教室でエレナを待っていたフィリスは、校舎の揺れを感じると小さく悲鳴をあげた。
きゃっ
教室でエレナを待っていたフィリスは、校舎の揺れを感じると小さく悲鳴をあげた。
え、何?
一瞬だけの揺れだったが、なんだか嫌な感じだ。
……迎えに行っちゃおうかなー
一人で誰もいない教室にいるのが怖くなって、小さく呟くとエレナが向かったはずの職員室に向かう。
廊下には意外と誰もいなくて、なんだか不安になって駆け足で。
職員室の前まで来て、ドアに手をかける。
……あれ、なんで誰の声もしないんだろう? いつもうるさいのに
ドアを開けるとそこには、
え……?
一面、血の海が広がっていた。
な、に、これ……
二、三歩後ろに下がる。
室内に倒れている人影。見知った教員の顔。それから、
……エレナ?
親友の、顔。
っ、エレナ!
それを理解した途端、室内に駆け込む。そばに片膝をつくと、
ねえ、エレナ! しっかりして!
その肩を揺さぶろうとして手を伸ばし、
っ
ぬるり、とした血の感触に一旦、手を引っ込める。
やだ、どうしよう。エレナ
引っ込めた手が、宙に魔法陣を描く。
治さなくちゃ。血を止めて、助けなきゃ!
トラクターボ!
唱える。
何も変わらない。
もう一回!
トラクターボ!
どうしよう、これじゃあダメなんだ。もっと強い魔法じゃないと。じゃないと、効かない。でも、どうしよう。これより強い魔法なんて習ってないし、作るなんてできないし……
それでももう一度魔法陣を描こうと手をあげたところで、
フィリス!
背後から声をかけられる。
……クリス
額に汗を浮かべたクリスが入り口に立っていた。
変な感じがして、心配になって……。ここ、一体何があって……
クリス、助けて! エレナがっ、みんながっ
フィリスの前に横たわっているのが、彼女の親友だということを理解すると、慌ててクリスは駆け寄る。
効かないの、治癒の魔法。ねぇ、クリス。もっと強い魔法知らない? なにか、思いつかない? 私、唱えるから。絶対ちゃんと唱えるから、だから
エレナの状態を確認したクリスは、悔しそうに唇を噛むと
だめだよ、フィリス。死者を、生き返らせることは、できない……。そんな魔法は、ない
死者って……。それじゃあ、……エレナは? みんなは?
ゆっくりとクリスが首を横に振る。
目の前が暗くなる。
違う、そんなわけない。だって、エレナが……そんなの
違うもん!
エレナに向き直り、魔法陣を描く。
フィリス
その手を掴まれるが、構っていられない。左手で続きを描く。
トラクターボ!
フィリス、ひとまずここから逃げないと!
トラクターボ!
視界が滲む。声が震える。
こんなんじゃだめだ。こんなんじゃ、効かないのに
トラクターボ!
フィリスっ!
だって! 約束したんだもんっ! 今日はケーキ食べに行こうってっ!
約束したのに
フィリス。……わかるよ、わかるけど。だけど、ここにいたら危ないんだ。何があったか、わかんないけど。これが異常事態なのは、わかるだろ?
でも……
クリスがなんとかフィリスを立たせようと腕を引いたところで、
何のための魔法なんだい?
二人のすぐ後ろにたち、唱える。
モバード!
次の瞬間、三人は別の部屋に移動していた。
これぐらい使えないんじゃ、退学を考えた方がいいんじゃないかな?
クリスの耳元でそう囁く。
何かを言い返そうとして、結局やめた。
使えなかったわけじゃない。使うことが思いつかなかっただけだ、なんて言い訳だ。必要な時に使えない能力に意味なんてない。それに本当に使えていたのか、自分でもわからない
軽く唇を噛む。
大丈夫?
……センセ
横からかけられた声に顔を上げる。キリシアが厳しい顔をして立っていた。
……ここは、講堂ですか?
他にも、幾人かの生徒たちが部屋には居た。
そう。有事の時には一番強い結界の張ってある講堂に逃げるように、言われているでしょう?
言い放つ彼女は、なんだか普段と感じが違う。
でもまあ、いざという時にそんなこと思い出せる子なんてそんなにいないわよね。学園内にいる子、みんなまとめて呼び寄せられたらいいんだけど……。対象者が明確じゃないからそれも難しいわね。試験期間中で学園に来ている生徒がまばらだったのが救いだけど
……キリシア先生
フィリスの弱々しい声に、クリスは隣に座るとその肩を支えた。
なにが、……あったんですか?
モンストロ・マンガース・マギオ
え?
知っているでしょう? あの伝説の化け物が、暴れ出したのよ
はぁ? え、ちょっとどういうことですか
あれがどこかに封印されているっていう話は、知ってるでしょう?
ええ、まあ
それがどこかは、秘匿されていた。誰かに悪用でもされたらたまったものじゃないものね。その封印されていた場所が、ここシゲリータ学園だったの
……なんで?! なんで学園にそんなものを?
順番が逆。あれの封印する場所として作られたのがこの学園。大勢の魔導師とその見習いがいるこの学園ならば、いざという時に対応しやすいでしょう? 魔力の強い人が多いこと、それ自体が封印を強化される役割もあったしね。
そんなっ!
理不尽なのはわかってるわよ! だけど、こんなこと起きるはずがなかったのっ! あれが封印されている場所を知っているのは一部の人間だけだし、誰かが意図的に封印を解かない限りあれがでてくるはずないんだから! それも、強い力の持ち主じゃないと……
……じゃあ、誰かが、故意に封印を解いたってことですか?
……残念ながらね
……そいつが、エレナを……
ぐっとスカートを握ったフィリス。それを見て、クリスは肩に置いた手に少し力を込めた。安心させるように。
とにかく、あなたたちはここにいてちょうだい。まあ、出たくてもここの中じゃ生徒の魔法を禁じる魔法がかかっているし、鍵もかかっているし、出られないだろうけど
キリシアが髪をかきあげながら言う。
え、でも……
あれの対応は、私たち警察軍がするわ
……え?
羽織っていた白衣のポケットからエリシアが取り出したのは、
それ、……父さんたちが持っているのと同じ、身分証明書?
万が一にあれが暴れ出した時に備えて学園に送り込まれてた、閑職部署の人間なの。私の番の時に、こんなになるなんてね
言いながらキリシアが魔法陣を描く。
あれは……
緊急コールはしてあるから。すぐに私の仲間がここに来てくれるわ。私はちょっと、残った生徒がいないか見てくるから。おとなしくしていてね
キリシアの指が魔法陣を描き終わる。
それをみると、フィリスは立ち上がり、そちらに駆け寄った。
フィリス!?
慌てたクリスがそれを追いかけ、
モバード!
キリシアが呪文を唱え、フィリスがそこにぶつかるようにして抱きつく。そんなフィリスの肩にクリスが手をかけて、
ちょっとあんたたち!
キリシアの抗議の声とともに、三人の姿は消えた。