第6話 毛耳引っ掻く山颪

千切れて飛んだアーデルの大鋏が、30メルテはあろう八階建てオフィスビルに真上から突き刺さり、真っ二つに断ち割った。

ユキ、接触までの五秒でもう片方だ

仰せのままに

オープンチャンネルで短く行き来する聞き覚えのない声。

弾け飛んだアーデルの鋏の角度から、マチルダは射線を素早く割り出し振り返る。

支部近くのビルを銃架(バイポッド)代わりに、長大な狙撃仕様ライフルを構えるもう一機のロボニャー。

乾いた血のりのような赤銅色のワンポイントと、滅紫(めっし)色の追加装甲。

やはりあれも世界連合直属鎮圧部隊、ムルムルに属するものだとすぐに理解する。

ビル街を揺らす重い銃声。

先行する二機がアーデルと接触する前に、もう片方の鋏が根元から千切れて落ちる。

武器の威力もさることながら、ユキと呼ばれたロボニャーの繰り手が相当な技術を持っていることを、地上で見上げるルクスの戦士たちは否応なしに思い知らされる。

上出来だ

ありがとうございます、カラカルさま

指示通りの成果を褒めたのは、おそらく先行するロボニャーのパイロットだろう。

マチルダたちはしきりに顔を見合わせるが、誰もが首を横に振るだけだ。

カラカルとユキという名に、五人とも心当たりがない。

息を飲み、戦局の展開を見守る。

両の鋏を奪われたクラブ型アーデルは、口と背中から薄紫色の泡をごぼごぼと漏らす。

表皮の体液に細かく外気を取り込んで作るその毒の泡で、外敵への威嚇やかく乱行動を行う他、フェーレスの肉を溶かし骨を貪り食らう異様な嗜好が確認されている。

貴様は左腋下(ひだりえきか)に電叉射突槌(トニトラ・マレオ)、こちらは右背部の液腺だ

了解(フェッチェ)

ビル街すれすれを滑空飛行してアーデルに迫る二機のロボニャーは、標的の眼前で左右に分かれる。

ビル向こうの二車線道路に、アーデルを挟むフォーメーションで着地した直後、再び背部の全スラスターを開く。

脚部バーニアロケットの炎が、泡の飛び散ったアスファルトを炙る。

噴射、風を裂く推進。

二機のロボニャーは勢いのまま、黒い音叉の先端をアーデルに突き込む。

直後鳴り響く、音叉の奥で炸薬の弾ける音。

湯舟をひっくり返したような量の体液が、アスファルトにごぼりと落ちる。

電叉射突槌と呼ばれたそれがアーデルの体内に打ち込んだのは、長時間大容量電流を流し続ける巨大な電極杭だ。

鋭い先端と逆付きの細かな棘が、アーデルの肉にがっちりと食い込んだまま、内側からアーデルの身体機能を麻痺させていく仕組みだ。

絶叫するアーデルの表皮が、内側からぼんやりと青く光っているのが、マチルダたちにも見える。

カラカルの繰るロボニャーが電叉射突槌をがらんと投げ捨て、

仕上げだ。各機、捕獲準備

背部マウントラッチをリリースし、大剣を引き抜く。

フランベルジュタイプの波打つ刃が、閃き、翻る度、アーデルの二対の脚を次々と切り離していく。

マチルダ

おお、あっざやかだわ……!

ミア

相当ロボニャーを使い慣れていますね、あのカラカルという方は

双眼鏡を除くマチルダと、コマンドギアのカメラアイで戦況を見守るミアが、ため息交じりに素直に感心する。

さらに上空から現れた同型のロボニャー二機は、短銃のような形状の装置をアーデルの胴体に押し当て、フックつきのペグを射出して打ち込む。

ココア

おいおい、本当に捕獲するつもりだよ。あのクラブ型を……

そして、カラカル以外の三機のロボニャーは、胴部に増設されたウインチからワイヤーを伸ばす。

マニピュレーターを器用に動かしてワイヤーをペグに固定し、スラスターを真下に吹かしてゆっくりと上昇してゆく。

あとは頼む。到着まで事故のないように

カラカルの声を受け、ロボニャーたちはアーデルを空へと連れ去っていく。

方角は西。

おそらくはパーリアの議会西ボリア分室と併設された、ムルムルの兵器研究施設。


とりあえず、何とかなったのか。

戦いの終幕に安堵しかけたルクスの戦士たちを、

次はお前たちだ。全員、動くな

黒い武装に身を包んだムルムルの兵士たちが、銃を構え、取り囲んだ。

メル

ちょ、ちょっと! なに?

コマンドギアも停止してください。撃ちます、少しでも動けば

ユキと呼ばれたフェーレスの声に、操縦桿を握りかけたミアの手がびくりと止まる。

ロボニャーの狙撃仕様ライフルの照準は、すでにこちらにぴたりと合わさっている。


あまりに速やかな完全包囲。メルも銃を、ココアもナイフを構え直す余裕などなかった。

マチルダ

ま、おとなしくしましょー。アーデル相手でもないのに、どんぱちやったっていい事ないさ

突如敵に回った手練れたちを相手に、マチルダはそう判断する。

サブリーダーらしい、仲間たちの安全を優先した結論。

そうして彼女は力なく笑い、率先して両手のひらを上げて見せた。

ピクシー

機動歩兵部隊を凍結? 
どういうことですか、ミスティ副隊長!

今にも掴みかからんばかりの勢いで、ピクシーはミスティに迫る。

ミスティ

それはこちらの台詞だ。あなた方はアーデル捕獲命令をことごとく無視し、没収したはずの通常火器まで使い続けた。背任、いえ、反逆と見られて然るべきだと、あなたは思わないのですか

問い返すミスティの傍らのモニターに、ロボニャーに四方を囲まれ帰還するマチルダたちが映る。

ミアとジェシカのコマンドギアも、二足歩行形態で歩かされている。

ローダーモードで逃走させないため、そして数倍の体躯と火力を誇るロボニャーに真っ向勝負を挑む気を失くさせるため、ユキがそう命令したのだ。

ピクシー

あくまで我々の任務は、使命は、アーデルから市民を守り戦うことです。捕獲のために武器を使えず市民の命を奪われては、本末転倒ではないですか

ミスティ

市民? 自分たちの命が惜しいだけではないのですか

ピクシー

仮にそうだとして何がおかしいのです! 使命を果たせず命を落とすほど無念なことはないでしょう!

二人とも、少し黙れ

熱を帯びていくピクシーとミスティの間に、重い威圧感を含んだ声が割り込む。

いくつものウィンドウが並んだモニターの中央に、ロボニャーからの映像通信がズームアップする。


艶のあるブロンドヘアと、二等辺に近い整った毛耳。

左頬に深く残った二筋の傷跡。

そして切れ長の据わった瞳が、ピクシーを値踏みするようカメラ越しに眺めている。

ピクシー

改めてお聞かせ願えますか。鎮圧部隊ムルムル総隊長、カラカル・カタール殿

カラカル

ふふん。
自己紹介の必要はないようだな、“ピック”?

高い鼻を鳴らして笑うカラカルの言葉に、ピクシーの眉が動く。

今までパオひとりしか呼んだことのないその愛称を、何故?

幾らもせずに答えにたどり着く。

やはりこのルクスベースは、シャワールームや私室に至るまで監視、盗聴されている。


黙り込んだピクシーを横目に、ミスティまでが勝ち誇ったように鼻で笑う。

カラカル

残念ながら、お前たちではこの任務には力不足と聞いた。お前の大好きな隊長殿 な

ピクシー

パオ隊長が……?

カラカル

そうだ。私たちではアーデル捕獲など適いません、お力をお貸し下さい、とな

挑発。そうわかっていてもピクシーは歯噛みする。

パオはアーデル捕獲の中止か協力を求めに、パーリアへ向かったはずだ。

もちろん、CATとしての使命を果たす為。

だがそれを、あたかも非を認め詫びに来たかのように言うのは何故か。

わざわざ自分たちを踏みつけに、ロボニャーたちを連れて現れたのだろうか。

ピクシー

それで総隊長どの御自ら? ありがたいですね、涙が出ます

カラカル

礼には及ばんよ。西ボリアは最高議会が最も注目する戦域のひとつ。そこが窮地とあらば、援軍は当然のことだ

ピクシー

こちらに銃を向ける援軍など、初めて見ますが

カラカル

こんなに命令を聞かない機動歩兵部隊も、私は初めて見るがね

抑え切れず洩れてしまったピクシーの嫌味にも、カラカルは余裕の顔を崩さない。

カラカル

研究の為のアーデル捕獲は、何においても優先事項だ。当面この西ボリア支部基地に、我らのロボニャー小隊を駐屯させる。お前たちはその間少し休暇を取れと、議会からのお達しだ。自室のベッドでせいぜい仲良くしていろとな

ピクシー

それがつまり、凍結と

パオと自分の関係を揶揄しながら言い渡される、実質の謹慎命令。

ピクシーの噛みしめる歯と握る拳に、ぎりりと力がこもる。

頼りない火器でアーデルと戦えと言われ、今度は戦うなと言われ。

ここまで不遇の扱いを受ける理由が、自分たちルクスに何かあるのだろうか。

ピクシーは鎮圧部隊の、そしてその背後にある議会の意図を訝しむ。


だが。

カラカル

心配するな。我々も、そういつまでもこの地に留まってはいない。充分な数の検体が手に入れば、今まで通り、この地での戦いをお前たちに託すことができる。

カラカル

いや、議会や我々の研究成果から、もっと効率よくアーデルを狩れる技術を提供できることもあるだろう。それから存分に戦い、使命を果たしてもらえればいい

ピクシー

本当に検体を手に入れる為であれば、もっと充実した装備を提供して頂ければ……

モニターの、仲間たちを取り囲む重装備のロボニャーたちを見て、ピクシーは呟く。

意外にもカラカルは、まつ毛の長い目を伏せ、小さく頭を下げる。

カラカル

それについては、確かに我々の落ち度 だったかもしれん。支給品の不十分でお前たちを危険に晒したなら、心から詫びよう

ピクシー

危険に晒されたのは私たちではなく――!

カラカル

市民もだろう。わかっている、こちらの不手際だ。謝罪や釈明が必要であれば、私が自ら出向き頭も下げよう。だが、だからこそ今度は我々がアーデル捕獲を行うのだ。迅速に、市民を不安にさせないうちにな

すんなりと非を認めたカラカルの言にはしっかりと筋も通っているように聞こえる。

自分たちの目の前で、巨大なクラブ型アーデルをいとも簡単に生け捕りにしたその手腕は、確かに本物だった。

仲間たちを囲むムルムルの歩兵部隊の装備も充実している。


今のルクスに勝ちの目は無い。

対峙するカラカルとピクシーの間で、既に勝負は決まっていた。

ピクシーは胸のわだかまりを小さなため息に変えて吐きだし、頭を下げた。

ピクシー

わかりました。しばらくの間、西ボリアをよろしくお願いいたします。そう申し上げてベッドに引きこもっていれば、よろしいですか

ピクシーの精一杯の嫌味に、カラカルは楽し気に鼻を鳴らして笑う。

カラカル

ふふん、口の減らない

カラカルはパイロットスーツのファスナーを大きく開け、汗の粒がきらめく豊かな乳房の谷間をカメラに晒す。

羞恥ひとつ見せず、あわやその先端の突起まで露わにするかの如く。


そうしてむき出しになったカラカルの胸には、アーデルの爪痕だろうか、至る所に浅く深く、いくつもの傷跡が走っている。


大きく張った見事な形と艶の乳房に、傍らのミスティがわずかに前に身を乗り出し見入ったのを、ピクシーは見逃さない。

ああ、こいつも結局、向こうの手駒か。


ピクシーたちの様子を楽しむように、カラカルはカメラを覗き込みにやりと笑う。

そして高い鼻をふふんと鳴らして笑い、映像通信をぷつりと切った。

バーシムとパーリア、西ボリアと議会分室を遮るように横たわる、なだらかなボリア山脈。


手足を落とされ、内側から電気を流され続けるクラブ型アーデルを、三機のロボニャーがぶら下げて運んでゆく。

ねえ、こいつ本当に大丈夫かな

大丈夫だ。電叉をぶち込んでるんだから泡も吹けないし、自己修復できるタイプじゃない

あとは施設でじっくり料理するだけの御馳走(コンヴィ・ヴィ)ってことか

ロボニャーを操縦するムルムルのパイロットが、通信越しに軽口を叩く。

胴体だけになったアーデルでも、その重量はロボニャー三機がスラスターを全開にしてようやく運べるほどのものだった。


推進剤は充分に残っていたが、いかんせん速度が出ない。

パーリアへ到着するまであと半日はかかるだろう。

そう目算し、少々飽きと疲れを覚えていたパイロットたちは、自分たちの身に降りかかる災いの始まりに、気づくことができなかった。

なんか、今、揺れたか?

山から冷たい風が来る季節だ、多少はしょうがないよ

バイタルセンサー、ロングとショートどちらの範囲内にも、アーデルの反応はありません

あるだろ、私たちが運んでる分が一つ

手足を失ったクラブ型アーデルの腹に、別の一匹のアーデルが、地上から跳びついたのだ。


眼鼻のない頭部に火傷の残った、モル型アーデル。

クララの腕を奪い、マーメイたちがショッピングセンターから追い払った、あの個体だ。


クラブ型アーデルは赤い単眼をぎょろりと動かし、自分の腹に取りついた小さなそいつを見る。

モル型アーデルは、まるでクラブ型アーデルに何事か話しかけるように低く唸る。

そしてぱかりと大きな口を開け、高電圧に焼けたクラブ型アーデルの甲殻に、太い臼歯をがしりと突き立てた。

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