フィリス

きゃっ

 教室でエレナを待っていたフィリスは、校舎の揺れを感じると小さく悲鳴をあげた。

フィリス

え、何?

 一瞬だけの揺れだったが、なんだか嫌な感じだ。

フィリス

……迎えに行っちゃおうかなー

 一人で誰もいない教室にいるのが怖くなって、小さく呟くとエレナが向かったはずの職員室に向かう。

 廊下には意外と誰もいなくて、なんだか不安になって駆け足で。
 職員室の前まで来て、ドアに手をかける。

フィリス

……あれ、なんで誰の声もしないんだろう? いつもうるさいのに

 ドアを開けるとそこには、

フィリス

え……?

 一面、血の海が広がっていた。

フィリス

な、に、これ……

 二、三歩後ろに下がる。
 室内に倒れている人影。見知った教員の顔。それから、

フィリス

……エレナ?

 親友の、顔。

フィリス

っ、エレナ!

 それを理解した途端、室内に駆け込む。そばに片膝をつくと、

フィリス

ねえ、エレナ! しっかりして!

 その肩を揺さぶろうとして手を伸ばし、

フィリス

 ぬるり、とした血の感触に一旦、手を引っ込める。

フィリス

やだ、どうしよう。エレナ

 引っ込めた手が、宙に魔法陣を描く。

フィリス

治さなくちゃ。血を止めて、助けなきゃ!

フィリス

トラクターボ!

 唱える。
 何も変わらない。

フィリス

もう一回!

フィリス

トラクターボ!

フィリス

どうしよう、これじゃあダメなんだ。もっと強い魔法じゃないと。じゃないと、効かない。でも、どうしよう。これより強い魔法なんて習ってないし、作るなんてできないし……

 それでももう一度魔法陣を描こうと手をあげたところで、

クリス

フィリス!

 背後から声をかけられる。

フィリス

……クリス

 額に汗を浮かべたクリスが入り口に立っていた。

クリス

変な感じがして、心配になって……。ここ、一体何があって……

フィリス

クリス、助けて! エレナがっ、みんながっ

 フィリスの前に横たわっているのが、彼女の親友だということを理解すると、慌ててクリスは駆け寄る。

フィリス

効かないの、治癒の魔法。ねぇ、クリス。もっと強い魔法知らない? なにか、思いつかない? 私、唱えるから。絶対ちゃんと唱えるから、だから

 
 エレナの状態を確認したクリスは、悔しそうに唇を噛むと

クリス

だめだよ、フィリス。死者を、生き返らせることは、できない……。そんな魔法は、ない

フィリス

死者って……。それじゃあ、……エレナは? みんなは?

 ゆっくりとクリスが首を横に振る。
 目の前が暗くなる。

フィリス

違う、そんなわけない。だって、エレナが……そんなの

フィリス

違うもん!

 エレナに向き直り、魔法陣を描く。

クリス

フィリス

 その手を掴まれるが、構っていられない。左手で続きを描く。

フィリス

トラクターボ!

クリス

フィリス、ひとまずここから逃げないと!

フィリス

トラクターボ!

 視界が滲む。声が震える。

フィリス

こんなんじゃだめだ。こんなんじゃ、効かないのに

フィリス

トラクターボ!

クリス

フィリスっ!

フィリス

だって! 約束したんだもんっ! 今日はケーキ食べに行こうってっ!

フィリス

約束したのに

クリス

フィリス。……わかるよ、わかるけど。だけど、ここにいたら危ないんだ。何があったか、わかんないけど。これが異常事態なのは、わかるだろ?

フィリス

でも……

 クリスがなんとかフィリスを立たせようと腕を引いたところで、

セン

何のための魔法なんだい?

 二人のすぐ後ろにたち、唱える。

セン

モバード!

 次の瞬間、三人は別の部屋に移動していた。

セン

これぐらい使えないんじゃ、退学を考えた方がいいんじゃないかな?

 クリスの耳元でそう囁く。
 何かを言い返そうとして、結局やめた。

クリス

使えなかったわけじゃない。使うことが思いつかなかっただけだ、なんて言い訳だ。必要な時に使えない能力に意味なんてない。それに本当に使えていたのか、自分でもわからない

 軽く唇を噛む。

キリシア

大丈夫?

クリス

……センセ

 横からかけられた声に顔を上げる。キリシアが厳しい顔をして立っていた。

クリス

……ここは、講堂ですか?

 他にも、幾人かの生徒たちが部屋には居た。

キリシア

そう。有事の時には一番強い結界の張ってある講堂に逃げるように、言われているでしょう?

 言い放つ彼女は、なんだか普段と感じが違う。

キリシア

でもまあ、いざという時にそんなこと思い出せる子なんてそんなにいないわよね。学園内にいる子、みんなまとめて呼び寄せられたらいいんだけど……。対象者が明確じゃないからそれも難しいわね。試験期間中で学園に来ている生徒がまばらだったのが救いだけど

フィリス

……キリシア先生

 フィリスの弱々しい声に、クリスは隣に座るとその肩を支えた。

フィリス

なにが、……あったんですか?

キリシア

モンストロ・マンガース・マギオ

フィリス

え?

キリシア

知っているでしょう? あの伝説の化け物が、暴れ出したのよ

クリス

はぁ? え、ちょっとどういうことですか

キリシア

あれがどこかに封印されているっていう話は、知ってるでしょう?

クリス

ええ、まあ

キリシア

それがどこかは、秘匿されていた。誰かに悪用でもされたらたまったものじゃないものね。その封印されていた場所が、ここシゲリータ学園だったの

クリス

……なんで?! なんで学園にそんなものを?

キリシア

順番が逆。あれの封印する場所として作られたのがこの学園。大勢の魔導師とその見習いがいるこの学園ならば、いざという時に対応しやすいでしょう? 魔力の強い人が多いこと、それ自体が封印を強化される役割もあったしね。

クリス

そんなっ!

キリシア

理不尽なのはわかってるわよ! だけど、こんなこと起きるはずがなかったのっ! あれが封印されている場所を知っているのは一部の人間だけだし、誰かが意図的に封印を解かない限りあれがでてくるはずないんだから! それも、強い力の持ち主じゃないと……

フィリス

……じゃあ、誰かが、故意に封印を解いたってことですか?

キリシア

……残念ながらね

フィリス

……そいつが、エレナを……

 ぐっとスカートを握ったフィリス。それを見て、クリスは肩に置いた手に少し力を込めた。安心させるように。

キリシア

とにかく、あなたたちはここにいてちょうだい。まあ、出たくてもここの中じゃ生徒の魔法を禁じる魔法がかかっているし、鍵もかかっているし、出られないだろうけど

 キリシアが髪をかきあげながら言う。

クリス

え、でも……

キリシア

あれの対応は、私たち警察軍がするわ

フィリス

……え?

 羽織っていた白衣のポケットからエリシアが取り出したのは、

クリス

それ、……父さんたちが持っているのと同じ、身分証明書?

キリシア

万が一にあれが暴れ出した時に備えて学園に送り込まれてた、閑職部署の人間なの。私の番の時に、こんなになるなんてね

 言いながらキリシアが魔法陣を描く。

フィリス

あれは……

キリシア

緊急コールはしてあるから。すぐに私の仲間がここに来てくれるわ。私はちょっと、残った生徒がいないか見てくるから。おとなしくしていてね

 キリシアの指が魔法陣を描き終わる。
 それをみると、フィリスは立ち上がり、そちらに駆け寄った。

クリス

フィリス!?

 慌てたクリスがそれを追いかけ、

キリシア

モバード!

 キリシアが呪文を唱え、フィリスがそこにぶつかるようにして抱きつく。そんなフィリスの肩にクリスが手をかけて、

キリシア

ちょっとあんたたち!

 キリシアの抗議の声とともに、三人の姿は消えた。

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