正面に座っていた年配の男性は
私たちをザッと見やってから
小さく咳払いをした。
鋭い眼光と落ち着きのある雰囲気。
そこに威厳みたいなものが感じられる。
正面に座っていた年配の男性は
私たちをザッと見やってから
小さく咳払いをした。
鋭い眼光と落ち着きのある雰囲気。
そこに威厳みたいなものが感じられる。
私がこの町を治める
バサールである。
あれがバサール伯爵……。
お主らがルドルフ一座か。
評判は聞いておる。
此度はライカントからお越しの
監察官・ルード様にも
ご覧いただくことになった。
素晴らしい舞台を期待しておるぞ。
お任せくださいませっ!
確かルドルフ一座は
ライカントでも興行をしていたな?
王宮にも噂は届いてきていたぞ。
一度見てみたいと思っていた。
我が主であるエステル様も
一座の人形劇を
見たいと仰せであった。
左様でございましたかっ!
身に余る光栄でございますっ!
今日の興行、期待している。
精一杯、やらせていただきます。
では座長、
そろそろ始めていただこう。
かしこまりました。
座長の合図で私たちはそれぞれ配置についた。
私はアコーディオンのベルトを肩に掛け、
鍵盤やフイゴの位置を調整する。
そして軽く音を出して動作の確認。
――よし、問題なしっ!
そのあと、みんなと視線で合図を送り合って
劇が始められる状態になったことを確認する。
では、本日だけの特別な物語
『城塞都市の憂い』を始めさせて
いただきま~すっ!
…………。
…………。
……よしっ!
♪♪♪~♪~♪~!
出だしはバッチリ!
ここはとある王国の
片隅にある城塞都市。
立派なご領主様のおかげで
市民は幸福な生活を
送っておりました。
わぁっ! 伯爵様だっ!
アルベルトは女の子の人形を操作し、
手を振る動作をさせる。
そこへ初老の男性の人形が現れた。
操っているのはアランだ。
アランも人形の操作が
うまくなったわね。
お姉さんは嬉しいぞっ、うんっ♪
少女が手を振ると、
ご領主である伯爵様は
優しい笑みを浮かべながら
手を振り返します。
伯爵様は市民のみんなに
慕われていたのでした。
治安も良く暮らしやすい。
しかも清廉潔白な性格の伯爵様は
王国内でも一目置かれています。
ふむ……。
バサール伯爵は満面に笑みを浮かべ、
機嫌良さそうだった。
うんうんと頷いて劇を楽しんでいる。
どうやら私たちが伯爵を賛美する物語を
演じるのだと思っているみたい。
――でも、上機嫌でいられるのも
今だけなんだからっ!
そろそろね……。
♪♪~♪♪♪♪~!!!
私は場面の転換に合わせ、
不気味な雰囲気の漂う曲の演奏を始めた。
フロストもそれに合わせて音を重ねてくる。
舞台の背景は荒廃した町。
そこへアルベルトとアランが操る、
悲しげな顔をした人形たちが登場した。
さらに初老の紳士の人形がそれらの人形を
踏みつける動作をする。
しかしその立派な伯爵の姿は
町の外から見た
イメージに過ぎなかったのです。
もっと税金を払うのだ!
逆らえば牢屋行きだぞ!
お助け~!!
踏みつけられた人形は
そのまま舞台の下へ退場した。
すると初老の紳士の人形は
逃げようとする人形の前に立ち塞がって
押し返す動作をする。
町から出すわけにはいかない!
一生ここで暮らし、
私のために税金を納めよ!
町の外に出るなら
人質として家族を差し出せ!
もし外部に余計な情報を漏らせば
処刑だぞ!
なっ!?
バサール伯爵の顔は少し前とは一変、
すっかり青ざめていた。
唇をぷるぷると震わせ、目を見開いている。
――すごい動揺の仕方ねっ♪
まさかこんな展開になるなんて
想像もしてなかったんでしょうね。
まっ、人質がいるから
下手なことはできないはずだって
思い込んでいても仕方ないかっ!
それにしてもこんな脚本を書くなんて
フロストも悪趣味だなぁ……。
私がチラリと視線を向けると、
彼はニヤニヤと怪しく微笑んでいる。
伯爵様は勝手に
独自の税金を課したり、
横暴なことを繰り返したり
していたのでした。
恐怖政治で市民を締め付け、
人々の心は悲しみに――
もうやめろっ!
突然、伯爵は怒気の混じった声で叫んだ。
とうとう劇の展開に我慢できなくなったらしい。
私たちは演奏も劇も止め、伯爵に注目する。
伯爵様、どうなされました?
まだ劇の途中ですが。
もうよいっ! やめろっ!
不愉快だっ!
はて?
お気に召しませんでしたか?
座長は素知らぬ振りをして言った。
さすがこういう演技は一座の誰よりもうまい。
あのとぼけた振りには味もある。
するとルード監察官は訝しげな顔をして
視線を伯爵へ向けた。
バサール伯爵、これは一体?
それに今の話は……。
す、全てこやつらの
妄想でございますッ!
惑わされてはなりませぬぞ!
伯爵様、監察官様。
これは作り話でございます。
ですからぜひ最後まで
ご覧ください。
まだまだ悪事の暴露は
続きますゆえ。
ニタニタと嘲笑しながら伯爵を挑発する座長。
すると伯爵はついに堪忍袋の緒が
切れてしまったのか、
真っ赤な顔をして座長を憎悪の瞳で睨み付けた。
もはや伯爵は感情を隠す気がないみたい。
あるいはそんな余裕すら残っていないのか……。
貴様ぁっ!
分かっておるのだろうなっ?
それはもちろん、
人質の安全は保証しないぞという警告だろう。
血走ったその目には狂気すら感じられる。
このまま劇を続けたら、
本気で人質の処刑を執行しそうな勢いだ。
それとは対照的に、
座長は落ち着いた様子で
ルード監察官に真摯な視線を向けた。
そしていたって冷静に口を開く。
監察官様に申し上げます。
我らは人質を取られ、
余計なことは喋るなと
脅されておりました。
なんとっ!?
市民もバサール伯爵が課した
幸福税という独自の重税により
苦しい生活を強いられております。
う、嘘でございますぞ、
ルード様!
ここに証拠として
納税証明がございます。
座長は舞台に隠しておいた納税証明を取り出し、
それをルード監察官の前に差し出した。
すると監察官の直属の部下がそれを受け取る。
ルード監察官はそれに目を通すと、
厳しい顔つきと鋭い目つきで伯爵を睨み付けた。
バサール伯爵、
これはどういうことですかな?
にっ、偽物ですっ!
それは私を貶めるために
ヤツらの作った偽物ですっ!
興行師であれば小道具として
あの程度のものを作るのは
造作もないことでしょう!
…………。
あのような身分卑しき者の言葉と
世間から評価されている私と
どちらの言葉を
お信じになられるのです?
……では、僕が証言しようか?
不意にフロストが声を上げた。
そして私にフルートを預けてから、
伯爵の前へ歩み出る。
――いよいよ真打ちの登場ね。
ここまではフロストの筋書き通り。
さぁ、今こそ伯爵に引導を渡してっ!
苦しんできた
市民のみんなの笑顔のためにもっ!!
なんだ、貴様はっ!
一座の言っていることが正しい。
もし身の潔白を主張するなら
町の人たちを全て開放しなよ。
一斉にバサールの悪評が
世間に知れることだろうからね。
若造っ!
私を呼び捨てにするとは
無礼だぞっ!
僕のことを忘れたのかい?
……そっか、2年くらい前に
ライカントの宮殿で
会って以来だもんね。
なんだと……?
伯爵は眉をひそめながら
フロストの顔をじっくりと見つめた。
それから数秒後、
愕然としたような顔をしながら息を呑む。
その体は小刻みに震え出していた。
あ、あなた様はっ、
もっ、もしやっ!
思い出したようだね。
――余はサイユ王国王位継承権第8位、
フロスト・アクアネル・サイユ。
みなの者、控えよ!
王子の御前であるぞ!
ルード監察官は即座に
フロアの隅にまで響き渡るような声で叫んだ。
もちろん、それもフロストの筋書き通り。
あの人も最初から全て
フロストの指示通りに行動していたに過ぎない。
何も知らないのは伯爵たちだけ……。
私たちやルード監察官、衛兵さんたちは
その場にひざまずいて軽く頭を下げた。
それを見た伯爵たちも
わずかに遅れて同じような行動を取る。
身分のしっかりした者が
証言しているんだ。
バサール、
これなら文句はないだろう?
う……ぐ……。
ルード監察官、そして衛兵諸君。
はるばるサットフィルドまで
ご苦労だったね。
勿体なきお言葉。
ルード監察官をはじめ、
衛兵さんたちはさらに深々と頭を下げた。
なんか目の前にいるフロストが
フロストじゃないみたい。
すごく格好良くて、威厳みたいなものもある。
……やっぱり王子様なんだな。
あ……。
なんかちょっとだけ寂しい気持ちになる。
やっぱり私と彼とでは
住んでいる世界が違うんだ……なんて……。
手を伸ばせば物理的には届く距離にいるのに、
まるで世界の果てにいるかのような
遠い存在。
この事件が解決したら、
本当の意味で私たちは……。
胸が締め付けられて
すごく苦しい……。
バサール、
もはや言い逃れは出来ない。
大人しく観念するんだな。
ふ……ふふ……ふはははっ!
このまま大人しく捕まって堪るか!
最後の抵抗を
させていただきますっ!
伯爵は敵意をむき出しにして
フロストを睨み付けた。
そして手を振り上げて私兵たちに合図を送る。
私兵たちは武器を構え、
フロストやルード監察官にその矛先を向けた。
みなの者、
王子をお守りするのだ!
一方、衛兵さんたちもすかさず動き、
フロストたちを守るように取り囲んだ。
――一触即発の空気の中、双方が対峙する。
次回へ続く!