わたしはジン皇子とロイローを引き連れて、町外れの谷に向けて丘の道を進んでいた。
ちなみにわたしがさっき名乗った肩書については……
わたしはジン皇子とロイローを引き連れて、町外れの谷に向けて丘の道を進んでいた。
ちなみにわたしがさっき名乗った肩書については……
そんな職業など聞いたことも見たこともない!
と護衛のロイローに一蹴されてしまった。
知らないなら知らないで構わないけど、怒られる筋合いなんてないと思うけどなあ
わたしはロイローとは極力会話せず、命令された案内役を淡々とこなすことにした。
一方、ジン皇子はやたらと声をかけてきた。
なあ、歯科医さん。龍の歯科医ってのは人間の歯も治療できるのか?
いいえ。一応、知識としては頭に入れてますが、技術的なものはほとんど持ちあわせていません
そうなのか。ところで虫歯ってのは何なのか説明できるか?
目に見えないほど小さな生き物の仕業だと考えられています
その生き物を殺すのがあんたの仕事ってわけか?
殺しはしません。その生き物を絶やすことはできないのです。わたしがやるのはその生き物によって悪くなってしまった歯を削り、穴を埋めてやることなんです。ただ、相手が人ではなく龍という違いはありますが
抜いたりするのか? 人間の歯の治療と同じように
それは無理です。龍の歯は人間とは比べようもないほどの大きく、そして硬い歯茎に埋まっているんです。それを抜くのは現実的には不可能です
大勢の人間を動員してもか?
龍はもともと人との交流を好みません。一人か二人の少人数でやるからこそ、龍は治療中に身を委ねてくれるのです。もっとも信頼を得るにも非常に時間がかかるのですが。……あ、着きました
話しているうちに丘の上までやってきた。
ここからは急に道がなくなり、切り立った谷となっている。
龍はどこだ? 姿が見えないようだが
別にわたしが飼っているわけではないんだどなあ……
口答えするわけにもいかないので、わたしは素直にカバンから龍笛を取り出した。
この笛の音は人間にはあまり聞こえないが、龍にだけはよく響く音域が出るのだ。
谷底から一陣の風が舞い上がり、一匹の巨龍が姿を現した。
オオオオオオオン!
……紅の、龍!?
ジン皇子とロイローが同時に身構えた。
ジン皇子は剣の柄に手を添え、ロイローは両手で印を結んだ。どうやらロイローは魔法を使うようだ。
わたしは慌てて二人を制した。
やめてください! 龍は敵意に敏感です。構えを解いてください。そうすれば向こうからは何もしてきませんから
二人はしばらく身を固くしていたが、まずジン皇子が剣から手を離した。ロイローも後に続いて手を下ろす。
龍は大きく羽ばたいてわたしたちの頭上を越えると、少し離れた丘の頂に堂々と降り立った。
わたしは早速、龍の方へと向かった。
……フン。どうやら龍の扱いに慣れているというのは本当のようだな
わたしはいくぶん胸を張って答えた。
龍の歯科医としてはまだまだ半人前ですが、幼い頃から祖母と一緒に仕事をしてきましたので
では、その一人前の歯科医は今どこに?
……………
……祖母は一年前に亡くなりました。流行りの病で。それからはわたしが一人で仕事を引き継いでいます
そうか。できれば一人前の方の技を見てみたかったがな。……おっと、失言でしたかな?
……いえ
わたしは気持ちを切り替えて仕事に取り掛かることにした。
わたしは龍へ近づくと、巨木の幹のような首を撫でながら心の中で呼びかけた。
龍は地面に伏せると、ゆっくりと大きな顎を開いた。
洞窟のような口は入り口にビッシリと槍のような歯が並んでいる。
ジン皇子が嘆息しながら言った。
……凄い。本当にあんたの言うことを聞くんだな。流石は龍の歯科医を名乗るだけのことはある
いいえ。歯科医という肩書で龍が信頼してくれるわけではありません。龍とはその都度、信頼関係を築いていくんです。むしろ治療自体よりもそちらの方に時間がかかるくらいです
もちろん個体差もありますが、あくまで歯を治してもらいたいという龍の事情があって初めて成立する関係です。基本的に龍は人とは馴れ合わない生き物なんです
じゃあ、歯を治した後は?
元々住んでいた場所や空に帰っていくんだと思います。こんなに人の近くにやってくるのは、歯に関しては自分ではどうにもできないとわかっているからなんだと思います
人に治療してもらえなかった場合はどうなるんだろう?
その時はあなたたちが言われるような、前後不覚の状態になるのかもしれません。わたしの予想では、加齢で歯が弱ってきた龍が、治療を受けられなくて暴れてしまうのだと思います
悪化した歯ってのはそんなに痛むものなのか?
人間の場合でも、悪化した歯を放っておくと脳までやられてしまうと聞きます。もっとも人間の場合は歯を抜くことができるので、大事に至るケースは少ないと思いますが
……なるほど。整合性はあるな
ジン皇子は納得したように頷いていた。
ところが急にロイローが苛立たしげに声を上げた。
殿下。鵜呑みにしてはいけません! この者の言葉は憶測であるばかりか、城の伝えられた学術を否定するものです。
いいですか? 龍が暴れてからでは遅いのです。今ここで仕留めるのが最も確実で安全な方法なんです!
龍の目がギロリと動いてロイローを睨んだ。
…………ッ!?
……ですから、龍は敵意を敏感に読み取るんですって
ロイローは後じさりしながら口を閉じた。
ロイロー。おまえの言いたいことも理解している
だが、今はまだ龍は理性的のようだ。それはおまえも認めることだろう? 龍の歯科医が言うことにも説得力がある。ここは彼女の仕事ぶりを査察してから決めてもいいんじゃないか? 龍について学ぶいい機会でもあるじゃないか
で、ですが、殿下。即位のためには龍を討伐することが条け……
それは俺たちの都合だ。人々に仇なすことのない龍を倒しても意味はない!
ロイロー。何度も言わせるな。俺はもう決めたんだ
……御意
なんだか込み入った話をしてるみたい
ともかくこの龍を殺すかどうかは、わたしの仕事次第ということになったようだった。
要するにわたしがヘマをして龍が暴れたりしたら、討伐されてしまうかもしれないということだ。
責任重大だなあ。まあ、だからといっていつもとやることが変わるわけじゃないけどね
わたしはカバンから伸縮性の支柱を取り出し、龍のアゴに設置していった。
急に顎を閉じられないようにするための道具だ。
固定されたことを確かめると、わたしは地面を蹴って龍の口の中に潜り込んだ。
……く、口の中に入って作業するのか?
わたしは振り返って平然と答える。
当然じゃないですか。歯科医なんですから
驚いているジン皇子の表情を見て、わたしは少しだけ得意げになった。
エピソード3へつづく ☞