かけている。
そんな人柄や顔立ちのせいか、彼女は八月十九日を最後に失踪した。警察も捜索に当たったが、いつまで経っても手掛かりは浮上しなかった。
おら、ノート取ったか? 消すぞー
気だるげに放った南方の言葉に我に返った俺は現実を見せつけられる。ボーとしていたせいか黒板に書かれた内容のほとんどが書けていなかった。それどころか、南方は黒板消しを片手に消す作業に入り始めていた。やばい、そう思った俺は急いで右手のペンを走らせる。
南方はいつもこんな感じだ。頭はいつもクシャクシャにし、眠いのか目はいつも細く、中途半端に生えた顎鬚は日頃の生活具合が窺える。主にマイペースな性格でいつも好きな時にやり、嫌な時は黙ってるという感じだ。
だが、そんな性格とは裏腹に生徒に対してはきちんとした対応をする。主に生徒の悩みを聞いたり、弁当を忘れた生徒に自分の飯を分けたりと、それなりの活躍をみせているのだ。
その見た目とのギャップのせいか、多数の女子生徒から好意を持たれてるそうだ。まぁ、男としては羨ましい限りだが……。
草ケ部、お前話聞いてなかっただろ?
その時、懸命に書いていた俺の右手が止まった。顔を上げてみるといつものようにダルそうな表情でこちらを見ていた。
す、すみません
罰として帰りに職員室に来い、良いな?
はい……
南方はそう言うと、授業に戻った。
なんだ主、怒られたのか? 怒られたのか?
この狐……
今の俺の姿が滑稽だったのか稲荷は楽しそうに笑っていた。
授業が終わり、俺は廊下を歩いていた。教室の中からは色々な奴が自由になっていく。友達と話して帰ったり、一人で携帯を弄りながら帰ってく人もいたり、様々だ。そんな様を見ると、今の自分の現状が悲しくなる。何が楽しくて職員室に行くのだろうか?本来なら俺もあの中に加わっているはずなのだが……。
なぁ主よ。貴様家に帰らないのか? いつもとは違う方角だぞ?
その時、後ろにいた稲荷が宙にフワフワと浮遊しながら声を掛けてきた。今までの一部始終を見ておきながら聞くとは、嫌がらせの類なのか? と問いただしたくなる。
しかし、そんなことを聞いたって八つ当たりにしかならない。お互いが気分が悪くなるだけなのでここは一つ抑える。
さっき先生が言ってたろ? 職員室に行くんだよ
しょくいんしつ? なぜ貴様が行くのだ?
察しろよ……
たぶん怒られに行くんだよ。さっき授業で話聞いてなかったから
あー、なるほどと手のひらに拳をポンと乗せ納得した表情をする稲荷。
彼女はこうやって人を小馬鹿にして楽しむ癖がある。憑かれた当初はこの性格のせいで相当のイライラが溜まっていたが、慣れと言うのは恐ろしいもので、今ではそう感じなくなった。まぁ、キレて何かしたところで彼女は実体を持たないので俺の物理攻撃は効かない。
それと、教室の一件でもそうであるように、こいつの姿は宿主の俺にしか見えない。当然、声も同じだ。理由は定かではないが、簡単に言うなれば幽霊とかそういう類のものと考えれば良いだろう。その時、俺はあることに気が付いた。
そういえば、今のこの状況……他人からしたらブツブツ独り言いってるようにしか見えないよな、俺
今更ながら恥ずかしさとショックにのたうちまわりたくなった。思えばさっきからすれ違う同級生から変な視線で見られてたなぁ……。
なぁ、すぐに終わるのか?
稲荷の問いかけに、取りあえずメンタルの方をリセットし落ち着いて答える。
さぁ、どうだろうな。南方のことだろうからすぐに帰すだろうけど、最悪帰るのが三十分遅れるかもな
南方は基本面倒臭がりであまり説教するタイプではないが、もしものことを考えた方が良い。それなりの覚悟を持っといた方が気持ち的に幾分かマシになるだろう。
えぇ、儂は早くテレビを見たいのだ。クーラーの効いた部屋でソファでぐだって、ポテチを食べて至福の時を過ごしたい!
言ってることがダメ人間じゃないか! 大丈夫か、この神様は……。
そんなにテレビが見たいなら先に家に帰ってろよ。道くらい分かるだろ?
無理だ
ふと彼女は急に真顔で俺にそう言ってきた。急に雰囲気が変わって少し戸惑うが、それよりも純粋にその理由が気になった。
どうして?
儂はお前を借宿にしているのは知っているな?
まぁ、そうだな
儂ら神はな、霊力がないと存在できないのだ
霊力……?
俺は顔をしかめながら、稲荷の言葉の一部を復唱する。
簡単に言うなれば、燃料だ。その霊力は人間か、若しくは神聖なる土地しか存在しない
じゃあお前はいつも俺の霊力とやらを吸ってるのか?
うむ、と頷く彼女を見て改めて再確認できた。オカルトの話はさっぱりだが、俺からその燃料を奪っているということはやる気の消失に繋がってるんじゃないかという説が可能性としては高いと思われる。その時、そこである疑問が生まれた。
それだったらさ、俺にいつもいるよりたまに神社に寄ることはできないの?
だから前も言ってるであろう? 穢れが入ってきたからお前に避難してきたのだ
でも、留まることはできないけどその霊力?は充分に摂れるんだろう
俺の問いに、稲荷は呆れたような顔をした。
留まることができないのはその霊力が充分に摂取できないからだ
それに、と付け加えながら彼女は続ける。
穢れは霊力自体をダメにする。もしそんな霊力を吸ったら、病んでしまうわ
だから、と言って息を軽く吸った。まさかこの時、この狐は耳付近にまで口を近づけ大音量のクレームを叩きつけてくるとは思いもしなかった。
『儂を早く帰らせろぉぉ!!』
職員室
何かあったか?
な、何でもないです
未だにキーンと甲高い耳鳴りが響く中、俺は大丈夫だということを南方に伝える。よっぽど酷い表情をしていたのか、彼は無理すんなよ、と一言いってから話し始めた。
お前、浪木と仲良かったんだってな
確かに俺と浪木は小学生以降からの付き合いである。ただ、仲が良かったのかどうかは怪しい所だ。話す時はいつも向こうから話かけていたし、遊ぶ時なんかは気づいたら勝手に連れて行かれていたことなんかが多かった。
かもしれないです
こんな関係を仲が良いと言えるのか分からなかった俺は、歯切れの悪い回答しか返せなかった。
そうか、まぁ何でも良い
そう言って、南方はデスクの引き出しから大きな茶色の封筒を取り出すと、それをそのまま俺に向けてきた。
これは?
浪木 香苗が失踪した日、どこで何をしていたかの詳細。それと、俺のクラスの名簿が入ってる
一瞬何を言っているのか分からず頭の中がフリーズした。それに、あっさりととんでもないことを口走る彼に、どう反応したら良いか戸惑もある。
こいつをお前にやる
ちょ、話が見えてこないんですが……
ぐいぐいと封筒を押し付ける南方に俺は両手を軽く上げ、受け取る意思がないことを伝える。それにこんな所、他の教師に聞かれたらマズイんじゃないのか?俺は辺りに視線を投げて誰もいないか確認する。
安心しろ。他の教員は会議だ。今ここにいるのは俺とお前だけ
その言葉はある意味、俺に恐怖を与えるために言ってるのではないかと思った。そのせいで、背中には妙な汗が噴き出して止まらない。
八月十九日。あの日、お前を除く三十九人の生徒が学校でキャンプを行った
すると、南方は解説するように話す。いつになく彼の眼は教師と言うより、南方 功という人間そのものの眼をしている気がした。それに吊られ、俺もただならない空気を感じ取った。
大人は監督役として来ていた俺一人だけ。あとは無邪気にはしゃぐ三十九人のガキ共だけだ
机に置いていた指をコツコツと机を叩く。
キャンプは盛大に開かれたさ。各々花火なんか持ち寄って、派手にバンバン鳴らしたり煙を撒き散らしたりしながらな
そう、あの日はキャンプが開催されていた。クラスメイトが楽しくしている一方、俺は家にいた。四十一度の高熱で外にも出れず、家で大人しく療養していた。一日中親に看病され、キャンプに行けないことを嘆いていたのをよく覚えている。
飯も、ガキ共全員が買ってきた肉や野菜、菓子で大いに盛り上がった
まるで他愛のない話だが、南方は真剣に話していた。
だが計画性があるのかないのか、あいつら嫌いなものを全部こっちに押し付けてくるんだ。俺も食えねぇって言ってるにも変わらずだぞ
まだ南方は話を紡ぐ。
キャンプが始まって三時間くらいが経った頃だったか。辺りはどっぷりと日が落ちて真っ暗だ。まともな光はキャンプで使用した火と俺とガキ共が持つスマフォぐらいだった
皮肉気な笑みを浮かべながら、下を向く南方。その姿はどことなく寂し気なように見えた。
その時、浪木がトイレに行きたいと言ったんだ。一人では危ないと、國澤(くにさわ)がついて行ったんだが、しばらくして戻ってきたのは國澤一人だけ
カツン!と南方が先ほどからぶつけていた指を止めた。
ひどく脅える彼女にどうしたのか、と聞いてみるとこう返ってきた
『浪木さんが誰かにさらわれた』
慌てて浪木が消えた場所に行くが、彼女の携帯電話が落ちている以外何もなかった
何も……ですか?
ああ、そうだと返事をし南方はさらに言葉を続ける。
ここで本題だ。今回お前を呼んだのはその為でもある
……!!
スッと顔を上げ、南方は封筒をさらに押し付ける。予想外な力加減のため、思わず後ろに倒れそうになるがなんとか耐えた。
南方は一度上げた顔を再び下げ、目を瞑る。
頼む。犯人を捜してくれ
そんなっ……どこの誰とも知らない奴を見つけだすなんて俺には無理ですよ。それに今は警察が捜してるんですし、ここは大人しくしておいた方が……
すると、南方は席から立ち上がりこう言った。
警察では遅すぎる
えっ?
俺は時期にここから姿を消す。他の教員がいないのも、俺の処遇をどうするかの会議だ。だから、それまでに犯人の顔を拝みたいんだよ
だが、それまでしてなんで南方は教員に拘るのだろう。犯人を捜すことなんて退職した後でもじっくり出来るはずだ。俺はふと思った疑問を口に出してみた。
ですが、そこまで教職に拘らなくても良いんじゃないですか?退職してからでも犯人は捜せますし
捜せないからこうしてお前に頼ってるんだよ、草ケ部
南方の言ってることは意味不明だった。どういうことなのか、話の意図が見えない。すると、俺の表情を見て察したのか南方はこう言った。
まだ分からないようならヒントをやる
ヒント?
お前らのクラス
最初何を言っているのか分からなかったが、少し考えただけでその意味が理解できた。意味を知ってしまったためか、開いた口が塞がらない。だって、そんなはずはない。そんなことを考えるなんて教師としてあってはならない。
俺の様子を見て大体のことが理解できたのか、フッと南方は微笑んだ。
正気なんですか……先生
正気だったらこんなこと言わないだろうな……
南方が言いたいことは如何にも猟奇的で狂った発想。まさに今の職位が皮肉とも感じれることを、南方は疑っていた。
それは……。
クラスメイト三十九人が容疑者……