ウシュルの森を抜けた分かれ道の手前――。

リーシャがいくら訴えても、ダイは頑として首を縦に振らなかった。

分かれ道は東西に伸びていて、東にしばらく歩けばリーシャの住む町が見えてくる。

反対に西に二時間ほど行けば、街道沿いに海が臨め、そのままさらに歩けば定期船が発着する港町にたどり着く。

ダイ

ここでお別れだよ

そう言って背を向けるダイに、リーシャは食い下がった。

リーシャ

どうしてダメなの? レモニストンを目指すなら、一緒に行ったってかまわないじゃない?

森の外に出るまで、リーシャはそのセリフを何度口にしたかわからない。

魔獣を倒したあと、これからどうするのかと尋ねたリーシャに、ダイはマルゼ大陸のレモニストン公国という、海の向こうの遠い国へ行くことを告げ、リーシャを驚かせた。

その国の名は、リーシャにとっても特別なものだったから。通うことを夢見た、憧れの魔法学校を擁する国だ。

ダイ

レモニストンは魔法学の先進国だから、優れた魔法師が多い。そこに行けば、俺をひとの姿に戻せる魔法師だっていると思う

ダイ

もしそれが難しくても、俺をこの姿に変えた魔法師の情報くらいは手に入るはずだ

だからここから港町に向かい、マルゼ行きの船に乗りこむつもりだというダイの言葉に、リーシャは居ても立ってもいられなくなった。

リーシャ

わ、わたしも一緒に行く! レモニストンでわたしは魔法学校に入りたいの!

意を決して告げたリーシャだったが、ダイの返答はつれないものだった。

ダイ

……一緒にはいけない

そのあとも、森を歩きながら何度も同じやりとりを繰り返した。

リーシャ

一緒にレモニストンへ

ダイ

それは無理だ

平行線のままついに森を抜け、ふたりは分かれ道の手前に立っているというわけだ。

旅の同行を許さないダイを、リーシャは恨めしげに睨んだ。

リーシャ

けち犬

ダイ

け、けち犬って、君ねえ……

ダイはやれやれと言った様子でため息をついた。

リーシャのほうへ顔を向け、諭す口ぶりで言う。

ダイ

だから何度も言ってるじゃないか。俺は魔獣の呪いを受けた身。一緒にいたらさっきみたいに魔獣に襲われかねない。危険なんだよ

リーシャ

またふたりで協力して倒せばいいじゃない?

ダイ

今回はたまたまうまくいっただけさ。実際、君の護りの魔法が発動しなかったら、君は命を落としていたかもしれない

ダイはそのときのことを思い出したのか、うなだれた。

ダイ

君を危険な目に合わせない、守ると約束したのに……。どうやら俺は慢心していたみたいだ

自嘲するダイ。

ダイ

この身で自分以外の誰かを守るのは、難しいことだったんだ

そう言ったダイは、本当に非力な普通の犬に見えて、リーシャはなおさら彼をひとりで旅立たせたくないと思った。

わたしがダイの役に立てるかどうかはわからない。これってただのおせっかいかもしれない。

でも魔獣の呪いを八つも残したダイへの心配は、どうしても無視できなかった。

ここで別れてしまったらきっと後悔する。二度とダイと会えないのではないか。

そんな予感めいた不安に、リーシャは簡単には引き下がれない。

だがダイが首を縦に振らないのは、リーシャの身を案じてのこと。そこに嘘はない。あったらリーシャにはわかる。

リーシャの同行を拒否するのは、純粋にダイの優しさだ。それを思うと、リーシャは反論のしようがなくなった。

リーシャの顔が曇ったことに気づいたのか、ダイは明るく彼女を励ました。

ダイ

一緒には行けないけど、君がレモニストンへ行って、魔法学校の門を叩くのには賛成だよ。君ならきっと、そこで魔法師への第一歩を踏み出せるはずさ

ダイはどことなく饒舌だ。リーシャに口を挟む隙を与えないようにしているのかもしれない。

ダイ

ああ、そうだ。オルビン子爵の件。レモニストンに行くならとくに気にしなくていいと思うけど、心配なら王都のグランテット侯爵に陳情してから向かうといい

ダイ

俺の親友でね。俺が今こうなってることもあいつだけは知っている。犬のダイの紹介だと言えば、うまく取り計らってくれるはずだ

それはダイからの餞別を意味している。

その気遣いはうれしいが、本当に一緒に旅をする気がないことが伝わってきて、リーシャの胸はつまった。

ダイ

さて、そろそろ行くよ

ダイは再び西の道へ足を向けた。

森の中でリーシャを乗せてくれた背中は、今は少しよそよそしく見えた。

リーシャ

待ってよ……ダイ

ダイはリーシャを見ないまま、首を横に振った。

ダイ

さよなら、リーシャ。魔獣の呪いを解いて、俺がひとの姿に戻ったらまた会おう。レモニストンで

そんな日が来るのだろうか。

リーシャは素直にそれを信じることができない。が、ダイ自身は心からそう思っている。
嘘偽りだったら、きっと本当の心の声が伝わってくるはずだから。

ダイが歩き出す。

一緒の旅を望むのは、わがままかな。

リーシャ

わたしは……

リーシャはダイを見送りつつ、口の中で呟いた。

わたしは一緒に行きたい。

ダイが心配だから。ダイがいてくれたらわたしも心強いから。

それを望むのはダメなこと?

諦めなくちゃいけないこと?

リーシャ

……諦める?

リーシャは頭をぶんぶん振った。

魔獣との戦いの最中、諦めないことを誓った、あの瞬間の意志のほとばしりがよみがえった。

ここで諦めちゃいけない。今ここで諦めることは、あの時の自分に嘘をつくことだ。

嘘はつくなんてまっぴら。本当の心を裏切りたくない。

わたしは誓ったのだから。

意志の強さでどんな困難にも打ち勝ち、不可能さえ可能にするくらいの気概をいだき、夢に向かって進んでいくことを。

お母さんのナイフに誓ったばかりだったのに。

リーシャ

リーシャのバカ。しっかりしなさいよ

小声で自身を叱咤し、リーシャは数歩先のダイに駆け寄った。

リーシャ

ダイ! ダイ、待って!

ダイを引きとめたい一心で、とっさにその尻尾をつかんだ。

ダイ

はあぅ

聞いたことのない声をもらして飛び上がるダイ。

でもリーシャは彼を逃がしてたまるかと尻尾を離さない。

ダイ

ちょ、君、尻尾はやめてくれないか。そこ、意外に敏感で――

身悶えるダイをよそに、リーシャはまくしたてた。

リーシャ

ダイ、やっぱりわたし、あなたと一緒に行くわ。今のわたしはあなたの助けにならないかもしれない、あなたに迷惑をかけるかもしれない

リーシャ

でもわたしもあなたを守りたいの。ダイの声を聞いてあげたいの。ううん、わたしが聞きたい。そうしたい。これはわたしのわがまま。でも紛れもない意志よ

リーシャ

ダイがひとの姿を取り戻すまで、わたしがあなたの声になるわ

リーシャは一息ついて、ダイの目をまっすぐに見返した。

リーシャ

わたしは、わたしの意志を嘘にしたくない

呆気にとられた様子で聞いていたダイは、しばらくして嘆息した。

ダイ

君は頑固者だ

リーシャ

ダイが、うんと言うまで尻尾、離さないわよ

ダイ

それは困るな

ダイは苦笑いし、降参するみたいに耳を折り曲げた。

ダイ

旅の支度をしてきなよ。世話になった君の叔父さんと叔母さんにもちゃんと事情を話して、別れの挨拶をしてくるべきだ

リーシャ

ダイ、それって……

ダイ

一緒に行こう、リーシャ。
昼過ぎのマルゼ行きの船に乗るから。港町で落ち合うことにしよう

ダイは笑顔で言った。

ダイ

約束だ

つづく

pagetop