次の日の放課後。



 僕は昨日の山根さんとの約束を果たすため、美術室前の廊下で待っていた。



 なぜ美術室前の廊下なのかというと、山根さんが必ずここを通るからである。



 時間帯は放課後の部活前だと決めていたけど、場所を決めていなかったのだから仕方がない。





 教室で声をかければいいじゃん。




 見知らぬ誰かの、そんな心無い声が聞こえてきそうだ。



 皆が見ている教室でそんな目立つ行動、僕にはとても無理。



 声をかけるのが目立つのではなくて、『僕』が『山根さん』に対してアクションを起こすことが目立つのだ。



 だから山根さんが来るのを待つしかない、というわけである。







 途中、飯塚さんがやってきた。


 彼はニヤニヤしながら僕へ軽く手を上げ、美術室へ入っていった。



 その後、何名かの生徒が美術室へ入っていった。


 僕の前を通りすぎ、隣の教室へ入っていく者もいる。


 恐らく漫画研究部の部員だろう。



 皆、チラッとだけ僕を見て教室へ入っていく。



 漫画研究部のさらに先は行き止まりである。


 用がなければ来ることもないであろうこんな場所で、見知らぬ者が一人突っ立ってたら気になってしまうのも仕方がない。



 僕はなるべく誰とも目線を合わせないよう、下を向いていた。







 しばらくして、一人の生徒がやってきた。



 顔を確認したが、知らない女子生徒だったので、僕はふたたび下を向いた。



 その女子生徒は美術室のドアの前に立ち止まったが、なぜかすぐには中に入らなかった。



 どうしたのだろうと思い、その女子生徒の方を見てギョッとする。



 彼女はとても冷たい目で僕を見ていた。



 鋭い視線から逃れるように反対の方向を向く。



 ようやく、その女子生徒が美術室の中へ入っていった。


 その様子を視界の端で確認しながら、安堵のため息を漏らす。



 なんだったのだろう。



 彼女に何か悪いことでもしたのだろうか。


 記憶の中をひっくり返し、思い当たる節を探す。

 が、何も出てこない。




 一人でそんな考え事をしてると、遂に山根さんがやってきた。



 山根さんは相変わらず、うつむきながら歩いてくる。



 山根さんは僕に気づいたようで、少しだけ顔を上げ、こちらに向かって会釈した。



 そしてそのまま僕の方に歩いてくる。


 昨日とは打って変わって、歩幅も小さく足取りも重そうだ。



 もしかすると、山根さんは漫画を読ませるのが嫌になったんじゃないだろうか。

山根琴葉

あ、あの。
持ってきました。
ま、漫画。
どこで読みま……読んでいただけますか?

渡利昌也

えっと……美術室は机が片付けられてるし、漫画研究部の教室は?

 僕は考えうる妥当な案を出したつもりだったが、言い出しておいて後悔した。



 人見知りの僕が未知の領域に山根さんと入っていくのは、かなり勇気のいる行為だ。


 教室で話しかけるより難易度は高いのでは……。



 だが他に思いつく場所はない。


 図書室が一番このシチュエーションにあってそうだが、ここからは結構遠い。



 それに山根さんを引き返させるのも気が引けた。

山根琴葉

わわ、わかりました。
で、ではでは。
どうぞこちらへ

 山根さんは漫画研究部の教室入口に向かって歩きながら小声で

山根琴葉

どぞ、どぞどぞ。どぞどぞ

と繰り返している。



 僕は山根さんの後ろをついていきながら、窓越しに美術室の中を覗いた。



 飯塚さんがニヤケながら手を上げた。



 そのニヤケをやめてくれないかな。


 山根さんに対して変に意識してしまう。



 山根さんが漫画研究部の入口を開いた。




 中から男子生徒の笑い声が聞こえてきた。


 女子生徒が無言で何かを描いているのも見える。




 うわ、緊張してるぞ僕。


 こんな時はまず深呼吸だ。






 いざ、漫画研究部の中へ。

 ゆっくり入っていく山根さんの後を追うように、僕もゆっくり入っていった。



 なにやらふざけ合ってる二人の男子。


 おしゃべりしている二人の女子。


 黙々と漫画を描いている三人の女子。



 僕は顔をこわばらせつつ、室内の人間達に鳩の首の動きで会釈を行った。



 騒いでいた男子生徒が僕を見て、軽快な速さで『鳩の首会釈』を返してきた。



 おしゃべりしていた女子は、物珍しそうに無言で僕を見ている。


 漫画を描いてる三人は作業に集中しており、僕に気づいた様子は見せなかった。



 山根さんは教室の隅にある二つの机と椅子を、教室の窓際前方に配置した。



 午後の光が差すその場所に、山根さんと僕は向かい合う形で座った。



 男子二人がチラチラとこちらを見ている。


 キャッキャと談笑していた女子たちも、ヒソヒソとした井戸端会議に変更していた。




 山根さんは手提げカバンから例の茶封筒を引っこ抜き、僕に両手で差し出した。



 両手で賞状のようにその茶封筒を受け取る。


 思ったよりずっしりした感触が手に伝わった。



 僕は封筒の中に入っている原稿を取り出し、原稿の表紙を上から下へ、下から上へと目でなぞった。

 うまい!

 めちゃくちゃ上手い!



 しかし意外だ。



 少女漫画のようなキラキラした目の女子や、イケメンホスト系男子が描かれているものを予想していた。



 だがこれはどう見ても青年誌、もしくは少年誌でも濃い方の絵柄だ。



 一人の男性がゆっくりと立ち上がる。


 それだけが描かれた一ページ目。


 次のページで何が起こるのだろう。





 僕は表紙を原稿の束の後ろに回し、一ページ目を読み始めた。


 そして二ページ、三ページと読み進めていく。







 気がつくと僕は夢中で読んでいた。



 周りの僕へ向けられた視線のことなど、すっかり忘れていた。



 笑いあり、熱きバトルあり、涙……は無いかな。







 僕は最後のページを読み終え、この独特な世界観に別れを告げた。


 そしてもう一度表紙を見ながら深くため息をついた。

山根琴葉

ど、どんな感じ……でで、でしょうか

渡利昌也

とっても面白かったです。
それになんというか意外だった。
青年誌向けの漫画を描いてるんだね

 僕が口を開いたことで、作業に没頭していた女子も僕の存在に気づいたようだ。



 いつの間にか全員が僕の方を見ていた。

山根琴葉

え……と。
少年誌……目指してます。
一応……

渡利昌也

そ、そうなんだ。
少年誌でもこういう絵柄は、あるかもしれないね

山根琴葉

それで……ダメなところとか!
その、ご指摘あれば

 難しい質問だ。



 正直予想以上なのだ。



 だが指摘がなければ山根さんにとっては、なんのプラスにもならない気がした。


 それに良い作品に出会えてよかったという気持ちもある。




 面白かった、ありがとうさようなら。

 で終わらすのは、僕自身もなんか嫌だ。

渡利昌也

えっと。
正直、面白かったし絵もすごくうまいから、僕から見ればこれで十分だけど、あえて指摘を上げるなら……

 十分というのは本心だが、これから言うダメ出しへのフォローを事前に述べておいた。



 そして、本題に入る。

渡利昌也

まずバトルシーンだけど、山根さんの絵は綺麗すぎて迫力がちょっとだけ足りない気がしたかな。
ギャグのシーンも絵が綺麗なのがアダになってる気がする。
ストーリーは特に悪いところはないんだけど、ギャグ混じりのバトル漫画としては少し長い気もするね

 僕はとにかく思いつく限りの指摘をした。


 それが山根さんの漫画に対する敬意になると思った。

山根琴葉

すす、すごく!
さ、参考になったで……あります!
ありがとう……ございます

渡利昌也

あ、いや。
僕のほうこそいいもの読ませてもらえて。
その、ありがとうございます

 僕らは互いに深くお辞儀をした。

渡利昌也

あの、山根さん

山根琴葉

はは……はい?

渡利昌也

なんか、その。
僕みたいな素人の意見なんて大して役に立たなかったんじゃ……

山根琴葉

い、いえ……いえいえ、滅相も。
ど、読者はみんな素人ですから……。
あ、素人ってその……変な意味じゃなくて。
漫画を描いていない人って意味で……ですね……そういう立場の人の意見も聞きたいって……思ってたので

 作品のクオリティといい、自ら指摘を求める姿勢といい、山根さんから漫画に対するストイックさが伝わってくる。

渡利昌也

そうなんだ。
じゃあ、その。
もしよかったら、また作品読ませてもらえるとうれしいです

山根琴葉

は、はい。
でしたら、その……できれば……ですけど。
ネームの段階でですね。
読んでいただきたいなと

 山根さんは申し訳なさそうに、うつむきながら言った。



 ネームなら知っている。


 漫画の原稿を描く前に、ノートや紙に鉛筆でサラッと描いた漫画。



 いうなれば漫画の詳細な設計書だ。

渡利昌也

ぜひ読みたいです。
ネームを読む方が修正もしやすいだろうし、山根さんの役に立てそうな気がする

山根琴葉

で、では。
よろしくお願いします

 完成原稿は雑誌でも見れるが、ネームは表舞台に出ることはない。


 貴重な物が見れるような、得をした気分だ。

渡利昌也

あ、じゃあ僕も部活があるからそろそろ

山根琴葉

は、はい。
お達者で……

 僕はその場の部員たちに一礼して、漫画研究部室を後にした。



 途端に先程まで忘れかけていた緊張から開放され、ドッと疲れがのしかかってきた。





 やはり次に山根さんの漫画を読む際は、図書室へ行くことを推奨したい。


pagetop