それからしばらくしても、少年の胸の痛みは治らなかった。
任務に出ても何となくいつもより動きが鈍り、小さな傷をいくつも作っていた。

何となく、外に出たい。そう思った少年は見張りの男に声をかけた。

SP2-01

大佐に会いたい

兵士

はっ? え、あぁ。少し待て

普段自分から何かをするということがない少年が、意思を表明したことに男は驚く。
少年の地下牢には大佐へ直通の通信機があり、男はその回線を開いた。

四郎

何かあったか?

兵士

SP2-01が謁見を申し出ました

四郎

そうか……許可する

兵士

はっ。……SP2-01許可が下りた

男は通信を切ると、少年の牢の鍵を開けた。のそのそと出てきた少年の枷を外してやる。
いつものように少年は大佐の部屋へ向かった。

大佐がいつものように笑顔で少年を出迎える。
顔には出していないが、少年の最近の不調や思わぬ自発的行動に内心焦燥を感じていた。

四郎

珍しいな、どうした?

SP2-01

外出許可を

四郎

外出許可? あぁ、テイマーがいた頃にはお前もよく外出をしていたな。いいだろう

四郎が少年のうなじから完全に魔法を遮断するMICチップを取り出し、二次魔法だけを遮断するMCCチップを差し込む。
これは身の安全を守るための一次魔法の使用許可が下りたのと同義だ。
チップが埋め込まれた少年の視界に白い文字が表示される。

魔法演算領域機能停止中
二次魔法使用不能

通常演算領域バックアップ
一次魔法使用可能

四郎

二時間後にはここへ帰還せよ

SP2-01

了解

少年は短く答えて部屋を出て行った。
四郎の表情は晴れない。

四郎

これは……決まりだな

少年が完全に部屋を出て行ったのを確認し、四郎は研究者を呼んだ。
しばらくして白衣に身を包んだ数人の男女が四郎の部屋を訪れた。

研究者

大佐、何か不具合でも?

研究者

SP2-01が何か粗相を致しましたか?

四郎

いや、そうではない。質問があるのだ

四郎は机に肘を乗せ、手を組み、顎をその上に乗せた。
真剣な表情は研究者たちの気を引き締めさせる。

四郎

SP2-01に感情という機能はあるのか?

研究者

感情、とはどのような範囲でのことを前提におっしゃっているのでしょう。
最も基本的な欲という意味では感じるでしょう。生存本能はどんな生物の一様に持っていますから

四郎の厳しい問いかけに男が答えた。特殊二次魔法士開発の責任者である。
地位で言えば、四郎の少し下位に属する。

四郎

では、誰かを特別に想ったり殺すことを躊躇ったりするような感情は

研究者

SP2-01が研究所にいた頃には確認されていません。しかし、成長して適応すれば脳が新たな機能を獲得することは考えられます

女の研究者が答えた。少年の教育を担当した研究者である。
体は培養液の中で成長させることができても、知識や知恵などの高度な精神的営みは他の人間による教育が必要だ。
しかしその教育は感情的な内容が一切排除され、言語などの基本的なもののほか、軍への忠誠や戦闘、魔法に関する知識をメインとした一種の洗脳過程であった。

四郎

脳のほとんどが魔法に使われているはずだ。新たな機能を会得するような容量が残っているのか?

研究者

ヒトの脳に関する適応能力は極めて高いことが知られています。成長によって効率のいい記憶回路が形成されるなどして、容量に空きを作るという適応をしたと考えれば。
しかし、脳は訓練をしなければ新しい事を会得するはずがないのですが。

四郎

なるほど……

四郎はテイマーと少年の関係を思い出して納得したように呟いた。
それを見て、今まで黙っていた初老に差し掛かろうというくらいの研究者が口を開く。

研究者

何か心当たりがおありのようですな。もしSP2-01に感情という不要な機能が追加されたならば、これまでの記憶を消去し、初期化するということも可能です。

四郎

それでは教育などもし直す必要があるのではないか?

研究者

いいえ、エピソード記憶のみ消去するのなら。
感情はエピソード記憶との関係が深い機能ですから、知識記憶まで消す必要はないと考えます

エピソード記憶とはいわゆる思い出のことだ。嫌な思い出があるから何かを「嫌う」という感情が出来たり、いい思い出があるから何かを「好く」という感情が生まれたりする。感情はエピソード記憶との関連が強い。

一方で知識記憶とは、言語や物の名前などのことだ。

記憶は別々に保管されているため、別個に消去するのは容易い。
記憶喪失になった人間が言葉をちゃんと喋れるのもエピソード記憶と知識記憶が別々に存在するからである。

四郎

初期化はいつできる?

研究者

一週間後に機械が空くのでその時なら可能です。初期化は一時間ほどで完了するでしょう

四郎

では、そうしよう。下がれ

淡々と、少年とテイマーとの記憶の消去は決定した。
少年の記憶が消去されるまで、あと七日。

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