御門駅前から徒歩十分。
 それなりに利便性の高い、けれど築年数は少し古い小さなアパートの一室だ。辻谷さんに頼み込んで、格安で紹介してもらった。一般人が入居している、ごくごく普通の物件。
 さすがに家電や家具までは用意できなかったため、部屋の中はがらんとしている。可哀想な境遇の女子高生を哀れんだ辻谷さんが布団一式を運び込んでくれたので、とりあえず寝るには困らないだろう。
 メイは信じられないといった顔で、呆然と突っ立っている。その顔を見られただけでも、早起きした甲斐があった。

 ふふふ。大人の力を思い知ったか、女子高生。いつまでも小娘一人に右往左往させられっぱなしの俺たちではない。

一星

必要な家電は、あれだ。親父が捕まったら家から持ってきちまえ

夕月

おい、“コール”。無神経だぞ

 冗談二割。ほとんど本気で言った俺の脇腹を、夕月さんが肘で小突いた。
 それからまだぼうっとしてるメイの肩にそっと触れて――って、結構馴れ馴れしいよな。夕月さんも。

夕月

今はまだ興奮しているだろうから、結論を急がなくてもいいのではないかな。
聞いたところ今年の授業料はもう払ってあるというし、まだ猶予がある

 俺は中退しているのでそのあたりのことには無頓着なのだが、大学を卒業している夕月さんは見過ごせなかったのかもしれない。

一星

そーそー。だから俺たちの仲間になりたいなんて、馬鹿なことは言うなよ

 自分たちの生き方を卑下するわけじゃねえけど、人様には勧められないってのは事実だ。小悪党にもそれくらいの分別はある。まだ素直さの残った女子高生を、一般社会に留めてやるだけの良心もな。

う、うん……

 呆然としたまま、メイが頷く。
 それを見て、俺と夕月さんは顔を見合わせる。

 ――ま、この様子なら大丈夫そうか。

夕月

ではな、冥。
わたしたちはそろそろお暇するよ。君の原付も、あとで“コール”に運ばせる

一星

……あんたは、また勝手に。
まあ、やりますけどね

夕月

鍵は?

あ、これ……

 メイからリトルカブの鍵を受け取り、俺たちは玄関へ引き返した。門出を祝ってやりたいところだが、お互いのためにも長居はすべきじゃない。

 靴を履いていると、後ろからメイが呼び止めた。

“コール”さん、“ゲオルグ”さん

 俺と夕月さんが、同時に振り返る。
 と、

 メイが、勢いよく飛びついてくる。
 少女の体を抱き止めながら、俺と相棒はまたまた顔を見合わせた。夕月さんは困惑しきっている。俺も、きっと似たような表情をしているんだろう。

一星

おっ、おっ、おっ……?

夕月

…………

ありがとう。本当に、ありがとう!

 俺と夕月さんは顔を見合わせた。
 なんつうか、あれだ。
 こういう反応は、その、非常に困ってしまう。

一星

気にすんなよ

 おそるおそる、頭を撫でてやる。
 いつもはそういうスキンシップを嫌がる相棒も、早く離れてくれとは言わなかった。
 やっぱり、なんやかんやと甘い人なのだ。

 どれだけそうしていただろうか。
 ややあって、メイは飛びついてきたときと同じくらい唐突に俺たちから離れた。
 それから笑顔のまま、俺たちを見送る。

またね。
“コール”さん、“ゲオルグ”さん

夕月

ああ

一星

またな。困ったことがあったら、まともそうな大人を選んでちゃんと頼れよ

 俺にしては気の利いた助言だろ?

 ともあれ――それが俺たちと、くそ生意気な少女との別れだったのだ。


 それから二週間。
 まったく時が過ぎ去るのは早いもんだ。

 横領の証拠は、もちろん俺たちが善意の第三者を装って会社に提出させてもらった。部外者なので詳しくは教えてもらえなかったが、礼一郎と女が手を付けた金額はかなり大きかったらしい。会社は被害届けを提出するという話だった。
 あいつらがどれだけ手元に残しているかは分からないが、同僚に罪を着せようとしていたことも暴かれてしまっているから、悪質だと判断されれば実刑を食らうことになるかもしれない。

 メイの方は俺の助言を素直に聞いて、父方の祖父母を頼ったようだ。あの親父にして祖父母あり――ということにはならなかったのか、それとも礼一郎と同じように体面を気にする連中だったのか。
 俺には分からないが、どうにか進学費用は捻出できそうな雰囲気だ。

夕月

また覗いているのか、一星

一星

ええ、まあ

 次はどんな悪事の依頼を受けようか――そろそろ財布の中身も寂しくなってきたなと会話を交わしつつ。
 俺たちはコンビニに車を停めて、ひと休みしていた。暇さえあれば携帯を覗いている俺に、夕月さんは呆れ顔だ。

 なにを見てんのかって?

 そりゃ、あれだ。
 少しずつ家具も揃ってきた、メイの部屋――

 例のヘッドフォンの中に仕込んだバッテリーはもうとっくに切れているはずなんだが、あの物好きな女子高生はバッテリーを充電し、カメラを生かしているらしい。あれからもずっと、アプリを起動するとメイの部屋がばっちり映る。

 相手公認となるとストーキングの楽しみはないものの、メイのやつがたまにヘッドフォンを外してカメラに手を振ってみせるので、まあこういうのも悪くねえかなと思う。

 机に向かって勉強をしているメイを眺めていると、不意にチャイムの音が鳴った。

秀介

こんにちは

 訪ねてきたのは、倉庫からメイを助けた警官だ。
 御門駅前派出所の瀧秀介。被害届けが出されたので、横領の一件について聞いたらしい。
 不憫なメイのことが気にかかるのか、巡回ついででアパートに寄ってはあいつの世話を焼いていく。頼りない新米警官の顔を思い出しながら、少しむかついてしまう俺である。

瀧さん、今日も見廻りご苦労さま

秀介

どうも。
今日は、差し入れを持ってきたんだ。一人暮らしをはじめたばっかりだと、飯を作るのも慣れないだろうからな

ありがとうございます

 少しはにかむようなメイの声が、聞こえてくる。

秀介

い、いや。困ってる人を助けるのが俺の仕事だから、気にしなくていい

 けっ、格好付けやがって。
 これだから警官ってやつは嫌いなんだ。

一星

あーもう。むかつくやつ。手作り総菜で家庭的な男アピールしてんじゃねえぞ

夕月

一星……

 一刀両断。
 ……もっと優しくしてくれたっていいんじゃないですかねー。
 繊細な俺は、少し傷付いてしまいますよ。

一星

だってェ、夕月さーん

夕月

男の嫉妬は見苦しい

 ……ひっでえ。遠慮も容赦もねえ。

一星

別に嫉妬じゃねーですよ。
ただ、ちょーっと心配なだけで

夕月

相手は警官だぞ。
心配することなんて、ないだろう

一星

警官だから、ですよォ。
あてになりませんしー、あいつらー

夕月

……まあ、それもそうか

 俺と夕月さんが言い合っている間にも、メイと警官の和やかな会話が聞こえてくる。二人が取るに足らない雑談をしていた時間は、およそ五分。それからドアの閉まる鈍い音がした。瀧が帰っていったんだろう。
 差し入れを冷蔵庫に入れ、メイが部屋の中へ引き返してくる。
 また机に向かうかと思いきや、少女はそのまま窓際へ向かった。薄いカーテンを開け、窓の外を見上げる。外は快晴。俺も少し画面から目を離して、車の外に視線を向けた。
 頭上には、蒼穹が広がっている。

平成のヴェア・コール……
ゲオルグ・マノレスコ……

 メイの呟きが、聞こえてくる。

二人にも、また会えたらいいな

 独り言――つうか、俺が聞いているのを分かってて言ってるだろ。こいつ。

一星

ああ。また、いつかな

 掌で転がされているようで癪だよな、と思わないでもないのだが。
 俺はメイの声を聞きながら、空に向かって苦笑交じりに応えたのだった。

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