少しだけ楽しみだった江の島旅行。でもそれは、恋人同士になった二人を見せつけられるなんて知らなかったからだ。

紗己子

――行きたくないな。旅行の日が、ずっと来なかったらいいのに

そんな時に限って、時間というのは早く過ぎる。

あっという間に旅行当日、わたしは部員たちと共に、初夏の江の島駅に降り立った。

ホームに降りた瞬間、真夏のような強い日射しに焼かれ、軽くめまいを覚える。

目の前には初々しくはしゃぐ新入部員。道行くカップル、家族連れ、友達グループ、そして……

何もかもが眩しくて嫌になる。本当に馬鹿みたいだ。失恋一つで動揺して。

長谷部先輩

大丈夫? 紗己子ちゃん。もしかして体調悪いんじゃないの?

どうやら顔に出てしまっていたみたいだ。誰にも知られてはいけない――と、わたしは慌てて笑顔を作った。

こんなわたしでも、取り繕うのだけは得意なんだ。

紗己子

大丈夫です。少し暑くて

長谷部先輩

ああ、だよねぇ。先週あたりから急に。でも、週明けはまた気温が下がるらしいよ

紗己子

そうなんですか……

長谷部先輩

でも大丈夫なら良かった。電車でもあまり喋ってないみたいだったから

それは、泉と部長をできるだけ視界に入れないことだけを考えていたから。

付き合い始めた二人が、仲睦まじく隣り合わせに座って話しているのを見たいと思うほど、わたしはマゾではない。

紗己子

ちょっと寝不足だっただけですよ。ていうか、先輩そのバッグ可愛いですね。もしかして――

わたしが思い当たったブランド名をあげれば、長谷部先輩は嬉しそうに肯定した。

長谷部先輩

彼氏からのプレゼントなんだ

その後、長谷部先輩とは他愛ない話をしながら目的地まで歩いた。
だけど後になって、わたしは先輩と何を話したのか、全く思い出すことができなかった。

午前中は江の島の主な観光名所を回った。神社、展望台、洞窟、その他諸々。そして少し歩き疲れてきた頃、海の見えるお店で昼食をとった。

とりあえずは何事もなく過ぎて、わたしは少し安心していた。

部長と泉は相変わらずだったが、あからさまにいちゃついているわけでもないし、陸とも朝の挨拶以上の接触はない。
このまま平穏無事に、旅行を終えられるかもしれない。そんな甘い考えが、わたしの中に生まれ始めていた。

部長

それじゃあ、後はしばらく自由行動で。四時に入り口に集合。時間厳守な

部長の号令がかかったのは、午後のメインである水族館に着いてすぐのこと。

菅原さん。良かったら、私たちと一緒にイルカショー見ない? アシカもいるんだって!

誘ってくれたのは、同じ二年生の部員である三原さんと永塚さんだった。彼女たちは泉と部長が付き合い始めたことを察して、気を遣ってくれたのだろう。

気持ちは、ありがたい。けれど、すっかり気疲れしていたわたしは、体のいい理由をつけて断ろうと思った。

紗己子

ありがとう。でも――

残念。菅原先輩は、僕と回るんです

横から突然現れた陸には、声を上げる間もなかった。

あっ……そうなんだぁ。そっか、そうだよね、ごめんね


三原さんははっとしたように言うと、永塚さんと共にそそくさとわたしの前から消えた。

二人は確実に何かを勘違いしている。誤解を解こうと思ったが、陸の得意気な顔を見ると呆れてそんな気も失せた。

紗己子

椎名くん……どういうつもりなのかな?

すみません。でも、先輩が俺のこと避けるから、ですよ?

紗己子

それは……

誰のせいだと思っているんだろう。

旅行も来てくれないのかと思ってた。だから、嬉しいです

紗己子

泉から聞いて、驚いたよ。椎名くんのプランが採用されたって……

先輩のおかげです。この旅行、先輩と一緒にいくと思って、考えましたから!

相変わらず、腹が立つほど純真な笑顔。
陸は知らない。わたしがどれほど弟を妬んでいて、醜い女なのか。

紗己子

……仕方ないな。許すのは今日だけだからね

わたしを好きだなんて、見る目がないにも程がある。
かわいそうな子。ならば、せめてわたしも最後まで演じよう。きみが好きになった、優しい先輩を。

紗己子

わたし、熱帯魚が見たいな

笑いかけるのは、今日で終わりにする。
きみは、わたしの弟だから。

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